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物には感動できない

 無知無学な私ですが、やはり社会で生きてゆくためには多少の文化的教養を身につけなきゃいかんと思って、時たま展覧会なんかに通って絵を鑑賞したりなんかしています。今まで観た中でいくつか上げるとゴッホやバルテュスやフランシス・ベーコン、それから三時間以上並んで伊藤若冲や故宮博物館の白菜なんかを観ました。こうして直に本物の美術品に嗜むというのはやはり素晴らしい経験で画集なんかで見るよりやはり一度は本物に親しんだ方がいい。と強く言いたいところなんですが、しかしなんです。う〜ん、なんと言えば良いのか。たしかに上にあげた画家たちの作品や、宮廷美術は直に見ても素晴らしいとは思うんですよ。やはり画家の魂の結晶であり、王朝の最高級の秘宝であると納得させられるものではあるんですよ。だけどです。それ以上の感想が出てこないんです。たしかに素晴らしいと納得してそれで終わってしまうんです。つまりハッキリ言って感動できないんですよ。皆さんもそうでしょうが、私もそれらの作品を現物で見る前にそれらの画集や特集した雑誌なんかで観ているわけです。私はいつもそこに印刷されている絵と解説を読んでどんなに素晴らしいか想像を巡らすんです。ゴッホの苦悩とかバルテュスやベーコンや若冲の偉大さとか、宮廷美術が作られた時代背景とかの解説を読み込みながら印刷された作品を観てやはり凄いなと感動なんかしたりするわけです。印刷された作品でこんなに感動出来るなら本物はもっと凄いんじゃないかって思って展覧会で本物を観るわけです。だけど、やっぱり感動しないんですね。本の写真を見てやたら感動してたのに、いざ本物見てもさっぱりなんです。ゴッホもバルテュスもベーコンも若冲も白菜も本物みてもたしかに素晴らしいけど、それ以上の感想が出てこない。冷静にこれが本物かって納得して終わりなんですよ。こういう体験って多分他の芸術にないもので、例えば本や音楽の紹介読んで、まぁどんなもんなのか想像するじゃないですか。そして実際に読んだり聴いたりする。勿論これそんなに褒めるほどの作品?ってのはあります。だけど素晴らしいものはやっぱり素晴らしいし、素直に感動できるんです。だけど美術に関しては本物観ても素晴らしさに納得はするけど感動できない。私この自分の謎の感性についてずっと考えてきたんですけど、多分自分って想像の人で知覚の人じゃないと思うんです。文学とか音楽って物体じゃないじゃないですか。たしかに本とかCDとかありますよ。でもそれってただの記憶媒体ですよね。文学とか音楽ってのは言ってみれば文字の羅列であり音の集積であります。それを芸術作品とするのはあくまで読み手だったり聞き手の想像力じゃないですか。だけど美術ってのは物なんですね。たしかに美術だって作品を見て鑑賞者の想像が入る余地があります。そうじゃないと芸術なんて成り立ちませんから。ゴッホの絵だってそういう鑑賞者による想像が入ってこそ作品として成り立っているわけです。しかし私にはその美術作品を観て想像を張り巡らす能力が著しく欠けている。ゴッホだろうがバルテュスだろうが、上に書いてませんがミケランジェロだろうがダヴィンチだろうが美術作品という名の物体でしかなくそこから何か例えば画家が色彩に込めた何か的なもの抽出する事が出来ないんです。これは美術作品がどうこうという話ではなく、全て鑑賞者としての私の感性の問題なのですが、しかしこれは改善しようにも仕様がない。

 というわけで今回は珍しくネタ抜きで自分の美術に対する感性のなさを晒してみました。最後に言っておきますが、この記事は美術を批判するものではなく、私の感性のなさについて正直に書いたものです。誤解のなきようお願いします。


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