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怖い人

自分のわからないものがわからない人が怖い。

夫はお笑い芸人をやっている。いわゆる「シュール」「世界観系」と受け止められソッチ方面で評価を受けている節がある。しかし夫はネタ作りの勉強にと毎晩中川家や志村けんのコントを観ているのだ。M-1グランプリ初代チャンピオンのメソッドを必死にネタの中に入れ込んでいる。彼の中には彼の理屈がある。だが残念ながら表現者に回った時それを理解してもらえる確率はあまり高くない。

私は伊集院光さんの深夜の馬鹿力が好きなのだが特に大好きなエピソードが以下のものだ。

「寺山修司の映画『初恋・地獄篇』を観ようと後輩とワクワク借りてきて観始めたが全く理解が出来なかった 全く理解ができないな〜と思いながら隣の後輩をチラッと見たら大きな蛇がクエスチョンマークの形をして後輩の心臓を噛んでいた」

理解が出来ないものを無理やり理解しようとする努力はその道のプロでも目指さない限り必要ないしそんな時間があったら深田えいみのAVでシコって寝た方がなんぼか精神衛生上よろしいだろうが、理解出来ないものを「理解しよう」と努力して「やっぱり理解出来なかった」という失敗体験をしておかないと人はバカに育つと思う。別にアーティストやクリエイターでなければ何の損もないのだが、ある種のバカにはなる。理解しようと努力した結果、発信者と解釈が変わるのは当たり前の事だが、努力のどの字も見せないうちから「なんかわかんねぇけどスゲー」これはもう青っ洟が止まっていない。「なんかわかんねぇけどスゲーしこれを好んでいる自分スゲーイケてるスーパーギャラクシーサブカル」実はこれが一番多いがもう霊長類として終わっている。思考、停止。

もちろん理解させようという努力は大前提だし、正直夫自身、伝えたいことを伝えるのに然程向いていない分野の人間であるという致命的なポイントも加味したほうが良いのかもしれないが、芸術家が割とカジュアルに自殺したりシャブったりするのはこの齟齬のせいかもしれないなと思う。

ちなみに私は対人でそれをやらかしている。理解出来ない人を理解しようとするのが苦手というか嫌なのだ。そんな暇があるなら石川シスケでシコって寝る。こっちの方がよほど人生に損失を与えている。バカ以下の存在である。石川シスケは最高である。

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