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真田丸、完走!|2020.07.24(fri)

先週から見始めた大河ドラマ「真田丸」を今日、見終わる。

三谷幸喜さんの脚本とあって、大河ドラマといいながらもテンポがよく、コミカルで、まるで民放ドラマのような見やすさがあった。そしてどの戦国武将にも人間味が感じられる演出が多かったように思う。

45分50話を1週間で完走するということは、この数日は起きてる時間の大半をドラマに割いてきたことになる。これぞ、暇人のなせるわざよ。

ただ個人的には大河ドラマというのは、他のフィクションドラマとは一線を画す。全て見終わったあと、ただ面白かった〜では終わらず、歴史の知識が増し、もっとその時代や周辺情報を知りたくなるし、結果的に旅行が楽しくなるからだ。

特にまとめて見る場合は結構な時間を要する。見ている最中は面白くとも、全てが終了後、結局この時間はなんだったんだろう…と思ってしまうことが私は少なくない。そういうタイプの人間にとって、ドラマ関係は豆知識などが蓄えられるもののほうが安心して見られるのだ。

とりあえず今は、大阪城の昔のお堀跡や真田丸跡、そして長野県の上田城を巡ってみたい。

最終回を終えたあと、夫が今と昔の大阪の地図を使って、いかに大阪城が大きかったかを解説してくれた。私は関西に土地勘がないため、地名を出されても距離感がわからなく、イマイチピンとこなかったのだけれど、地元にその大きさを当てはめてみたら、あまりの広大さに驚いた。

またなぜ真田信繁は大坂の陣に参加したのか…と二人で考えてみたものの、その答えにたどり着くことはできなかった。ドラマの中でも「自分でもわからない」と堺雅人さんが言っているくらい、その理由は今も明確になっていないのだ。

関ヶ原の合戦以降、豊臣についた信繁は父・昌幸と高野山のふもと「九度山」で14年蟄居生活を送っていた。徳川についた兄・信之の陰ながらの援助もありながら、周辺農家にも金銭を貸すなどして、俗世とは無縁の暮らしをそこで送った。

多分いつか戦いはまた起こると考えて、戦法などの研究はそこで欠かしてはいなかったとは思うが、果たして彼が大坂の陣に参加したのは、豊臣への恩義なのか、死に場所を見つけていたからなのか、戦で結果を出したかったからなのか、正直わからない。わざわざ九度山を脱走してでも参加しているのだ。

今の時代になっても明確な理由がわからないとなれば、何かの書状が見つからない限り、これは各人の想像におまかせパターンだろうか。これ、苦しいやつ…!

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