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激流の1年間 おつかれさまでした

12月に入って3日が過ぎた。2023年の終わりが、着々と近づいている。

わたしは今年、ずっと川下りをしていたような気がする。年明け早々から11月まで、ずっと濁流と激流に流され続けてきた。

少し流れが緩やかになったかと思っても、またすぐに速まる。ボートを漕がないと、大勢を保ち続けないと、終われない。途中棄権できない。

そんな1年間だった。

しかし、わたしの川の流れは、11月の終わりごろから徐々に穏やかになりはじめた。12月に入った今はもうボートから降り、自分が下ってきた川をじっと眺めているような感じがする。

自分のなかの流れが、すっかり止まってしまった。今年は残りあと1ヶ月あるが、なんだかもうすでに1年間をやり切ってしまった気分だ。今は、長い年末を過ごしている感じがする。

ほんの数週間前までは、流れに逆らったり、止めたりするのが怖かった。少し余裕をもって周囲を見渡したり、一息ついて自分の好きなことをしてみたり、そんな時間を持つことがとても怖かった。

速くて激しい水の流れのなかにいるとき、何より重要なのは「転覆しないこと」あるいは「ボートから落ちたときどうやって身を守るか」である。

だから、景色の美しさを楽しむこともできなければ、川の中の生態系を観察することもできない。大自然の驚異に流されていて、その流れに自分が殺されないようにすることで精いっぱいなのだ。

時の流れもその感覚によく似ている。今年は、1月の序盤でボートが転覆した。放り出されたのは、濁流だった。なんとかロープをつかんでボートに戻ったものの、すぐに別の分岐点から激流に入り込んだ。

なんとか生き延びることだけを考えているうちに、気が付いたらゴールしていた。

ゴールした直後は、なんだか狐につままれていて、現実味がない感じ。少し時間がたってくると、自分が生還した喜びや達成感のようなものをじんと感じる。

九死に一生を体験した人は、命の無事に安堵したあと、生還の喜びを噛みしめ、生への実感を強めるのだろうか。まったくもって勝手な想像ではあるが、今の感覚はそれによく似ている気がする。

よくやった。立ち向かった。一生懸命考えた。怖くても、逃げなかった。負けなかった。本当に、よく頑張った。

もう、これ以上怖いものやつらいことなんて、ないんじゃないか。こんな濁流や激流から生還したのだから、ちょっとやそっとのことではびくともしない。たいていのことは、余裕で乗り越えられそうな気がする。

そんな気がするだけで、きっとまたすぐ、大人げなく泣きべそをかくような出来事がやってくるんだろうけど。苦手なことがあればすぐに、ヤダヤダといって泣きごとを言うんだろうけどさ。

あまりにも、流れの激しい、たいへんな12ヵ月だったものだから。

今年も一年間、本当におつかれさまでした。

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