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「良い距離感」って何?

良い距離感とはなんだろうか。

ここの所ずっと考えている事である。

仕事との良い距離感、恋人との良い距離感、友人との良い距離感、趣味との良い距離感。

つまり、何にでも当てはまる概念的なものかと思っている。

しかしながら、わからない事がある。

距離感と言うからには、離れている状態を指すのだろうが、良い距離感と言いながらも、どっぷりとハマっているようにも見える人が多くいる印象である。

もちろん、その人と四六時中一緒にいる訳ではないので、その瞬間だけ、距離感を縮めているように見えるのかもしれないが、それならわざわざ距離感などと言う表現にする必要もないと思うのだ。

僕は、別に言葉に突っ掛かりたい訳ではない。

どちらかと言うと、なんで距離が近いことを、よくない事として捉えているのかがわからないのである。

何か好きな趣味があったとして、それを好きだと表現するのを躊躇うような事である。

これはあくまでも僕の考えなのだが、わざわざ距離を取っている状態が、クレバーで、選択権があって、そんな自分がカッコいいと感じているのではないかと思っている。

これはどういう事か説明したい。

人の自由とか、余裕とは、一言で現すのなら、選択肢が多い事だと考えられる。

Aを選んでも良いし、Bを選んでも良いという状態である。

しかし、世の中には、様々な状況の人が居て、Aしか選べない人も沢山いる。

すると、明らかに前者の方が自由であり、余裕がある。

もっと心理学的に突き詰めて行くと、選択肢が多ければ多いほど自由では無いなんてことになりそうだけれど、ここでは選択肢を持てる事自体が自由度と考えることにする。

では、距離感と自由度にはどんな関係があるのか。

恐らく、「良い距離感」と言っている人の中では、距離感の取り方も、選択肢のひとつとしてカウントされているのだ。

例えばの話だけれど、自分が何か勉強しているとして、本当はかなりの時間をかけて学んでいるのに、表向きでは、真面目だと思われたくないので、「良い距離感で付き合っている」と表現したとする。

この時、めちゃくちゃ勉強していますというと、ハードルが上がると知っているのかもしれないし、そんなにガツガツしていないと思われたいのかもしれない。

だから、自分は「良い距離感」を自ら選択して、クールに決めてますと、暗に表現しているのだ。

もっと簡単に言うのなら、ただカッコをつけているだけなのである。

ちょっと穿った見方かもしれないが、僕はそう感じてしまうのだ。

好きなら好きだと表現しても良いと思うし、誰かに自分の興味関心を伝えるにしては、カッコばかりでそんなにピンと来ない表現ではないか。

こんな事ばかり言っていると、「距離感のわからない奴」などと言われるひが来るのかもしれない。

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