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にごりなき精神が日本を変える!

 大学の食堂で先程から一人の男が立ちながら激しく振り乱し皆に向かって語っていた。この男は田山太郎という学生だ。その演説を真向かいの席で聞いていた山田二郎はわざとらしく声を上げて嘲笑した。他の人間は彼を止めようとしたが、しかし山田はそれを振り切って一層激しく笑い始めた。

 この二人は共に大学の弁論部に所属している。彼らは部内で最も注目されている人間だった。彼らの弁論は大学の新聞に取り上げられて弁論部のスターだと持て囃されていた。二人はいつも熱い討論をしていたが、今日は田山の完全な一人舞台であり、皆田山の若々しく熱い演説に聞き惚れていた。それに煽られたのか田山の演説はヒートアップして、部員みんなで食堂に入ってからも演説は続いていた。田山が演説で語っているのは日本の政治の堕落した現状と、その状況をどのようにして打破するかという内容だった。田山はもはや叫びともつかぬほどの大声を張り上げて訴えた。

「俺はこの濁り切った日本の政治を変えたいんだ!そのためには澄み切ったにごりのない心で誠意を込めて国民に訴えなきゃだめなんだ!こんな事を言うとみんな現実から遊離した理想主義だと嘲笑う。たしかに理想主義かもしれない!だが理想こそが常に世の中を変えてきたんだ!俺は濁りのない心で世の中を変えてやるんだ!」

 山田二郎はこのあまりにもナイーブな演説に耐えられなくなった。あまりにも気恥ずかしすぎる理想主義者の戯言。現実から遊離した言葉に酔っているただのナルシスト。山田はもう我慢が出来ぬと立ち上がり真顔で田山を怒鳴りつけた。「お前は大学に入ってもまだそんな甘ちゃんな考えを持っているのか。そんな考えじゃ世の中など変わるはずがない!」山田のこの発言を聞いた田山は演説をやめて山田の方を向いた。そしてしばらくの沈黙の後で山田に向かって聞いた。

「山田、お前はそうやっていつも俺の考えをバカにするよな。お前の考えなんかただの理想主義だって。ならどうすればこの濁った日本を変えられるんだ?お前は濁ったままの日本でいいというのか?」

「俺だってこんな濁りきった日本を変えたいさ。だけどな。お前の考えはあまりにも理想主義的すぎるんだよ。そんな甘ちゃんな考えで日本の濁りをなくそうとしても逆にお前が濁っちまうだけだろうが!政治を変えたいなら現実的な方法でやらなきゃダメなんだ。濁りきった連中に頭を下げたり、利用したりして自分の地位を高めなきゃダメなんだよ。清濁飲み合わせるって言葉があるけどそうしなきゃ日本の濁りは取れないんだ!」

「山田、そこが俺とお前の違いだ。お前は日本から濁りを除去するために体制を利用しようとする。だけどな。そうやって体制を利用しようとしてもミイラ取りがミイラになるようにいつの間にかお前自身が濁りきってしまうんだよ!」

 田山太郎と山田二郎の議論は果てしなく続いた。結局彼らは二人きりで食堂から追い出されるまで激論を交わしていたのである。二人がこうして長々と議論を交わしていたのには理由があった。二人は共に政治家になって日本から濁りを除去したいと願っていたのだ。田山は正面から日本の濁りに立ち向かおうとしていた。一方山田は体制に取り込んで中から濁った日本を変えるつもりだった。二人はそれからそれぞれの方法で目的を果たそうと行動を始めた。田山は町に出て演説を頻繁に行い大衆に日本の濁りを無くそうと訴えた。一方山田は学内の政治家の子息に媚を売って自分の名前を売り出した。

 それから二十年以上たったある日である。初の四十代の日本国総理田山太郎はいつものように白シャツと白パンでランニングをしていた。田山は大学を卒業してから日本の濁りを無くそうと政治の世界に飛び込んだ。日本の濁りを無くさんとする彼の訴えは国民に支持されとうとう総理大臣に上り詰めた。今田山は彼が結成した党名である白シャツ党のイメージそのままの格好で一人ランニングをしていた。一国の総理大臣がたった一人でランニングとは危険もいいところだろう。しかし国民は総理大臣に近づかずただ尊敬の眼差しを投げるだけであった。そのランニング中の田山太郎の前に突然ボロボロの格好をした中年の男が現れた。田山は思わぬ出来事に一瞬怯んだがすぐに冷静になって男を観察しはじめた。見覚えのある顔だった。

「お前、もしかして山田か?」

 ポロポロの格好の男は目を潤ませながら頷いた。

「いやぁ久し振りだなぁ。俺はお前が三笠代議士の秘書になった事は聞いてたんだけどそれからどうしていたんだ?みんな消息不明だって言ってたから心配してたぞ。話は変わるけど俺は今総理大臣をやってるんだ。まだまだこの国から濁りは取れないけど、でも着実に空は綺麗になっている。俺が総理大臣になれたのはお前のおかげだよ。何かと俺に食ってかかってくるお前がいなかったら俺も濁ってしまっていたかもしれない。何度でも礼を言うよ。ありがとう山田。俺がこうして総理大臣になれたのはお前がいたからだよ」

 山田は昔の田山の言葉を聞いて泣き出した。そして泣きながら語り始めた。

「いや、総理になれたのはお前の努力と才能だよ。俺なんかがいなくてもお前は総理大臣になれたはずさ。大体お前は常に正しかったんだから。お前大学でこんな事言ったよな。体制を利用して濁りを除去しようとしてもミイラ取りがミイラになってお前自身が濁っていくだけだって。たしかにお前は正しかったんだ。俺は体制を利用して日本から濁りを除去しようとした。その結果がこれさ。今じゃ精神どころか体まで濁っちまった。お前を見ているこの目だって濁りきってお前の顔さえまともに見れない。情けない話さ。こんなになるまで自分の過ちに気づかなかったんだから」

 日本国総理大臣田山太郎は落ちぶれたかつてのライバルを見て心が痛んだ。今彼の前にいるボロボロの服をきた中年男には昔の面影は全くなかった。田山はしばらくの沈黙の後勇気を振り絞って聞いた。

「今、何してるんだ?」

 田山にこう聞かれた山田恥ずかしさのあまり俯いてしまった。田山はその姿を見て聞かなければよかったと思い、慌てて話さなくてもいいと言おうとしたが、その時山田が再び顔を上げて自嘲的な笑いを浮かべて話し出した。

「何もしてないね。公金横領で秘書をクビになってから派遣とかでずっと食いつないで来たけどこのコロナのご時世で仕事も無くなっちまって。今は毎日アパートの周りの枯れ草集めてぞうり編んでるんだ。俺は総理大臣じゃなくてぞうり職人になっちまったみたいだぜ。おい、せっかくこうしてまた会ったんだから記念に俺が丹精込めて作ったぞうり上げるよ。安心しな。ぞうりは俺の胸で温めてるからすぐに履けるぜ」

 そう言うと山田は胸からぞうりを取り出して田山に差し出した。しかし田山はぞうりの受け取りを拒否して決然とした表情で山田に言った。

「こんな濁りきったぞうりなんかいらない。お前俺をバカにしてるのか。俺は濁りのない心で総理大臣になった男だぞ。そんな俺がこの濁りきったぞうりのように濁っているっていうのか。持ってかえれ!こんなぞうりを人にプレゼントしようと考えるなんてお前の心はどれだけ濁っているんだ。こんなぞうりなんて濁りきった物を作る暇があるなら心を清めて立派な靴職人になれ!」



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