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承認欲求からも距離を置く

上を見ればキリがない。

例えばSNSを「運用する」と言う言葉と共に始めたとすると、このように感じることもあるのではないか。

自分のすることを如何に世に発信するか、それひとつだけでも立派なビジネスになる世の中であり、これは広報活動とか営業活動とかそういう物に当てはまることなのだろう。

僕もそのひとりなのだが、SNSを「運用」し始めた時とは、少し関わり方が変わったように思う。

そもそも僕はSNSを積極的に使う方では無かったが、4年前に自分のビジネスを始めた時に取り入れる事になった。

この時が一番面白いと感じる事ができた頃だったように思う。

人に習いながらだったので、ビジネスライクな使い方になった訳だけれど、人からの反応があるということに面白みを覚えていたのだ。

サラリーマンの副業として始めたビジネスは順調に進んでいき、半年で最初の目標を達成し、本格的にビジネスが始まっていった。

同時にSNSも続けてはいたものの、厄介な事にSNSにのめり込み過ぎてしまったのである。

人からの反応を集めようとし過ぎたのである。

恥ずかしい話であるが、いいね!の数やフォロワーの数だけを誇っていた事があった。

原因としては、周りと比較して盲目的にもっと上を目指さなければならないと思ってしまったからである。

つまり、承認欲求が肥大したのである。

これは自分が求めていたものではないし、何よりも厄介だった。

自分よりもいいね!されている人を妬むようになって、「自分はこの程度なんだな」などと考えるようになり、僕にとっての毒となっていった。

だから、一度SNSから完全に離れた時がある。

その時にビジネスが低調になっていったのは言うまでもない。

このような経験をしているので、如何に承認欲求が厄介なものか考え、できるだけ慎重に扱うようにしている。

発信することは続けるけれど、無闇に反応してもらおうとしなくなったのだ。

競争から降りたとも言える。

資本主義の中で競争から降りる事は、無謀な事のようにも思えるが、実際にやってみるとそれほど害は無かった。

SNSと一定の距離感で過ごせるようになった事で、心の平安を保てるようになったし、焦る事も他者を妬む事もほとんど無くなった。

「ほとんど」と表現したのは、無意識的に比較してしまう時があるという事で、これは仕方がないと諦めている。

競争から降りる事でできるようになった事さえある。

それは適度に自己受容できるようになったり、独創性を磨けるようになったりしたことである。

しかしながら、一番の発見はたとえ無意識でも承認欲求に飲み込まれる危険性があるということだ。

その意識を持っているのと、いないのとでは心の楽さがかなり違って来る。

あなたは承認欲求に飲み込まれていないだろうか。

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