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遺書No.623 言の葉が枯れるまで。

※この記事は2004年7月6日から2009年7月5までの5年間毎日記録していた「遺書」の1ページを抜粋して転載したものです。

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2006.3.20
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ローソンで売っている、手巻寿司のね。
【ねぎとろ】(¥160)にハマっている。
ちょっとワザビ強めなのがまた旨し。

こんばんわ、みーくんです。

言葉では伝わらないものが、確かにある。
しかしそれは、
言葉を使い尽くした人だけが言える事だ。

言葉は、
心という海に浮かんだ氷山のようなものだ。
海面から浮かんでいる部分はわずかだが、
それによって海面下に存在する大きなモノを知覚したり、
感じ取ったりする事が出来る。

言葉は、大事に使おう。

そうすれば、
ただ沈黙しているより、
多くの事をより正確に伝えられる。

また、正しい判断は、
正しい情報と正しい分析の上に初めて成立する。

そして、陳腐な台詞も手口も、
効果的だからこそ常用されるし、
常用されるからこそ陳腐になる。


言葉もセオリーも一緒だ。
多用される言葉は、
頻度に比例してその重みと価値を下げる様に出来ている。

パターンは永遠の真理に思えるね。

以上は、我が偉大なる父性の師父、
ヤン・ウェンリーの言葉だ。

全ての人に言える事だとは思うけど、
特に自分のよな特性を持つタイプは、
自覚的な無自覚的かに関わらず、
時に相手に分かりにくい言葉を使って、
己の発言に説得力を持たせようとしたり、
時に理解しにくい語彙と言い回しで、
言葉の足りなさや思慮の浅さを誤魔化してしまいがちだ。

また、説得は弁舌によってではなく、
行動や実績によって行うものと認識したうえで
対話では丁寧に言葉を尽くしていくことが肝要なんだよな。


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2022.3.15
毎日遺書を書き始めた当時623日目の投稿内容。
落合陽一さんという存在をきっかけにしてだと思うけれど、だいぶ遅まきながら40歳を超えてようやく「父性」というものの輪郭が見えてきた気がする。
そして改めて気付いたけれど、当時にして父性を感じてはいたんだな、ヤン・ウェンリーというキャラクターに。


過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。