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《連載小説》ハッピーエンド作成中 夫からのメール

 翌日仕事のお昼休憩の時にスマホを開けたらにいきなり夫からのメールの通知があった。私は早速使ってきたなと思ってすぐにスマホを開けてメールを確認した。夫が持ってきて欲しいと頼んできたのは全て私と思い出の物たちだった。メールには思いついた順か無造作にリストが並べられ、この中から持てるだけのものを持ってきて欲しいと書いてあった。それから夫は行を開けてこんな事を書いていた。

『もう家には戻れないだろうからせめてコイツらを近くに置いてずっと眺めていたい』

 これを読んで私は思わずスマホに向かってバカヤロウと叫んでしまった。私は自分の声の大きさに驚いて我に帰り口を塞いで無理矢理閉じて恐る恐る周りを見た。近くにいた人たちがびっくりした顔で私を見ていた。今日は本当に公園で食べて正解だった。会社の食堂だったら大変なことになっていた。夫がこんな私を見たら思いっきり笑うだろう。そう考えるとますます夫に対して腹が立ってくる。一昨日は前向きなことを言ってたくせに、昨日はあれで、今日でこれか。今頃はどうせまた死は有機物から無機物に変わる現象に過ぎないとか一人でブツブツ言ってるんだろう。私は夫への怒りと悲しみで混乱してとても働く気になれず結局早退してしまった。

 早退して家に帰ると、私はすぐにリストの思い出の物たちからとりあえず手持ちで持っていけるだけのものをバッグに詰め込んだ。それが終わるとリビングでテレビを観たり、スマホをいじったり、しばらく寝たり、ぼぉ〜としたりとにかく夫の見舞いにいくまでの時間を潰した。勿論すぐにでも見舞いには行けた。だけど行ったら行ったでどうせ夫は会社はどうしたんだとか聞いてくるに違いないし、それで早退したと答えて彼に余計な気を使わせる事が嫌だったし、早退した事を彼に揶揄われるのも嫌だった。

 病室に入った私をベッドに寝ている夫は待ってましたとばかりに手を振って迎えた。私はその夫を見て存外元気そうなので拍子抜けしてしまった。それで私は夫に色々持ってきたと言って持ってきた思い出の物たちを見せたら夫はお前はさすがよくわかってるなとすごく喜んで、私が明日他のやつも持ってこようかと聞くと、夫はとりあえずこれでいい、またなんか欲しくなったらメール寄越すからと答えて、それから軽く深呼吸するとこれで安心して治療に専念できると言って笑った。そんな夫を見て私は「なんだ結構元気じゃん。メール読んだら今にも死にそうなこと書いているから心配したよ」と苛立ち紛れに皮肉を言ったけど、その途端夫は真面目な顔で私を見たのでまずいと思って口をぎゅっと閉じた。だが、夫はすぐに笑顔に戻って私にこう言った。

「考えすぎんだよお前は!俺が死ぬって時にあんな短文ですませるかよ。俺はちゃんと俺が死んだ後お前が何をすべきかきちんと、バカなお前にもわかるように書くに決まってるだろうが」

 とここで夫は話を一旦止めて再び真面目な顔に戻って話を続けた。

「だけどさ、俺がメールで書いたことは本当に思ってることなんだ。俺は今の自分の状況を総合的に見てるんだよ。俺の前には二つの坂道があって一つは死ぬ道で、もう一つは奇跡的に助かる道だ。俺はその坂道のどっちにも転んでも大丈夫なようにとにかく最善の方法を取りたいんだ。だから俺はお前にコイツらを持ってこいって書いたんだよ。こうしてコイツらを手元に置いておいたらどっちの覚悟もできるんだ。ひょっとした案外長く生きられるんじゃないかとか、でもやっぱりすぐ死ぬかもしれないからそれまでの時間をコイツらを見て我が身を振り返っておくとかさ。いい考えだろ?言ってみれば一石二鳥だよな」

 そう言って話しを終えると夫はいつものように鼻で笑った。私は夫がとにかく全てを諦めたわけではないんだと安心してそういう心構えが必要なのよと説教混じりに励ましたけど同時に夫は私を安心させるためにあえてこんな演技してるんじゃないかとも思った。

 二人ともそれからしばらく互いに黙ってすっかり日が暮れた空を見ていた。そうしてずっと空を見ていたらふいに夫が土曜日の手術の事を聞いてきた。「あのさ、今度の土曜日に手術あるだろ?お前それみんなに言ってねえよな。人工肛門の手術なんてみっともねえから誰にも知られたくないんだよ。だからあんまり人来てほしくないんだ」

「ねえ、お医者さんにも言われたでしょ?そういう偏見はよくないって。特にあなたは当事者なんだから自分を卑下したりするなって」

「うるせえな、みっともないというのは俺の勝手だろ?みっともねえものはみっともねえんだよ。それはともかくとしてさ……お前わかるだろ?こんな一時間もかからない手術にさ、みんなが生死を決する大手術みたいに大袈裟な顔して心配される俺の気持ちが。特にお袋だよ!あのババア俺がガンだって分かったらやたらピーピー泣きやがって!どうしてああも弱くなったかね。親父が死んだ時は全然平気だったのに。やっぱ年かね」

「またそんなこと言ってホント良くないよ。お母さんだってあなたの事を大切に思ってるんだから」

「それは勿論わかるよだけどさ……」とここで夫は言葉を詰まらせた。それから天井を見上げてまた続けた。

「お前も俺が愁嘆場が嫌いだって事わかるだろ?とにかく人に目の前で泣かれるのは嫌なんだよ。まぁお袋にはあんまり言えないけどさ」

 私はその夫の言葉に彼とお母さんの強い絆を感じた。なんだかんだ言っても彼とお母さんはお父さんを亡くしてからずっと二人きりで暮らしてきたのだ。

「そうだよね。あなたホントにそういうの嫌いだよね。ドラマとか映画ホント大嫌いだもんね」

 私は夫を和ませようと軽口を言った。すると夫は笑って「確かに俺はドラマとか映画とか小説とかあんなフィクションは全部大嫌いだ。あんなものに感動するやつは全員バカだぐらいに思っている」と返してきた。私はその夫の言葉に一緒に笑ったけど、それと同時に心の中でこう夫に話しかけていた。でもあなたそうブツクサ文句言いながらドラマとか映画とか一緒に全部観てくれたよね。あそこが悪いここが悪いなんて私の見落としてたシーン挙げるぐらい真剣に観てくれていたよね。それはきっと私に対するあなたの照れ隠しの優しさなんだよね。

 そうしてひとしきり話した後で私は夫に向かって「じゃあ今日は帰るね。明日また来るからそれまでになんか欲しい物とかあったらメールして」と言ってから帰り支度を始めた。すると夫は私を呼び止めて言った。

「昼間にメール送って悪かったな。今度からちゃんと就業時間の後にするよ。あのさ……お前今日会社早退しただろ?それって俺のメールが原因だよな」

 私は慌てて早退なんかしてない。ちゃんと定時まで働いたと嘘をついた。しかし夫は呆れたように私を見て言ってきた。

「おい、俺たち何年付き合ってると思ってるんだよ!お前のことなんかすぐにわかるんだよ!」

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