見出し画像

『影と向き合う』

「権力の所有は、理性の自由な判断をどうしてもそこなうことになる」

(『永遠平和のために』 イマヌエル・カント 著)


【ガザ地区にて】


 --2024年2月現在、イスラエルとパレスチナとの間で、ガザ地域にて軍事衝突が続いています。昨年に勃発。これが初のガザ地区での対立かと思いきや、過去数年にわたって、対立を繰り返し休戦。休戦をし、戦が再発--。このようにガザ地区は、軍事的な緊張下のもとにあります。

 悪いのはどちらか--。この善悪をつけてしまうのはある意味、恐ろしいことと思えます。というのも片側に与(くみ)してしまうのは分断をあおることになりかねないので。分断が深まれば深まるほど、対立の規模もおおきくなってしまいかねない。

 重要なのは、現状に目を向け「風化」させない心持ちだという思いを抱き、とてもセンシティヴな内容について、書いています。

 --戦争を憎んで人を憎まず。これが僕の基本姿勢です。「〜人が悪い。〜人は悪」といった話は、極論、戦争責任を明確化する手っ取り早い手段と思えます。同時に、手っ取り早い論で割り切ると全体像がみえにくくなってしまいかねません。

 アングルを変えてみると、敵対意識を抱く恐れをもはらんでいます。その意識が差別につながる、悪しき可能性を秘めているとも、付け加えます。戦争の責任の所在を突き止めるのは、至極難しい、とりわけ、戦時下においては困難。その中で、指をさすと感情が乱れるようにも思えます。

 それより、軍事的な交戦そのものに抗(あらが)う、もしくは風化させないことに、意義があると僕は思います。「戦争の話を放棄することは戦争に加担するのと同じ」--こう伝えてくれたのは、イスラエル人です。パレスチナの軍事侵攻に対して、反対の立場をとるイスラエル「」もいると念頭に置いていただきたく思います。

 確かに、パレスチナに対して好戦的な、イスラエル人は多いでしょう。半面、少数であれ反対派がいる--ここに僕は希望を見出します。

【終わらない戦】

 イスラエル対パレスチナ(自治区)の戦。ガザ地区で初の軍事衝突かというと、それは違うと僕は答えます。

 "FATALITIES"とは「死亡者」を示します。右側中央の縦グラフに注目。
15年はパレスチナの死者数が2,329に上ります。9年前にも、また、それ以前--OHCAのグラフでは08年から--にも、イスラエルの攻撃を受け、死亡したパレスチナ人がいるのです。

OCHA出典

 何が問題か--。

 この戦争自体が構造的なものであるという点です。つまるところ、解決していないのです。なにが原因でこんなにも複雑化、かつ長期化しているのかについて、さまざまな見解があります。

 自分なりの考えを述べます。

 第一にオスロ合意(1993年にイスラエルとパレスチナ解放機構とで締結)のもと、パレスチナは「自治区」となっています。独立国家ではないのです。

 自治区とは--「国家としての自立は承認されないが,民族としての自治は認められている,一定の地域」となっています(スーパー大辞林より)。同辞書には「自治の範囲をめぐって紛争となることが多い」とも記載されています。

 この軋轢(あつれき)が長引いているのでしょうか。続けて、パレスチナの地図を見ると、違和感を覚えます。「国家としての自立は承認されない」地域がイスラエルのなかに、ポツンと置かれているように映ります。

外務省より引用)

 このように、イスラエルが有利に、パレスチナが不利になるような国家統治の在り方が、繰り返される戦争の一因となっているのではないのでしょうか。

 軍事衝突のたびにどちらが火蓋を切ったのか--この点は目が向けられやすいのではないでしょうか。パレスチナの武装組織「ハマス」が先制、もしくはイスラエル側が、攻撃を始めた説--正確に根源を理解するのは現地人でない、アジア圏に住む人間にとっては、難しいです。

 少なくとも、問題となるもう一つにの要因に、独立国家のなかに自治区があることが挙げられるのではないでしょうか。パレスチナは包囲された「占領」下にあるとも拡大解釈できます。

【いびつな国家樹立】


 "On November 29, 1947 the United Nations adopted Resolution 181 (also known as the Partition Resolution) that would divide Great Britain’s former Palestinian mandate into Jewish and Arab states in May 1948 when the British mandate was scheduled to end. Under the resolution, the area of religious significance surrounding Jerusalem would remain a corpus separatum under international control administered by the United Nations."
Office of the Historian, Foreign Service Instituteより引用)

 "Resolution 181"は「パレスチナ分割決議」と訳されます。上記の英文を大まかにまとめると、①1947年に国際連合が「パレスチナ分割決議」を採択②イギリスの統治命令が48年に無効化③宗教上重要な、エルサレム地域は国連の国際的な管理下で「*コーパス・セパラタム」となる。--まとめると、このように読めます。

 *注:コーパス・セパラタムとは分離した状態のこと。しっくりこないと思うので「エルサレム」の分離した実態と捉えるのが、イスラエル対パレスチナ問題を把握するうえで、腑に落ちやすいかもしれません(Weblio辞書参照)。

 つまり「エルサレム」はどちらの国の領土なのか、不明瞭なまま。イスラエルが自国領土と宣言出来もしますし、パレスチナがそうと宣言出来もします。このあいまいさから対立が長期化しているのではないのでしょうか。

 エルサレムをめぐって、米国や国連がイスラエル側に益となるように、根回ししている、とも解釈出来そうです。ゆえにパレスチナは攻撃対象になりやすい。報復が繰り返される以上、両者の対立は止まないのではないのでしょうか。

 「誤ち」を繰り返す--。この構造はおそらく、何世紀も変わっていないのではないのでしょうか。

 人道的な良心と、諍(いさか)いを根本からなくす理性を持てるのか。この究極な課題を克服出来るのか、試されているのかもしれません。

【踏み込んで】

 ここまで話を展開していたら、どれほど根深い問題なのか考えさせられます。かといって、無関心でいられるかというと、違和感を抱きます。もどかしいのです。

 個人レベルでできることはなにか--。

 実際にイスラエル人・パレスチナ人の意見や考えを汲み取ること。これは、かなり勇気のいるアクションだと思います。ましてや戦時下です。その段で「戦争についてどう考えている?」と訊くのは、煙たがられる可能性が高すぎます。

 ですが身近にできることといえば、それくらいしか思い浮かびません。文献などで歴史を吸収し、根源はなににあるのかをまとめるのも意義があると考えます。一方「実際の体感度」を理解するよう努める姿勢も大切にしたいです。

 僕なりの答です。また理想論に他なりませんので、あらかじめご了承ください。デモなどの方法もあります。参加が難しければ、自分の範囲内でできることを見つければいいだけなのではないのでしょうか。

 冒頭の話に戻ります。

 「戦争の話を放棄することは戦争に加担するのと同じ」--。これがイスラエル人の声です。イスラエルは加害国ともとれます。ただ、人レベルでの対話を重ねてゆく姿勢が、国際的な緊張感を和らげる一歩に近づけるのではないのでしょうか。

【戦争の怨恨】

 現在進行形で日本から離れた中東にて、軍事合戦が繰り広げられています。軍の蛮行は凄惨極まりないです。平時では、人を殺められない兵士たちが、相対する国のそれを攻撃すれば、ヒーローになれるのかもしれません。そう錯覚しかねません。

 ところが、です。

 戦争に馴染んで活躍できた実績があったとしても、戦後の「平時」でその兵力を生かすことは難しいのではないのでしょうか。進行中の戦が残す負の遺産は大きすぎると、時に心が痛みます。

 米国の例を。

 心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しむ退役兵人は一定数いると思われます。退役兵人のPTSD治療センター、U.S. Department of Veterans Affairsもあります。それだけ兵士の抱える、戦後のトラウマは大きい--この点が肝要と思えます。

 国家主導の戦が国民の居場所を失わせる--。戦争の負の側面を見出せます。日本の過去の過ちにも目を向けます。

 両親から聞いた話--。

 戦後の日本には上肢、または下肢を失った方がたが路上にいたとのこと。差別用語になりかねませんが、当時で言う「物乞い」だったそう。路頭に迷う人がいた。

 その光景はグロテスクだったそうです。もしかしたら、イスラエルかパレスチナにそのような「失ってしまった」人たちがいるのかもしれません。

 そのことが頭によぎると、善悪ではなく、戦争がどれほどネガティヴな影響をもたらすのか想像してしまいます。嫌悪しかありません。

 人類は進化していないのではないのでしょうか。

 戦争--人類はいまだに武器で争いごとを解決(しようと)しています。進化したのは、軍事用の武器です。

 人間の野蛮な思考力が過ちをなんども犯していると、訴えかけます。

【増強大国】

 「キナくさい」状況にあります。ウクライナ情勢、ガザ・エルサレムや他地域での紛争など、国際規模で好戦的な士気が高まっているように思えるのです。

 軌を一にするかのように、日本を含む先進国をはじめ、海外でも軍事予算が上り調子にあります。具体的に--。

 日本は2024年度に軍事予算を10%増(23年度3%増)、台湾は23年に19%増、続いて、ウクライナは8・7倍増(日本経済新聞2月14日付)と増強に突き進んでいる様子です。

 軍事力に充てる予算を増額するメリットはもちろんあるでしょう。自国防衛力の強化が、僕のなかですぐに思い浮かびます。ほかにもあるのでしょうが、あまり想像力が及びません。

 確かに、軍需がもたらす経済効果は大きいでしょう。戦後日本の高度経済成長期に、景気を底上げしたのは軍事産業なのかもしれません。朝鮮戦争時の武器輸出によって、支えられたとも解釈できそうですね。

 半面、武器使用の最終目的は人を殺めることにある--この点も留意したいところ。足並みを揃えて、各国が「死の商人」になりつつある様相にから、暗い未来を想像してしまいます。

 ましてやあちらこちらで有事の緊張下のさなかに増額・増強することで、戦争の気運を高めてしまいかねない。これが僕なりの見方です。

 「どの国」に輸出するかで、国際的な対立はより一層深刻になるのでは、とも問いかけたい。軍事対立をより加速させる要因となる気がするのです。

【日本経済の分岐】

 上記の通り他国が武器商人へと化しているように映ります。

 ところで、です。日本は国内総生産(GDP)が3位から4位に下がりました(2月15日付)。失速とも言えそうです。

 ここからは拡大解釈になります。

 転落したのは残念です。かといって軍需がGDPをふたたび、GDPを押し上げるとも想像しがたいです--海外諸国、とりわけ先進国が軍事予算および軍需を底上げしている状況下です。日本は原則、武器輸出に制約があります(「武器輸出三原則等」に基づいて)。

 となると、輸出大国に日本はなりにくい。輸出に制約がある以上、軍事力の増強がGDPを後押しするとも考えにくいです。私見ですが、そこに予算を割くより別の産業や分野に、予算を充て内需を活発化させるのが良いのでは、と考えてしまいます。

 具体的に挙げるのは、これまた難しいのですが…

 制約下に逆行する動きが見られます。日本・英国・イタリアの三国共同で「『国際協力を視野に我が国主導の開発』との方針のもと、協議を進め」次期戦闘機の開発にかじを切っています(防衛省・自衛隊より引用)。

【結び】

 ここまでの流れで、人類の叡智は武器開発に使われていると思えます。武器は進化。一方で平和実現のために、戦争をけしかける。

 この思考は何世紀も変わらないように思えます。変化できるのか、あるいは「進化」できるのか--。

 世界的に、また、歴史的にも、人類がどう平和を実現するか--。
 人類が誤ちを繰り返すか、真の和平へ進むのか、試されている分岐点にあるのかもしれません。

        ()

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?