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ひとちがい

 三連休の大阪。ここはなんば駅の高島屋前。緊張で震えながらアコースティックギターを手に歌う私。歌うのはおじさんたちが好きなフォークソングばかり。名残り雪とか長い夜とか結婚しようとか。まず昔懐かしの曲で人目を引いてから自作の曲を歌ってる。

 だけど今日は初めての関西ライブ。貯金叩いてやっと来たんだからまだまだ人目を引かなきゃ。で、自分の曲の前に選んだのがKIYOSHI YAMAKAWAの『アドヴェンチャー・ナイト』。難しくてあまり歌いこなせないからあんまりやらないけど、この曲を弾くと音楽が好きそうな人たちが立ち止まって興味津々に演奏と歌を聴いてくれたりする。中には「女の子なのにKIYOSHI YAMAKAWAなんてそんな昔のものよく知ってるね」なんて青春時代にシティポップを聴いていたおじさんが話しかけてくれる。私はそんな質問に笑って答える。

「KIYOSHI YAMAKAWAさんは全然昔の音楽じゃないですよ。今の音楽なんかよりずっと新しいんだから」

 そんなわけで今日も歌う。空はサンセットが闇のヴェールに覆われて絶好のアドヴェンチャー・ナイトムードだ。勿論女たからKIYOSHI YAMAKAWAみたいにむせかえるようなオスのフェロモンは出せない。それに私の声はソウルフルとは程遠くどちらかといえばか細い。でも私は歌う。弾き出したギターのカッティングに足を止める人たち。歌い出すアドヴェンチャー・ナイト。出だしを歌ってふと前をみたら人だかりが出来ていた。東京ではほとんどなかった手応え。今私は夜の冒険者となる。

 歌い終わると一斉に拍手がなった。今までで一番大きな反応。このまま勢いで自作曲に持ち込んで盛り上がらせようといた。私の自作曲はKIYOSHI YAMAKAWAの影響を受けたソウルフルなシティポップだ。アドヴェンチャー・ナイトが受けて勢いでそのまま歌った。けど甘かった。自作曲を始めた途端1人去り、2人去り、結局残ったのは数人だった。バスケットに投げられた小銭。全部集めても一万円にはならない。自作もCDも一枚も売れずため息をつきながら去ろうとした時、一人のサングラスに帽子を被った老人が声をかけてきた。どこかシティポップの世界をそのまんま生きてきたような人。胸が急に高まる。

「CD一枚買いたいんだけどね」

 思わぬ言葉に喜んで私は大きな声で礼を言ってCDを差し出す。それを笑顔で受け取る老人。老人は私の感謝の言葉を笑みを浮かべたまま聞き、そして急に真顔になってこう言う。

「楽しい時間を過ごさせてくれてありがとう。あなたの音楽、非常に興味深く聴いた。あなたは非常にいいものを持っている。だけどね、自分に合わない事をしてはダメだよ。あなたは自分の感じるままに歌わなきゃ。でもさっき歌ったアドヴェンチャー・ナイト聴いてなんだか不思議な気分になったな。懐かしいような、胸を掻きむしられるような、そんな気分になった。もう一度言うけどあなたはいいものを持っている。自分に素直になりなさい」

 老人の人生訓。あるいは余計なおせっかい。本来からそんな風に無視していればいいものだけど、妙にビター、だけど少しシルキーな声で言われると素直に受け入れてしまう。一体この人は何者だろう。もしかしてベテランのミュージシャン?いやまさか……。そこで私はハッと我に返って老人を探す。大阪の雑踏。ごった返す観光客たち。その人混みの中に老人は消えてゆく。顔もよくわからない老いた男。だけどその口調は私の想像していたあの男そのものだ。

 翌日も同じ場所で歌う。昨日と同じように懐メロを歌って通行人を振り向かせる。だけど心はここにあらず。ずっと昨夜の出来事に取り憑かれている。あの老人があの人だったとしたら。とっくの昔に日本を去ったあの伝説のソウルシンガーだったとしたら。今日もあの老人は来るだろうか。来たら真っ先にこう聞きたい。「あなたKIYOSHI YAMAKAWAじゃないの?」と。

 アドヴェンチャー・ナイトは歌わなかった。歌う気になんてなれなかった。昨日ミステリアスな老人が言った言葉がチラついて離れない。あなたは自分に合わない事をしている。もっと自分に素直になるべき。それは私もうすうす勘付いていたこと。だけどその自分のスタイルがいまだに見つからない。あの人がKIYOSHI YAMAKAWAなら何かヒントをくれるはず。もしここきたらアドヴェンチャー・ナイトを歌ってもらって私が何をすべきか知りたい。

 通り過ぎる人々。初の関西遠征は微妙な結果に終わりそう。でも誰かに歌が届くように歌う私。大阪……原色の欲望が渦巻く街。このシティポップとあまりに対局的な町に飲み込まれてしまいそう。でも私は歌う街の中で誰かを呼ぶように。そうして一曲歌い終わった時誰かが声をかけてきた。男の声、もしやと私は声の方に向く。だけど見たのはあの人じゃなかった。私に声をかけたのはいかにも関西人的な男。男は言う。

「昨日歌っとったエロい曲今日は歌わへんのか?」

 私はこの無遠慮で下品な言葉にキレ気味に歌いませんと答えた。だけど男はそれでも遠慮なしに突っ込んでくる。

「あのエロい曲やけど誰の歌や?なんか聴いたことのあるんやけどな」

「KIYOSHI YAMAKAWAです」と、どうせ知らないでしょとばかりに言い放って私は次の曲を歌おうとした。すると男は「ええっ?KIYOSHI YAMAKAWA!」と何故か驚いてそしてこう言う。

「そいつバーのマスターやで。シティポップのなんとかってでっかい看板掲げてカラオケ教室やっとるがな」

 男の言葉を聞いて私は思わず声を上げた。そうか昨日のあの人はやっぱりKIYOSHI YAMAKAWA!会いたい、会っていろいろ話したい。いや、会わなくちゃダメだ。あの人が私に道を指し示してくれそうな気がする。

「そのKIYOSHI YAMAKAWAさんの居場所を聞かせてください。私会いたいんです」

 思わず口から飛び出してしまった言葉。でもそれは私の心からの願い。男は困った顔で答える。

「でもあんなとこ女の子が一人で行ったら危ないで。なんたって新地の奥やからな。まぁ、ホステスになるんやったら別やけど」

 ホステスという言葉でなんとなくKIYOSHI YAMAKAWAの住んでる新地がどんな場所が察した。まさかあの人がそこまで落ちぶれるなんて。私は男からお店の場所を詳しく聞いた。明日の昼間に会いに行こう。結局なんの成果もなかった関西初遠征。だけど最後に豪華なサプライズがやってきた。それを思い出に東京に帰ろう。なんだか道が開けてきた。

 翌日私は安ホテルをチェックアウトして地下鉄で新地へと向かった。新地のある駅から出るとそこには唖然とするほどポロポロの建物が並んでいるのが見えた。私はこの光景を見てKIYOSHI YAMAKAWAを憐れんだ。こんな酷いところに住んでいるなんて。駅のそばにあったアーケードをまっすぐ進むと小料理の看板が立ち並ぶのが見えた。恐らくここが新地なのだろう。私はこの場所の異質な雰囲気に怯んだけど、KIYOSHI YAMAKAWAに会いに行かねばと自分に喝を入れて新地へと向かった。

 昼間なのに徘徊する男たち。その男を目線で誘うショーウィンドウの商品のような女たち。彼女たちは明るい中に痛ましさを隠し持っている。まさに現代の女郎。新地の中を闊歩する私。男たちはきっと私も女郎の一人だと思っているはず。これが夜だったら大勢の人たちが私を見て振り返るはず。あれはどこの女郎だと。だけど私が女郎だとしても決してあなたたちなんか相手にしないわ。だって私の相手はKIYOSHI YAMAKAWAしかいないんだから。

 そうしてついたのは昨日の男が教えてくれた店の前。そのポロポロで崩れそうな店の名前にはKIYOSHI YAMAKAWAの名前がフルで刻まれている。

『バーKIYOSHI YAMAKAWA シティポップの○○と素敵な時間を』

 もう日焼けと色落ちで煤けて見えないその看板の下にカラオケ教室の案内があった。悲しい現実。きっとシティポップのあとの透けて見えないとこにはキングと書かれていたのだろう。あのKIYOSHI YAMAKAWAがこんな惨めな事になっているなんて。だけどそんな悲しみはドアの向こうのKIYOSHI YAMAKAWAに会える事に比べたらどうでも良い。さぁ、開けろ、私の未来ごとこのドアを開けろ。ドアはすんなりと開いた。私は暗闇の店内に向かって彼の名を呼ぶ。

「KIYOSHI YAMAKAWAさんいますか?一昨日難波の髙島屋前で歌っていた女です。CD買ってもらったお礼がしたくて訪ねてきたんですが、あの~私のこと覚えていますか?」

「誰だ」と暗闇からの声。しばらくすると明かりがつき店内が映し出される。寂れ果てた店内。そのカウンターの奥に立っている一人の老人。あの人が……。誰この人?一昨日の人と似ているけど雰囲気が全然違う。一昨日の人はこんなやさぐれていなかったのに。

「さて、どっかであったっけな。年のせいかまるで思い出せねえ。一昨日どころか昨日のことさえも過去の外だ。で、このKIYOSHI YAMAKAWAに何の用なんだ。あんたまさか他の連中みたいに偽物を求めてここに来たのか?あんたがあったという男そいつは多分俺の偽物だ」

 すべてが崩れるような衝撃。まさかあの人がKIYOSHI YAMAKAWAの偽物だったなんて。帽子とサングラスをかけていたのもきっと偽物だってバレないようにするため。きっとそうなんだ。変な期待を持ってここに来た自分がバカバカしくなる。でも今目の前にいる人は本物なんだ。きっとそうだ。私は子供の頃父から『アドヴェンチャー・ナイト』のレコードを聴かされてからのファンだと話した。

「そう、私はあなたでずっと育ってきたようなものなんです。今からあなたのアドヴェンチャー・ナイト」歌っていいですか?」

「この俺相手に歌うってアンタどんだけ心が強いんだ。気に入ったぜ。存分に歌え」

 私はギターをケースから取り出してアドヴェンチャー・ナイトを歌う。すると鋭い声でKIYOSHI YAMAKAWAがダメだししてきた。

「なんだよその拳のねえ歌は!そんなもんキャバレーじゃ絶対に受けねえぞ!俺はな、キャバレーのドさ周りの時は毎回命懸けで歌ったもんだぞ!文字通り銃弾が頭をかすめる中声を絞り出して歌ったんだ!もうお前のお遊戯はいい!俺が本物ってやつを聴かせてやる!」

 そう言ってKIYOSHI YAMAKAWAはカウンターの奥からラジカセを持ってきて中に入っていたテープを取り出した。それからそのテープをピックで巻き戻して再びラジカセに戻した。

「じゃあ、今から俺が本物ってやつを聴かせてやる!」

 彼はそう言ってラジカセのスイッチを押した。

 するとラジカセからまるでZ級のダサい曲が聴こえてきた。あまりにダサすぎて私は元気玉で押しつぶされる魔人ブーにようになった。だがそれにもまして酷い歌が始まると私の頭は完全に破壊された。そんな私の前でこのジジイは気持ちよさそうにこんなゴミみたいな歌を歌っていた。

「ああ~♪アヴァンチュール・ナイトぉ~♪熱海の夜はぁ~♪」

 歌い終わるとジジイはいつの間にか持ってきていたレコードのジャケットをバーンと効果音を口で言って私に見せつけた。

「どうだ!これが本物のKIYOSHI YAMAKAWAの『アヴァンチュール・ナイト』だ!痺れただろ?やばいだろ?所で姉ちゃん、アンタ俺にあった事があるって言ってたな。俺もアンタと一昨日あったような気がしてきたぜ。アンタ一昨日の夜新地にいなかったか?俺あんた気に入って入ろうとしたら金がねえことに気づいてやめたんだが、まさかそのアンタが俺のファンだとはな。今から二階に行こうぜ。そこで何度もアヴァンチュール・ナイト聞かせてやるよ」

 そのレコードの帯にあるのはキングじゃなくて、帝王っていう文字。名前の漢字も山川潔じゃなくて清だった。ああ!なんて勘違いだ!一昨日あったのが本物のYAMAKAWA KIYOSHIだったんだ!なんてバカな私。あんな胡散臭い関西人の言ってることを真に受けるなんて!目の前のジジイは涎を垂らして私に迫ってくる。私は沸き立つ怒りに怒髪天を衝いてこう叫んだ。

「お前誰だよ!」

 その後ジジイの店を出た私はもう予定していた観光なんかすべて投げ出して空港へと向かった。あまりに滑稽な勘違い。人生は経験だと字で行くような大失敗。だけど時が経つにつれ、その大失敗も愛しくなってきた。

 結局それから一度も私に助言をしてくれた老人には会っていない。あの人はどこにいるのだろう。もしあったら絶対に彼に尋ねたい。あなたはKIYOSHI YAMAKAWAなんですかと。私はこの出来事を思い出して一曲作ってみた。KIYOSHI YAMAKAWAそのまんまのソウルファンクチューン。だけど今まで作ってきた曲に比べたらずっと自然だ。きっとこれはあの人のアドバイスがきいているのかもしれない。

 人違い

 人違い

 思い込みはいつも

 勘違い

 あなたに逢えると、あの店に行ったら

 出てきたのはただの他人

 人違い

 人違い

 思い込みはいつも

 勘違い


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