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cakesのホームレス「取材」記事で考えた、「消費」する目線

先日、「cakesクリエイターコンテスト2020」の優秀賞を受賞した作品、「ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした」に、批判や違和感を訴える多くの声が向けられました。

「炎上」後の追記や修正などの経緯、問題点などについては、認定NPO法人自立生活サポートセンター・もやいの理事長である、大西連さんの記事に詳しい記載があります。

大西さんの記事で指摘されている通り、ばぃちぃさんのcakesの記事には、ホームレスの方々を会いに行ける「興味の対象」としてとらえ、”自分とは違う生き方”をしている人々として「覗きに行く」ことを楽しんでいる印象を私自身も受けました。

例えば「私たちが日常生活をしているなかでは触れる機会が少ない体験をおじさんたちを通してできるという刺激」という記事内の表現は、彼らの暮らしを”異世界”のエンターテイメントのようにとらえているようにも感じられます。

そして、「私たちはおじさんたちのような路上生活をしようとは思っていないし、現在のテクノロジーに囲まれた生活を続けていきたいと思っている」という記述には、そもそもなぜホームレス状態に追い込まれたのか、日々どんな苦労を積み重ねてきたのかという視点がすっぽりと抜け落ちていました。

だからこそ「家を持っていても、いなくても、明日を乗り越えていくためにはそれなりの工夫や努力が必要で、その点に関してはおじさんたちと私たちはおなじだと思う」という、路上生活から抜け出せない構造的な問題に目をつぶる「平坦」な書き方になってしまったのかもしれません。

cakesがこの記事に賞を与えることによって、そんな「好奇の目」でホームレスとなった人々を見ることを、追認してしまっているようにも思います。

私がこの記事を読んで真っ先に思い浮かべたのが、「人類館事件」でした。

1903年に大阪で内国勧業博覧会(大阪博覧会)が開かれた際、民間が興行した「学術人類館」に、沖縄やアイヌ、朝鮮などの、実際の人が「展示」されたのです。当時の「人類館設立趣意書」にはこうあります。

異種人即ち北海道アイヌ、台湾の生蕃、琉球、朝鮮、支那、印度、爪哇、等の七種の土人を傭聘し其の最も固有なる生息の階級、程度、人情、風俗、等を示すことを目的とし各国の異なる住居住の模型、装束、器具、動作、遊藝、人類、等を観覧せしむる所以なり

特定の民族、出自の人々を「異種人」「七種の土人」として扱い、「見世物」として展示することに、何ら問題意識を持っていなかったことがこの趣意書からもうかがえます。

そこには、なぜ彼らが社会的なマイノリティとして暮らさざるをえないのか、それによってどれほど理不尽な扱いを受けてきたのかという側面と向き合う姿勢は見受けられません。

私はcakesの記事を読んでから、「消費する目線」の根深さをずっと、考えています。もちろん、この記事の書き方は受け入れ難いものです。ただ、取材者である以上、陥りがちな「まなざしの向け方」がそこにあるように思います。

「よそ者」が日常の中にやってくる、ということは、そこに暮らす人々にとって、大小のとらえ方に違いはあるにせよ、「非日常」となります。取材であっても「旅」であっても、そこにカメラが存在すればなおさら、です。

そこに無自覚になってしまうと、「あなたが何を伝えたいか」よりも「こちらの考えを聴いてほしい」「こちらはこういう視点で観たい」に陥ってしまいがちです。するとこちらの「まなざし」に合った相手の姿を追い求めてしまい、それ以上深くを知ることができなくなっていきます。

cakesの記事は、もしかすると「観察し、楽しむこと」ありきになってしまっていたのかもしれない、と読み返してみて感じます。つまり、無自覚かもしれないにせよ、「新たな発見」を書いたように見えて、最初から「まなざし」がどこかで固定化されてしまっていたのではないか、と思うのです。

「よそ者」としてその場に伺う以上、自分がなぜその場に伺ったのかを相手に伝えることはもちろん必要ですが、それよりも相手がどんなことを伝えたいかに丁寧に耳を傾けることが欠かせないはずです。

まだ今の仕事を始めたばかりの頃、「撮る」が相手の尊厳を「盗る」にならないよう、取材は全て「頂き物」と自覚することだと思うように、と尊敬する先輩から教えられたことがあります。私たちは時間を頂き、言葉を頂き、そして写真を撮らせて頂く立場です。

時には取材を受けて下さる方々が、「お世話になっている人の頼みだから」「支援を集めなければならないから」と、少し無理をしてでも答えようとして下さることがあります。だからこそ搾取にならないように、自覚的である必要があるのでしょう。

それでも、相手を傷つけてしまったことが私も多々ありました。被災地の避難所で「写真なんか撮っても、俺たちの腹はふくれないだろう」と言われたこと、紛争地で命からがら逃れてきた人々に「ここに何しにきたんだ」と怒鳴られたこともありました。

「消費」どころか、相手を「消耗」させてしまっているだけではないのか…私自身、取材でどのような「まなざし」を向けるべきか、分からなくなったこともあります。

ある時、東北の仮設住宅で出会った方に、率直に自分の感じていることを伝えたことがありました。彼は静かにこう、答えてくれました。

「あなたたち、よそから来た取材者に、被災した私たちの気持ちは分からないでしょう。でも、それでも何とか分かりたい、せめて起きたことを知りたい、という姿勢そのものに、救われることもあるんです」

もちろん、取材の葛藤に終わりはありません。終わらせるべきではないのだと思います。無邪気に「違う生き方に触れて刺激を受けた」といううわべだけの結論に走らず、相手の声を頂きながら、背後にある構造的な問題を探り続けることが大切なのではないでしょうか。

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私たちDialogue for Peopleの取材、発信活動は、マンスリー・ワンタイムサポーターの方々のご寄付に支えて頂いています。サイトもぜひ、ご覧下さい。

※誤記・誤字の指摘を頂き、一部表記を修正しました(2020/11/26 11:00) 

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