見出し画像

《連載小説》おじいちゃんはパンクロッカー 第二回:垂蔵と露都

前回 次回

 大口露都は父の垂蔵を激しく憎んでいた。父につけられた自分の名前すら嫌悪していた。子供の頃から同級生にドラクエのキャラかとバカにされ続け、やがて名前がパンクロッカーから取られた事を知ると完全に嫌いになり、役所でまともな名前に変えようと思うようまでになった。だがその度にこの名前で自分を読んでいた母の顔を浮かべて思いとどまった。露都がここまで父の垂蔵を嫌うのには勿論理由があった。彼は生まれてから今までずっと垂蔵の存在に苦しめられ続けて来たのだ。彼は生まれて一ヶ月経った頃、垂蔵に抱えられてライブハウスのステージに上げられたのだが、その時むずがっておしっことうんこを同時に漏らしてしまった。これを見た垂蔵は面白がり、バンドのローディにお漏らしして泣き喚く赤ん坊を撮らせたのだが、なんと垂蔵は後にその写真をシングルのジャケットに使ってしまったのだ。露都はそれを小学生の頃に垂蔵から知らされて、それ以来父に対して激しい憎悪を抱くようになった。

 露都は元々官僚の家に生まれ、自身もそれなりの大学を出ている母の、というより母の実家の方針で、幼少の頃から徹底的に教育された。そのおかげもあってか彼は無事進学校に入ることが出来たのだが、そのせいでかえって彼の父親嫌いを一層拗らせてしまった。というのはクラスメイトは超エリートの子息ばかりだったからだ。露都はその友達の所に遊びに行く度に、彼らの本棚に囲まれた清潔な部屋を見せられ、そのたびに自分の家の下品なパンクのポスターに埋め尽くされた部屋を思い出して惨めな気分になった。垂蔵さえいなくなれば自分の家はもっとマシになるはず。そう心から思い垂蔵がどっかに消えることをひたすら願った。

 散々絶対に授業参観に来るなと言っていたのにかかわらず、垂蔵は堂々とパンクスタイルで授業参観に現れた。クラスメイトたちはその垂蔵を指差して大爆笑し、他の親たちは彼を見て失笑した。大笑いするクラスメイトと、呆れたように笑うその親たちを見て、露都は恥ずかしさのあまり手で顔を覆った。クラスメイトたちは彼に父親がパンクロックをやっていることを興味津々に聞き、しょうがなく彼が父親のやっているバンドの事を教えたのだが、それを聞いて友達は一斉に彼を嘲った。そういうことが積み重なって露都はとうとうパンクどころか全てのロックを嫌悪するようになり、さらにポップスや歌謡曲まで嫌うようになってしまった。彼は家に帰るとクラシックを大音量で流し、たまたま酔っ払って寝ていた垂蔵がうるせえと文句を言いに来ると、うるさいのは父さんのやってるパンクとか言うクズ音楽だと言い返した。

 高校では一二年ともに学級委員長を務め、三年の時には生徒会長を務めた露都だったが、彼は生徒会のミーティングで生徒会のメンバーと教師たちに向かって軽音学部の廃部と、合唱コンクールのプログラムを全てクラシック音楽に統一する事を何度も提案した。パンクを激しく憎む彼にとってロックやポップス、あるいはヒップホップなどは世の中にとって害毒以外の何者でもなかった。

 露都は子供の頃から母の親の影響と父親への反発から官僚になる決めていたが、その彼の大学の卒業論文はそのあまりの激烈さで学内で少なからず反響を呼んだ。その論文はバクーニンとそのアナーキズムの思想を徹底的に批判したものであるが、その論文の中で彼は父親への嫌がらせのつもりか、わざわざセックス・ピストルズ等のパンクバンドを引き合いに出して、現代西洋におけるアナーキズムの流行を体制批判どころか、ただの鬱憤バラシであり、それは消費社会にどっぷり浸かった子どもたちの害のない戯れに過ぎないと徹底的に痛罵した。

 当の息子からこの論文のコピーを目の前に突き付けられた垂蔵は当然大激怒した。息子はその彼に向かってまるで子供に言い聞かせるように丁寧に自分の書いた論文の内容を説明し出した。垂蔵はこの自分を見下した態度をとる息子にブチ切れて、とうとう手にしていたレポートを破って叩きつけてしまった。しかし露都は垂蔵が床に撒き散らしたレポートを拾い上げて、再び父親に突き出した。これにはさすがの垂蔵もあっけにとられてもう怒鳴り散らしても無駄だと諦めたのかいきなり外に出て行ってしまった。

 ここまでの内容だと露都の垂蔵への嫌悪は自らの出自への嫌悪だと考えられ、実の息子から一方的に嫌われる垂蔵が気の毒に思える。しかし残念なことにそうではなく、実際に垂蔵は息子から嫌われても当たり前のクズ人間であった。垂蔵は高学歴で美人の妻がありながら平気で浮気をする人間であったのだ。いくら伝説のパンクバンドだといっても所詮インディーズのバンドなので収入などたかがしれている。しかし彼はバイトもろくにせず、家計をすべてパートに出ている妻に任せていた。それにもかかわらず垂蔵は全国ツアーに行く度に現地の女を引っ掛けていた。その関係を持った女のうちの一人が垂蔵の家にまで押しかけて来て、垂蔵を挟んで母とその現地の女が取っ組み合いの喧嘩をおっぱじめたことさえある。露都は当然母に惨い仕打ちをする垂蔵が許せず、母に自分は大丈夫だから早く親父と離婚しろと言ったことがある。しかし母は息子の訴えに悲しい笑顔を浮かべてただこう言うのだった。

「垂蔵は私がいなきゃ何もできないの。だから別れるなんてできないわ」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?