初稿、ショートストーリー:「淳さん」

 夕陽はとても美しい。特に好きな人と見る夕陽はー。

 人は何故、不毛な恋に惹かれるのだろうか。瞳は毎朝、駅にある鳩除けを見ながら思う。止り木の様な姿形をしながら、その上には剣山があり、決して留まることは許されない。ただ遠くから見るととてもちょうど良い場所に思えて、ひたすら其処を目指して飛んでしまう。淳さんはとても良い止り木に思えた。まるで空気の様な存在。瞳は人混みで気分が悪くなると、淳さんのことを想像する。淳さんがただ其処にいることを思い浮かべるだけで、すっと気分が良くなる。

 それはまるで雨音。瞳は小雨が好きだった。土砂降りは服が汚れるから嫌だけど、小雨だと妙に気分が落ち着いた。「今日は頑張らなくて良いよ。」と世界に言われた様な気がするからだ。それと同じ様に、淳さんといると「頑張らなくても良いよ」と言われている様な気がするのだ。
 淳さんとの出逢いは春。淳さんは私のことを人違いした。初めましてなのに、久しぶりと言われた。それがやけに可笑しくて、瞳は淳さんが気になり始めた。産まれたての雛が親鳥にくっついて歩くみたいに一緒に歩いた。

 ある時、瞳は淳さんに相談をした。相談と言っても半ば口実で、二人きりで会いたかっただけだ。淳さんはしっかりと話を聞いた後、「それ、瞳は悪くない。」とぽつんと、言った。淳さんの言葉は安心できた。人に対してしっかり向き合える人だから、適当な相槌を打ったりしない。その時、グラスの中のワインがさざ波のように揺らめき、何故か知らないけど、店に置かれていた大きなテディベアのカップルが私たちのことを見送った。もう、とっくに閉店時間を過ぎていたのだ。あっという間に時間が経った。淳さんと一緒にいるときは何もかもがスムーズに進む気がする。料理の注文も、時の流れも。
 瞳は食事の趣味が合う男が好きだった。淳さんは私の食べたい物を注文するし、瞳が注文を決め兼ねていると、ゆっくり選びな、と声をかけてくれた。そして漸く決めたメニューについては「良いじゃん。」と賛同してくれた。そんな淳さんが良いと思った。
 淳さんは写真が趣味だった。私はどちらかと言うと撮られる方が好きだから、良く写真撮ってよ。とお願いした。断る理由もないので、淳さんは時々撮ってくれた。男と女の友情というのは危ういものだ。どちらかがもう一方を好きで堪らなくとも、「友達」であるという程で関係は成立する。特別な関係になる気はないけれど、居心地は悪くないから時間を共にし続ける。所謂キープ、とか都合の良い関係というのだろうか?はたまた、純粋な友達関係か。瞳は後者の関係であると信じていた。

 巷の男女が、都合の良い関係を時間に糸目も付けず続けている中、淳さんは瞳の気持ちに薄薄気づき始めた。以前の様に映画や食事に誘っても、忙しいとか曖昧な理由を付けて断る様になった。けれど決してメッセージを無視したりとか、適当な対応はしなかった。優しい男だった。瞳の好意に気づき、余計な期待を持たせぬために距離を置き始めたのだ。これもまた、誠実な男であるということで好感度が上がった。
 しかし、距離を置かれてしまっては仕様がない。他に好きになれる人も見つからぬまま、一年以上が過ぎた。時の流れは、過去の混沌も洗い流してくれた。一年と数ヶ月経って、瞳と淳さんの関係は毎日他愛ない内容のメッセージを交わすくらいまでに修復された。元々話していると楽だし、趣味も合う仲なのだ。メッセージは延々と続く。自然と久しぶりに会おう、という話になった。

 久しぶりに会った淳さんは、仕事帰りだというのにとてもカジュアルだった。ナイキのスニーカーと眼鏡、リュックサック。相変わらずお洒落だった。瞳は白いワンピースに長い髪を下ろしていた。髪を伸ばし続けていたのには訳があった。淳さんは長い髪の女が好きだと思っていたからだ。SNSで見かけた元カノも髪がとても長かったし、どことなく瞳と顔が似ていた。同じ系統と言うのだろうか?
 久しぶりにお互いの近況を話し、相変わらず空気の様な時間が流れた。別れ際、先に降りていった淳さんは、一瞬こちらを振り返ろうとしたかの様に見えたが、結局振り返らずにホームの人混みに消えていった。こちらを振り返ったら、また期待させてしまうと思ったのだろうか?
 家に着くと、淳さんから「今日はありがとう!」とのメッセージが来ていた。また次もあるのだろうか?それからも毎日毎日、他愛のない話を続けていた。引越しで忙しいなどと言われつつも、次に会う日程が決まった。海辺で写真を撮って欲しい、とお願いしたのだ。
 前日の夜、待ち合わせ時間を決めたくて何回か淳さんにメッセージした。だけど返信がなくて、仕方なく当日の朝に電話をした。寝起きの声だった。約束は守る男だ。昼過ぎには行くとのこと。

 一月ぶりくらいに会う淳さんは、またとてもシンプルな服装でやってきた。Tシャツに短パン、ビーサンだった。でも相変わらずお洒落、なのだ。「どこに行こうか?」淳さんは勿論ノープランで、瞳はそのゆるさが好きだった。瞳は「ーー行きたい!」という言い方で今日一日、淳さんを誘導するつもりだった。この片思いに、終止符を打つつもりだった。自殺行為と人は言うのだろうか。曖昧な状態を終えたかった。淳さんを好きになってもう2年が経っていた。
 淳さんは近況を色々と話してくれたが、基本的には友達と酔っ払った話だった気がする。夕暮れが近づいてきて、瞳は「夕陽を見に行きたい!」と言った。予定など何も考えていない淳さんは勿論オーケーしてくれた。
 そこには少し小高い丘があり、夕焼けと海を見渡せる様になっていた。日曜日の浜辺は想像したよりも人が多く、気持ちを吐露するには不適切だった。「あの丘、登りたい。」そう言って淳さんを連れて行った。頂上には警備員のおじさんが巡回をしているだけで、他には誰も居なかった。そう、大分上まで登ってきたのだ。
 二人で柵の上に腕を乗せ、もう間も無く沈む夕陽を見ていた。オレンジ色がとても綺麗だった。暫く沈黙が続いたので、心臓がばくばくするのを感じながら、瞳はようやく口火を切った。「私、淳さんのこと好き。」空気が止まった。「ビックリした・・・」淳さんの第一声はそれだった。「気づいていると思うけど。」瞳が続けた。なかなか可愛らしかった。
「うん、気づいていたよ。でもまだ友達って感じかなぁ。」「ごめん。」淳さんは、とても申し訳なさそうにそう言った。知り合ってから、もう2年以上が過ぎていた。これから友達以上になることなどあるのだろうか?恐らく、瞳を傷付けないための精一杯の回答だったのだろう。

 それから、他愛のないメッセージは途切れ、一切連絡を取っていない。瞳は数ヶ月後、淳さんに彼女が出来たらしいことをSNSで知った。そこにはショートカットの、特段美人でもない女が写っていた。そしてその女と瞳は、偶然にも同じ白いワンピースを持っていた。瞳になく、その女が持っていたものは何だったのだろう?

【終】

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