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今の私、やっぱりセンシティブかも。

2.27

只今電車の中。
バイトに向かうために満員電車に押し詰められているのだが、
朝から苛立ちが止まらないでいる。

朝の通勤電車はただでさえ人が溢れ返していて空気が薄く苦手なのに、さっきから後ろの人が寄りかかってくるのだ。

私は人と触れることに敏感で、かつ朝のこの時間に人様に体重を預けようとする浅はかな考えにもう苛立ちが有頂天だった。

一体どんなやつだと思って目を向けると、

なんとその正体はリュックだった、
しかも背負われた。

なんだ、人が寄りかかってるんじゃなかったのか、しかしながら全く、日本の道徳で混雑時のリュックは前に背負うと習わなかったのか。

そうやって収まるどころか苛立ちは頂点へ達し、更には私の隣の人の前ばかり席が空く現象にはぁとため息が出た。



店に着いた後も(アルバイト先の喫茶店のこと)、      トラブルで店の中に入れなかったり、アイスコーヒーをピッチャーごとぶちまけたり、なんだか今日は災難続き。
数ヶ月に数回散らばってあるようなマイナスな出来事が一気に襲ってきた感じだった。


しかし、営業が始まればそんなことなくて、
カフェラテを飲んで一息つくと、
適度な忙しさと仕事量でいつも通りの穏やかさ。

この環境が今の私には本当に有難い。



午後2時過ぎ、3人のおばさま達が来店された。

3人続いて並んでいたからてっきりお連れ様同士かと思ったら、最初の2人がご一緒で最後に並んでいた人は1人での来店だった。

2人のマダムはそれぞれケーキと飲み物を1つずつ頼み、日向側の席に座った。いつまで経っても若々しくて女子会を見ている気分になった。

もう1人のおばあちゃんは、とっても礼儀正しくパンと飲み物を頼んで、人が少ない影の方に座った。最初は静かな空間が好きなのかなと思ったが、なんだか寂しそうに見えた。

「ひとり寂しくないかな」とか「ちゃんと身体休められてるかな」とか考えていたら、いつの間にか今は亡き自分のおばあちゃんが重なって、
目がうるっとした。

営業中だったので零れないように堪えた。




帰り道、今日のおばあちゃんのことを考えた。
ちょっと訳が違うかもしれないが、自分が頼りにしている、もしくは普段しっかりしている人(母親とか)が弱ったところを想像すると私は駄目になる。気を遣って他人の仕事断れない姿とか職場で会話に入れずにぽつんとしている姿とか。実際に見たことないしそんな経験していないかもしれないけど、偶にそんなこと考えてしまう時がある。
私の母は優しい。
そんな母親だからそういう姿を想像してしまうのかも、なんて思っていたら家に着いた。


普段はこんなこと頭に浮かばないのに、
やっぱり今の私はセンシティブなのかもしれない。

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