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文トレDAY47 文章とイジメの関係

すごい、出雲にいってからnoteを始めた。嫁の勧めもあり、一日1つ必ずnoteを書き続けた。すると、DAY33(10月31日) あたりから、不思議なことがおこった。私の職業のことを書こうとしているうちに、私の生い立ち、波瀾万丈な人生を書き始めることになる、アタマとココロと私の魂はこれを望んでいたのだろうか?猛烈な勢いで文章が洪水のように溢れ出てくる。私はそれを書き留める、今日は11月6日(月)だが、すでに第14話まで書き終えた、一話あたり約1800文字。5日で25,000文字を書いていた。

昔、何度か作家になりたいと思ったことがある。最初は私の物語にでてくる、UT、映像制作会社にいた時、知人のプロデューサーに打ち明けたことがある。適切なアドバイスはもらえなかったように記憶している。

いや、そのずっと以前、小学生のころ、文集みたいなものを書いていた記憶も蘇る。

本を読みことが好きで感想文をクラスのメンバーより多く掲示板に貼り付けていたことがあった。実は、本を読むのが好きだったわけじゃなかったのだと思う文章を書くのが、そしてそれを読んでもらうのが好きだったのだ。

それは、承認欲求なのかと思ったが、少しちがった。
チヤホヤされるのは苦手だ。

小5のころ私の文章が、先生に読まれた。
ある生徒が先生にしかられるとき、先生のメガネに外の風景が映ったそのシーンが、あまりに印象的だったのでそれをなにをおいても書きたいと思って書いた文章が先生の目にとまり、先生が読んでくれたのだ。

少し、有頂天になってしまったのかもしれない、そのあと、私はその生徒からひどいイジメにあうことになる。
書かなかったらよかった。その時、私はその怒られた生徒の心が傷つくことを全く考えていなかったのだ。(小5の私はそんなこと考えもしなかったが)
イジメが怖くて文章を書くのをやめた。
課題の提出があったしてもださなかった。

日の当たる場所は、そんな理由で苦手なのだ。

いつか忘れたけど、そろばん塾に通っていたことがある。成績が優秀で賞をもらえることができたんだけど、それを受け取らずに帰ることが何度かあった。
チヤホヤされるとその裏には必ずそれを良しと思わない人がいる。
その人のココロのことまで考えることはなかっだが、
褒められると、嬉しのだけれど、なにか、悪いことが起こるんじゃ無いか?
という猜疑心がめばえるのだ。

書いているうちに、チヤホヤされるのが嫌いな理由がはっきりした。
ココロの中にある栓が一つ外れた。そんな感じだ。


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