教育困難校へ異世界転生して教員を辞めた話2

心に刺さった言葉

己の力で道を切り拓こうとする生徒を支えるのが高校教師の役割である。社会の厳しさから目を背け、他人任せな考えを肯定するのは、大人のすることではない。

教育実習時の実習記録に対する指導教諭のコメント

さてさて。引っ越しが終わり、再び都市部へ戻ってきました。最寄りは三田線ではなくなりましたが。いや、やっぱり都市部は良いですよね、なんだかサラリーマン時代の、人類と会話し協働していた頃を思い出します。あ、もちろん初任校や職員室は別ですよ。あと前回、散々高校教育をこき下ろすようなこと書きましたが、10年弱の教員生活のなかにも楽しいことはたくさんありました。
でも、異世界転生先である教育困難校は、それらをチャラにしてしまう程には凄絶だったんです。価値観の共有度合い、ホント大事。

来月から勤務開始なのですが、人事部といろいろ打ち合わせをして近所の探索をして、諸々の手続きをして。ようやく終わって、明日からは妻と離島で9日間ほどぼーっと過ごす予定です。で、今日の夕方。積んでる本と着替えをリュックに詰め込んだあと、暇過ぎて久しぶりにnoteを開いたら、僕のくだらない徒然日記を読んでくださった奇特な方が20人くらいいらっしゃったことに驚きました。

例によって多少のフェイクをいれた物語ですので、そういうもんだと思って読んでいただければと思います。


冒頭のコメントは、引っ越しの片付けで出てきた教育実習ノートからの引用です。教員免許状をとった方にはお馴染みの、実習で気づいたことやその日の課題、記録をまとめたアレです。パラパラと見返していた時、3日目のところに書いてありました。記載内容とは全く関係のないコメントです。たしか、僕が生徒と距離を近くし過ぎて人生相談みたいなことを持ちかけられ、偉そうに人生を語っていたのを咎めた文であったと記憶しています。お前が拓くんじゃなく生徒が拓くのを助けるのがお前だ、みたいな。思えばこの頃、僕もまだまだ未熟でした。

僕は私立高校の出身です。ですので実習先であった母校にはお世話になった先生方がたくさんおりました。いや、本当にお世話になりました。当時は厳しい先生だと思っていた方も、いざ実習に行ってみて、見方が180度変わったのを覚えています。好きな先生=なんでも言うことを聞いてくれる(のを優しいと勘違いしている)先生=絶対に一緒に働きたくないヤツ、みたいな。大学生くらいになるとわかりますよね、肌感で。あー、こいつ仕事できねぇな、とか。そういうのもあって新卒で教員は敬遠しちゃったんですよね、結局は浸かってしまったけれど。

ちなみに、このコメントを書いてくれた先生とはこのあと、センター試験の説明会みたいなところでお会いするのですが、僕が帰郷して高校教員になったことをいたく喜んでくれました。

「先生、ごめん」

そう心のなかで呟きながら、引っ越し翌日の荷解きの際に実習ノートにハサミを入れてゴミ袋に詰めました。

ノートだけでなく、引っ越すにあたって教職時代、とくに教育困難校勤務時代のものは悉く捨てました。九九のできない生徒のための練習プリント、会話の成り立たない生徒のためのコックリさん文字ボード、GDPを理解してもらうために自主開発した教材、なんとか教育部会とかナントカ教育功労とかいう狭い世界で表彰された時の賞状や記念品などなど。あ、ついでに教員免許状もシュレッダーしました(免状はどうせ都道府県の教育委員会で再発行できるのですが、その機会はもう訪れないと思います)。修学旅行で撮った集合写真、最後まで悩みましたが、結局これも捨てました。

修学旅行の引率とかいう闇

一般に、修学旅行をめぐる世間のイメージは一昔前、私が高校生の頃とはずいぶん変わったように思います。今は24時間勤務×四日間の連続勤務というイメージで、生徒が寝静まった10時くらいから教職員ミーティング、深夜も見回り、朝は生徒より早く起きて起床確認、起きてこない生徒を起こしてまわり、そして移動中のバスの中でウトウトする。昔は旅行会社からの「気配り」なんかもあったようですが、そんなの今は昔。管理職の先生の武勇伝か若気の至りの話中でしか登場しません。

それでも進学校の引率業務はまぁまぁ楽しかったんですよね。例えば、スマホ禁止でも、じゃあデジカメならオッケーかどうかとか、インスタントカメラはアリかという議論が生徒たちの中から出てくる。生徒たちが真面目に限られたリソースのなかで模索する姿を見て頼もしく思ったりしたものです。そう、教困難校へ赴任するまでは。

同じ地域なので当然、この学校もスマホの持参は禁止でした。最初の問題はだいたいここです。「なんで持っていっちゃダメなんですか」「お金払ってるのウチらなんだけど」。お金払ってるのは保護者だろという議論はさておいて、進学校とは思考回路が真逆です。問題解決から入るのではなく、まずは文句から。いやー、教育困難校ですねぇ!
じゃあこのあと、課題解決に向けて動くのか?動きません。彼らのなかで、こういう不条理なことは周りの大人がなんとかするものだと相場が決まっています。となると彼らがとるのは次の2つのいずれか。

  • ネット上で文句をいう

  • 「保護者」を召喚する

前者ならまぁわかる。面倒なのは後者です。

「ウチの子が旅行中なにかあったらどう責任取るつもりなんだ!」(←保険入ってますよ、というかおたくの娘さん、電車が遅延しても遅刻の電話すらしてきませんが?)
「一生に一度の思い出なのに自由に写真が撮れないのはおかしくないですか?かわいそう!」(←我々世代もスマホなかったから写真撮れてないですよね、かわいそう!)

そんな僕を戦慄させたのがこの電話。
保護者「息子はスマホがないと夜寝付けなかったり暴れたりします」
わたし「…………え??」

教員は医者じゃありません。でも、僕の勤務していた教育困難校は、生徒個々の発達特性を理解して、その意図や社会的な背景を探って職員室で持論を披瀝されるなんちゃってカウンセラーな方が力を持っていたように思います。僕も特別教育支援の研修会には足繁く通いました。転生転任して持たされた学級は40人ほど。このうち、ほぼ全員がなにかしらの発達特性を持っているor知的にボーダーでしたから。これに加えて、保護者も何かしらクセのある人が多い。単純計算で生徒40人+保護者。教員一人で個別最適な対応を100人近くに対して行う計算です。これをブラックと言わずしてなんと云う。

ところで皆さん、修学旅行の積立金ってどうしてると思います?
一応、学納金ともども口座から引き落としです。ところが、修学旅行の積立金が途中で落ちなくなった生徒がいました。彼女をBとします。

Bはとても幼稚でした。これをお読みの皆さんが想像する以上に幼稚。多分ですが知的ボーダーだったんだと思います。そして(比喩表現でなく)怒られたことがない。ちなみに将来の夢は女優でした。

彼女の高校生活のハイライトは、2年生にあがってすぐ、生徒会長に立候補したことです。公約は

プリクラを校内に設置する

Bの選挙公約より

ことでした。面白い?いや全然面白くないですよ。16、17歳にもなって、こんなことを公約に掲げちゃうなんて、どんな神経してるんですか。極め付けは当選したこと。もうひとり、対抗馬の生徒の公約は

ターミナル駅から最寄駅まで専用列車を走らせること

対抗馬の選挙公約より

でした。教育困難校を多少なりともご存じの方はピンときたでしょう。そう、彼は鉄オタでした。特別な列車が走る日には三脚に大型レフ、望遠レンズと大荷物で学校に来て律儀に職員室に預けにきます。そして目当ての列車が来るであろうタイミングで腹痛になり早退するのです。職員室はいつから君のクロークになったのかな?と思うことしばしば。

こんなことを申し上げるのは気が引けるのですが、彼は発達特性のこともあってB以上に人望がなかったので、残念ながら票は集まりませんでした。でも、今どきの政治家もドン引きするほどに露骨な、我田引鉄な公約、もし当選していたらどうやって実行する気だったのかは興味があります。どうせ校長か教員の名前を語って鉄道会社へ電話するか地図サイトの口コミあたりに一方的な要望を書き込むかのどちらかだったと思いますが。

さてさて。無事当選したBですが、学校にプリクラが置けないと判ると不貞腐れてしばらく学校を休みます。不登校生徒会長。なんだかラノベのタイトルみたいですね。でも転生はしませんでした。副会長はじめ生徒会役員はいつも会長が来ないことへの文句ばかり。終いには「学校がプリクラ置いてくれないからBは不登校になったんだ」と矛先をこちらに向けてきました。最悪です。そしてついに、Amaz◯nの段ボール箱みたいなのを持ってプリクラ設置の署名活動&募金活動を始めました。職員用トイレ前で。頭おかしいんじゃねぇの?

そんなBが修学旅行の積立金が払えないと保護者とともに相談に来たのは、このトイレ募金箱事件出来事からしばらく経ってからでした。

会話の成り立たない保護者面談

俯きがちのBと何を話してもニコニコするだけの母親。二人に対面して沈黙する僕。あの会議室は、今思い返しても異様な空間でした。

わたし「あのー、ところで今日はどのようなご要件でしょうか?」
B母親「(ニコニコ)」
わたし「えーっと……?」
B母親「(ニコニコ)」
そう、B母親は外国籍でした。日本語での意思疎通に難あり、というかできません。普通なら日本国籍のB父親が出てくるべき、そう思いません?このあと色々とあったのですが、それでも僕は終ぞ卒業まで彼女の父を目にすることはありませんでした。

しばらくして、意を決したようにBが口を開きます。
B「修学旅行行きたい、でもお金ない」
わたし「なるほど、じゃあどうしたら良いと思う?」
B「先生が払う」
わたし「…………。」

まぁこんな感じの会話にもならない問答が続き、結局アルバイトを許可して、Bは放課後に近くのスーパーでレジ打ちをすることになりました。

そして働き始めて3日も経たないうちにクビになりました。無断で遅刻した挙げ句に「怒られて腹がたったから」という理由で他のパートさんのロッカーから私物を盗んだというのが理由でした。温情で被害届は出さないとのことでしたが、僕としては出してほしかったのが本音です。だってそれ、窃盗っていう立派な犯罪ですし。また修学旅行の件、振り出しに戻ってしまったやん……。

探究活動の土台づくりという甘い罠

ある日のこと。聞いたことのない、それでいて何をしているのか実態がつかめるようで掴みづらい名前の団体から電話が架かってきました。電話口から聞こえるのは妙齢女性の声です。すごく簡潔にまとめると、地域のまちづくりについて是非とも貴校の生徒たちと一緒に活動したいとのこと。
え、ウチの生徒たちは創るより壊す方が得意ですよ。なんなら先月も近くの商店街のベンチに落書きして、ウチの指導部長が菓子折り持って組合へ謝罪に行ってますし。と思いながらも「なるほど、ありがたいお話です。あいにく教頭や校長が不在ですので、また改めてご連絡差し上げます。恐れ入りますが連絡先を頂戴できますでしょうか」と答えると「そんな曖昧な返事でどうするの!あなたいい年した大人なのに一人で判断もできないの?だから先生って仕事がバカにされるようになっていくのよ!」とまくしたてられます。あれか、いわゆる昭和の教育をもう一度、的な。こういう団体、割と多いんですよね。

と、ちょうど教頭が席に戻ってきたので早速この一件を伝えます。まぁ断るだろうなと思いきや、教頭の口から出たのは意外にも「ウチのイメージアップにもなるから前向きに検討しようよ、履歴書にも探究で活動したこと書けると就職や進学にも有利になるしさ」とのお言葉。え、マジすか?

学校教育を知らない人が介入する怖さ

色々あって、結局Bも含めたウチの生徒たちの特別活動の提携先(?)として、この団体と協働することになりました。なぜか僕も。校長曰く、最初に電話とったの君だから、とのこと。SEかよ。でも、活動に参加してある程度の社交性を身に着けてくれたら、Bもまたアルバイトができるようになるかもしれません。そこは期待。

その団体が最初に提案したのは学校周辺の清掃活動でした。曰く、子どもたちに躾を、今こそ家庭教育に代わる仕組みを、と。そのためには奉仕の心を身につけることが肝要なのだそう。はぁ、まぁええか。多少の胡散臭さは感じながらも毎週火曜日の放課後は、その団体と一緒に道端の清掃活動をするようになりました。

しかし、回を重ねるごとにこのクソババァ理事長、目に余る行動を取っていくようになります。

昭和の教育をもう一度

彼女の暴走行為をイチイチ経緯から披瀝すると身バレしそうな&可哀想な気がするので、ここでは箇条書きにします。僕の異世界転生先(勤務校周辺)ではあまり知られていませんでしたが、地域全体で見ると彼女、結構有名人なんですよね、色んな意味で。

  • 勝手に生徒たちとLINE交換

  • 勝手に謎合宿を企画(事後報告)

  • 勝手に家庭訪問(事後報告)

  • 平日の日中に生徒を体調不良で休ませてまちづくりイベントに動員(報告すらなし)

  • 気づけば守衛室で受付をせずに無断で校内を闊歩するように

事後報告と「勝手に〜」は重複でしたね、すまんすまん。
僕から見たら、完全にアクセルとブレーキを踏み違えた高齢ドライバーです。でも、こんな団体でも×××××から補助金出てるんですよ。前回、教訓として書きましたね。行政も司法も資本や縁故になびく。特に裁判官は大手には弱く中小弁護士事務所には強い。←ここ大事!!

結果、Bの家庭は学校と僕に強烈なる敵意を持つようになりました。なぜ僕?その理由は後に判明します。このババァ理事長は、勝手に僕と校長の名前を使って家庭訪問して謎合宿への参加を半ば強制していたのです。躾って言えばなんでも許されると思うなよ、マジで。

「ここでは私がルール」

さて、あまりにも目に余る行為が立て続けにあり、ついに校長が理事長に文句を申し入れます。それに対する返答がこれ。

理事長「で、あんた何歳?私より年下よね。いい?この団体では私がルールなの。あなたたちに文句言われる筋合いはないわ」

フリーズする校長と僕。きっとああいうのを老害って言うんだろうな、そう帰りの車の中で校長が誰にともなく呟いた一言が忘れられません。こんな独裁政権みたいな団体が×××××も太鼓判を押す優良NPO法人だなんて茶番も良いところです。

いざ修学旅行へ〜1日目〜

結局、Bは修学旅行へ行けませんでした。でも引率はしなければなりません。初日、さっそく空港でトラブルが立て続けに起こります。未だに覚えているのはこれ。
カウンターにいるグランドスタッフに「飛行機が落ちたらいくらお金がもらえるんですか?」と訊いている男子。どうやら話を聞いていると、飛行機が無事飛ぶか落ちるかは運ゲーだと思っている様子。みんな、飛行機が飛ぶ原理は知ってるかな?

あとは、保安検査で次々と引っかかる生徒たち。そういやXbox持ち込んでいたやつもいましたね。馬鹿なの?
あとはバタフライナイフとかスマホとか。さながら強制持ち物検査です。修学旅行のしおりに書いてありましたよね、手荷物の要件。あれか、漢字にルビふってなかったからか、それともイラスト成分が足りなかったか。
後日談ですが、Xbox回収された生徒の保護者が賠償金を求めて修学旅行翌日に学校へお越しになられました。曰く、弁護士を立てると。どうぞどうぞ。結局、書状が届くことはありませんでしたが。

さて、色々ありましたが、無事に初日投宿先、リゾートホテルに到着です。海岸線に沿って建てられた全室ベランダ付きのオーシャンビュー。普段ならワクワクする条件ですが、これが教育困難校の修学旅行引率ですから嫌な予感しかしません。案の定、部屋に入った生徒たちはベランダに殺到し、「やっほーーーーー!」などと狂ったように叫びます。「ヤッホー」は登山だ、アホ。

他にもベットで飛び跳ねる、ユニットバス部分でお湯を溢れさせる等々、まさにやりたい放題。そんな彼らはいま、テレビのリモコンにすらも興奮します。自宅のものより高性能でボタンが多いからかな?それにしても不思議です。文明の利器を目の当たりにした未開な野蛮人そのもの、というのが正直な感想。

さて、夜の帳も降りて海岸線の見回りをしていると案の定、2階のフロアにある男子部屋のベランダ手すりに足をかけて、真上のベランダによじ登ろうとする人影が見えます。ちなみに女子部屋は5階。真上は一般客の部屋です。このあと皆さん想像通りの事が起こりましす。自分からは見えなかったのですが、彼らの他にも夜這いをかけた生徒のうち、4階部分の一般の客室ベランダで一休みしていた一人が部屋の主に見つかり警察に通報されてしまったのです。逮捕には至りませんでしたが、これが22時頃の話。その日は教員ともども一睡もできませんでした。

〜2日目:勝手に消える生徒たち〜

2日目。この日はアクティビティが予定されています。朝早くに朝食を摂ってバスで出発する、はずなのですが男子が揃っていません。どうやら何人かがスマホゲームのし過ぎで寝坊したようです。これも後で判明したのですが、彼らは当時流行っていた位置情報ゲームをやり込んでいて、深夜に出かけていたのです。ベランダ侵入の一件で深夜の見回りが不完全になってしまっていました。これは大いに反省しなければいけません。というか、彼らどうやってスマホ持ち込んだんでしょうね。未だに謎です。

結局、アクティビティは1時間遅れで始まりました。バス(+保護者のレンタカー2台)がホテルのロビーを出発すると目的地の途中、トイレ休憩で道の駅のようなところに停まります。ここで一旦休憩し、出発のタイミングで点呼を取ると女子生徒(以下、C)が一人いません。実はCの保護者も(何故か両親揃って)修学旅行に来ております。理由は小中不登校で初めての団体行動が心配だから&学校がスマホの携行を許可してくれなかったから、とのこと。うん、なるほど、わからん。

とりあえず、C保護者を探しますが見当たりません。さっきまで停まっていたレンタカーもありません。嫌な予感がします。結局、教員と添乗員の2名が残って捜索することになりました。と同時に、団長である教頭からCの保護者へ連絡します。が、繋がりません。

しばらく経って、Cの保護者から学校宛に電話がありました。アクティビティのカヌー体験が嫌だと本人が渋るので、近くにある水族館へ連れて行くそうです。……君たち、ホントに何しに来たの?

そして色々あったカヌー体験が終わると近くの繁華街で自由散策です。60分後に集合と念を押して、各自お土産購入やお茶を楽しみます。ここで女子グループがまとめて消えました。何言ってるか意味不明だと思いますが、もう一度書きます。女子5人がまとめて消えました。

警察に届け出ようか教員間で悩んでいた20時頃、5人が何食わぬ顔でホテルへ戻ってきました。聞けばナンパされてタイプだったからOKしたとのこと。ずっとカラオケしていたそうです。君たち、ホントに何しに来たの?

こうして長い長い2日目が終わりました。と書けたら良かったのですが、そうはなりませんでした。

Cは夕食会場で合流後、仲良しグループからハブられてしまいました。そりゃそうでしょう。カヌー体験が嫌だからと家族で水族館に出かけた挙げ句、お土産を買ってきてグループ内で配ったら、そりゃ顰蹙かいますよね、普通。

でも、そんな推論できないのが彼女たちのすごいところ。C保護者も参戦しての高校生同士の喧嘩を諌めるのに手一杯で、やはりこの日もあまり眠れませんでした。

〜3日目:どこまでいっても腐った性根は変わらない〜

修学旅行は文字通り、学を修めるための行事です。最終日は歴史を学び、また当時の人たちの経験に学ぶべく、それにふさわしい施設を巡ります。なぜ最終日なのかって?
修学旅行の場合、先にこういう修学させてから遊びに移るのが主流なのですが、教育困難校の場合は違います。まずは遊ばせて、  疲れさせて、問題をおこす気力も無くしてから、施設見学や講話に入るのです。大人しいもんですよ寝てますからね

でもなかなか教員の思惑通りいかないのも事実。戦争体験講話で語り部のおじいさんが「君たちは恵まれている、昔は違った」なんて言おうものなら「うぜー!」「老害かよー」なんて呟きがあがるのは序の口で、これに「話はしっかり聞きなさい」なんて反応しようものなら「後でTwitter(当時)に本名載せて文句書いてやろーぜー」なんて返されます。こいつら、こういうのは本当にやるんですよね、陰湿というか、社会的にも能力的にも弱いのでネット上でしか輝けないんですよね。それも他者を攻撃することでしかレゾンデートルを見いだせない。教育困難校へ赴任して3年後には、マジでかわいそう、そう思いながら彼らに接してましたね。それくらい陰湿だし見ているこっちの心が折れます、ホントに。大抵、そういうやつらの犠牲になってましたね、語り部のおじいさんおばあさんたち。生徒に対してとは違う意味でかわいそう、ホントに。

〜4日目:出禁になるホテル〜


生徒が部屋で喫煙してホテル出禁になりました。以上。

……ふえぇ、来年どぉしょぉ(・ω・`)

「鬱だから」という免罪符

怒涛の修学旅行を終えても勤務は続きます。
早朝6時。職員室の電話が鳴り響きました。しかし規定でとることができません。架電対応は7時50分からと決まっています。通常なら守衛さんがとるのですが、この日はずっと鳴りっぱなしです。
架かっては切れ架かっては切れ。3度ほど繰り返した頃でしょうか、つい取ってしまいました。

電話は、隣のクラスの生徒の母親からでした。
「娘は鬱なので学校に行けません」
今日から中間試験です。
「そうですか。ですが今日から試験が始まります。受験しないと成績が……」
「だから鬱なんですって!!!」
会話が噛み合いません。こんなやり取りがしばらく続きましたが、要約するとこんな感じです。

修学旅行も終わって本人にとっての楽しみがなくなってしまった。それで娘は鬱だから学校には行けないけれど高卒資格は欲しいし推薦で大学にも行きたいから配慮しろ。

はぁ、左様ですか。本当、こんな人がいるから推薦もとい総合型、学校推薦型入試のイメージが変わらないんですよね。この生徒、教科担当で入っていますからある程度は知っています。授業中は寝るかトイレに行って戻ってこない、グループワークになれば雑談で他人を巻き込む、でも発表の順番が回ってくると黙り込む。でもプライドは高い。典型的な教育困難校生です本当にありがとうございました。本来なら高等学校に入れるべきじゃない。そもそも鬱なのかどうかも怪しいんです。テストが嫌なだけでは?とは口が避けても言えませんが。

こんなの、「はい、わかりました」なんて軽々に言えませんからのらりくらりとお茶を濁していたら「日本語伝わらないのか、この精神障害者!」と言われてガチャ切りされました。それは早朝から延々と架電してくるお前のことだろ。
結局、彼女は留年してそのまま不登校になりました。そういえば留年した時、保護者が地元の議員さん連れてきて校長や教頭と面談していましたね。こんな親や本人のエゴみたいなカタチで理由もわからず連れ回される議員さんも気の毒です。一番気の毒なのは校長と教頭ですが。

誰が彼らの面倒を見るのか

トー横キッズとかグリ下キッズとか闇バイトってここ数年、問題になっていますよね。あれ、根源というか震源地ってここ、教育困難校だと思っています。

怒られ慣れていない、世間知らず、社会が学校が先生が私に優しくないと本気で思っている、わがままで怠惰な人々。高校生にまでなってしまった彼ら彼女らの行き着く先は、手軽に承認欲求を満たすことができる夜の世界だったり反社だったり、そしてその入り口がネットの世界だったりします。

冒頭、自分の力で何かを成し遂げようとする人を支援するのが教員だという実習担当教員のコメントは、改めて至言だと思います。一方で、生産性の低い人間を切り捨てることのできないのが日本の企業であり、また日本の社会風土です。

ある意味、社会主義的な空気の中で行われる日本の学校教育、しかし一歩社会に出ればそこは自由資本主義。畢竟するに、高校在学中までにこのギャップに気づけるかどうかなんですよね。気づいたヤツは勉強するなり部活動に打ち込むなり資格取得に励んで道を切り拓こうとする。

ちなみに教育困難校と呼ばれる高等学校は再編で次々と消滅しています。それは何故か。働き方改革であったり少子化であったり。でも一番の理由は少ない教育投資を進学校に集中させようとしているからではありませんか?
例えば有名大学が国から補助金をもらって批判されることはあまり聞きませんが、これが世に云うFラン大学だったら血眼になって批判する人、山のようにいますよね。高校でも真っ先に削られるのはこういう教育困難校なんです。でも、だからといって彼らが居なくなるわけではありません。

結果、定員が割れているそこそこの高校へいとも簡単に入学し、そして大体は問題を起こす前に不登校になります。そりゃそうでしょう、周りと会話の周波数が合わないんだから。でも、そんな人たちが多数派になれば、今度はそこが教育困難校になりますけれどね。

教育の二極化は静かに、しかし確実に進んでいます。取り返しのつく地点はとうに過ぎました。これは僅かながらでも身を置いた立場から断言できます。

教育困難校の現実を知らずに国の舵取りをする政治家、そして実態を見ずに教育指針を決める文科省、イメージで高校を、そして学校教育を語る世間。若い世代からはサービス業だとこき下ろされ、年配層からは躾がなっていないと下に見られる教員という職業。世代に地域、立場いずれからも遠大なギャップがあると感じています。

内閣府の調査結果だったと思うのですが、日本でひきこもり状態にある人はざっくり146万人程度いたかと思います。これ、15~64歳の数字なので15歳以下をいれると更に多そうです。「8050問題」とか呼ばれていますが、教育困難校へのメス入れをしない限り数字は増え続けると思います。特別支援学校じゃないですよ。そして、その数字は社会保障費の増大というカタチで私たちにも跳ね返ってきます。誰もが無関係じゃないんですよ、この問題。

そういえば、僕がまだやる気を喪失していない熱意に満ち溢れていた教育困難校赴任2年目、こんな出来事がありました。

英語の若手教員から、こいつの解答が読めないというのです。出題は、昨日何をしたか英作文で解答しろというもの。ちなみに模範解答はこんな感じですね。

( I )( watching )( movie. )

ところが答案用紙を見ると

(  s  )(  a  )(  c  )( c  )(  a  )(  p  )(  l  )(  a  )(  y  )(  p  )(  a  )(  k  )(  u  )(  .  )

と書いてあります。なにこれ暗号?
いえいえ、生徒本人が頑張って書いた英文です。多分こう書きたかったのでは。
soccer play park.(超訳:私は公園でサッカーをしました)

……これで高校2年生ですからね。教育困難校を潰したら、こんなのがろくすっぽ社会常識やらマナーなんかを身に着けず社会へ飛び出してくることになるんですよ、皆さん。僕は職業柄、もうこういう奴らと一緒に仕事をすることはもちろん、会うことも絶対にないでしょうけれど。

教員に押し付けているツケは、いつかとんでもないカタチで私たち学校教育とは無縁(だと思い込んでいる)一般人に跳ね返ってくるはずです。それまでは私も、見て見ぬふりをして毎日を生きていこうと思います。皆さんの教育困難校の見る目が少しでも変われば幸いです。

また気が向いたら続き書きます。

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