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《長編小説》全身女優モエコ 高校生編 第三話:映画が村にやってくる その2

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 あの全身女優火山モエコを知るものにとっては信じがたい話だが、彼女は子供の頃ずっと映画が大の苦手であった。小学生の時学校の体育館で教育映画を観せられた時のことだ。彼女は暗闇の沈黙と、スクリーンに大写しになった人間たちの耳を貫く声に耐えきれず、泣き出して体育館から飛び出してしまった。これも意外なことだが彼女は生まれてからお化け屋敷が苦手で、この暗闇で上映されている体育館もお化け屋敷にしか見えなかったのである。結局彼女はこの事がトラウマになり、お友達がディズニー映画のシンデレラを見に行こうと誘っても、イヤイヤと泣きながらお友達をボコボコにしてしまう始末だった。

 そんなモエコであったが、神崎雄介が映画のロケで自分の村に来ると聞いた途端に映画が見たくなってきてしまった。当時の彼女は何故自分が急に映画が見たくなってきたのかもわからなかっただろう。モエコは知らずしらず全身女優への扉へ続く階段を登っていたのだ。テレビから演劇へ、そして女優なら誰でも夢見る映画へと。ああ!今のモエコには男たちとのお友達ごっこなどやっている暇などなかった。彼女は男たちに向かって今週は会えないとキッパリと言った。地主の息子はブヒーと鳴き叫び、画家は苦々しい笑みを浮かべ、高校教師は嫉妬のあまり青筋を立てて怒鳴り散らしたが、モエコは彼らに対してまるで子供をあやすように、来週は今週の分までたっぷり遊んであげるからとなだめてどうにか承諾させた。彼女は心の中で、いい大人がなんでこんなにわがままなの? ちょっと会えないだけなのにとプリプリしたが、神崎雄介のことを思い出し、男たちのことなんぞ忘れて学校が終わると駆け足で映画館へと向かっていった。

 そうしてモエコは映画館の前に着いたのだが、なんと偶然にも神崎出演の映画が上映されているではないか。彼女は映画館の前に立つと小学生の時のトラウマを思い出して怯えた。だが目の前には初キッスの相手の神崎がいる。モエコはずっと昔に別れた恋人の近況を知りたい女のような気持ちになってきた。小学生時代テレビ越しでファーストキッスをしたあの人は今どうなっているのだろうか。彼女は体の震えを押さえながらお金を払い映画館の中へと入った。

 上映中の映画は神崎雄介がまだテレビドラマの『情熱先生』で人気が出る前に出演したものである。古い映画であるが、今回神崎が映画のロケにはるばる来るというので突如リバイバル上映される事になったものだ。内容自体はありきたりのメロドラマだが、それでも人気俳優の神崎雄介を観たい客が詰めかけていた。

 モエコは館内に入り空席を探したが、席が埋まっていて座れる所は一つもなかった。こんな時いつもの彼女だったら、全身の演技でおじさまやお兄さまあたりに席をおねだりするところだが、あいにく客はおばあちゃんやおばさんばかりでおねだりしても容易に席を譲ってくれそうにない。仕方がないので足が痛いと泣き叫んで必死の演技でのたうち回って座らせてもらおうとしたが、うるさいと怒られるだけだった。神崎の演技を立ちんぼで見るなんて。彼女は悔しさに涙を濡らしながら上映を待った。そうしてモエコはまだ明るい場内で開演を待っていたが、時間が立つごとに自分の心臓の音が高まってゆくのを感じた。そしてベルがなり照明が落ちて場内が真っ暗闇になった。その瞬間モエコは小学校時代の事を思い出し、恐怖のあまり大絶叫した。

「うわあああ〜!怖いわ、怖いわ!やっぱりモエコ耐えられない!」

 すると周りの観客が人差し指を自分の口に当ててシー!とモエコに注意した。しかし怯えるモエコにそんなもの聞いている余裕はない。彼女はひたすら絶叫し、座席と立ち見エリアを仕切っている柵を引き抜いてスクリーンに投げつけようとしたが、しかしそんな彼女に向かってスクリーンから神崎雄介が叱ってくるではないか。スクリーンの向こうの神崎はこうモエコを叱っていた。

「そうやっていつまでも怖がるんじゃないよ。さぁ、勇気を出して僕を見るんだ」

 ああ!何年ぶりだろうか。あの神崎がこうして優しく自分に声をかけてくれたのは。しかし彼女はためらってしまう。テレビならともかくお化け屋敷みたいに真っ暗な映画館で目を開くなんて!怖いわ!怖いわ!怖すぎて柵で映画館を破壊してしまいたくなるほど怖いわ!ああ!可憐な乙女の私にはこんなお化け屋敷みたいなところにはいるべきではないのよ!だが彼女は勇気を出して瞼を指で開いてスクリーンを観ようとした。緊張のあまり乾いてしまった唇のような瞼をそっと中指と人差し指で開いていく。スクリーンからは神崎の怖くないよ。怖くないよ。という囁きが聞こえてくる。その神崎の囁きに乾いた瞼も潤いを取り戻し彼女はとうとう目を見開いてスクリーンを観た。

「あああ!なんてこと!なんてこと!」

 モエコはスクリーンを観て再び大絶叫したが、観客も同じようにどよめいた。ああ!スクリーンではなんと神崎と女優がベッドを前にして全裸で抱き合っているではないか!モエコはあまりの羞恥に震え「ヤメてぇ~!」と泣き叫んだ。

 このあまりにもうぶすぎる反応は彼女が当時は処女であったというはっきりとした証拠になるだろう。彼女は確かにお友達と称する男たちとときには一晩中一緒にいたが、彼らの欲望に全くといっていいほど気づかず、ただ単純に彼らをあしながおじさんだと信じていたのだ。そう確かに彼女はこの時点では処女であった。読者の方にはモエコのマネージャーでしかなかった私がなぜに彼女が処女であったと断言できるのか不思議だと思っているかもしれない。しかし私はこれだけは断言できる。モエコは東京に出てくるまで処女であったと。それはそう思いたい幻想では決してなく、私がこの目で彼女の処女喪失の現場を見ているからである。

 この神崎と女優のあられもない姿でのベッドシーンがモエコに与えた衝撃については私はくさるほど彼女から聞かされた。女優の胸を弄る神崎を観てモエコは自分の胸を弄られたような気持ちになり、観客の怒号が鳴り響く中彼女はスクリーンの目の前に跪き、シャツをはだけてスクリーンで悶えている女優とともに大声で悶え続けたのだ。

「ああ!あなた!本当はあなたにずっと抱かれたかったの!」

 モエコは興奮状態で映画館から出た。出る時に映画館のスタッフから出入り禁止だと言われたが、夢遊病状態になっていた彼女は何も聞いていなかった。ただモエコは映画館で初めて味わった欲情に震えているだけだった。ああ!そういえばあのクズの塊みたいな両親が、たまに裸で大声出しながら組み合っていたのはジャイアント馬場とアントニオ猪木のようなプロレスではなかった。ああ!あんな破廉恥なことを人の目の前でしていたなんて!

 彼女は家につくとご飯も食べずそのまま寝てしまった。そしてあの神崎のベッドシーンを再現したみだらな夢を見ては目覚めて、また寝て起きていたらやっと日曜日がやってきた。

 村の入り口にはいつの間にか出迎えの横断幕が張られ、沿道は芸能人どころか都会の住人など見たこともない村人は勿論のこと、町の住人、さらには市からも人が集まっていた。モエコは当然沿道で皆と一緒に神崎雄介一行の到着を待っていたが、そんな彼女に向かって隣りにいた高校の同級生が喋りかけてきた。

「ねえ、モエコぉ。神崎さんどこに泊まるのよぉ。まさかここに泊まるわけじゃないわよね~」

 しかしモエコは同級生の言っていることなど聞いていなかった。彼女は道の先を見つめ、いずれ現れるであろう神崎雄介をただ待っていた。




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