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勤めると働くは少し違う

勤めるのは会社。働くは会社を含んだ社会全体で自分ができることをするってことだと定義します。って考えると、やりがい・好きじゃなくて大して社会の役に立ってないって感じる仕事、いつまで続けるの?そういう思いが出てきませんか、私はまさに最近そう感じています。

社会に出たら…なんて言葉を聞きますが、それは本当に”社会”のことなんでしょうか。私は、社会という言葉を使う人の半分は”会社”に置き換えて話してしまっているのでは?と感じます。

もっというと、ある限定的な状況での話を大きな社会という枠組みで語ってしまっているのではないかと推測しています。

目的・目標と自分


 入社した当時は、会社に入り働くのが普通だと思い月並みでいいから社会の役に立ちたい、お金を得て自立した生活を送りたい、なんて漠然としたことを考えていました。現状、私はどういう目標を持っているか、というと…。

 家族との時間をもっと作りたい

 だってそうじゃないですか、会社に非常に貢献するのも大切ですけど、一番自分が何に重きを置いてあるかというとやっぱり家族なんですよね。

 ただ、お金が十分にあって、お金を得られなくても十分生活ができるってときに、それでもこの会社で働きたい!って思える人は本物の企業人だとは思います。

 が、私はそんな気はありません。私は、お金が十分に得られたら家族で過ごすってことと、直接的に誰かの役に立ちたいと考えます。それは、会社の看板を背負った自分というのではなく、自分という個人の責任と実力で収入を得たい、そう考えるからです。

 会社の看板持ってかれた瞬間、自分に何ができるかを考えると…現状であればゾッとしてしまいます、何もできないだろう自分に。

今できることは今する


 勉強って、どんなことを指すんでしょうか。勉強って、会社の業務、学校の教科のことだけを言うんでしょうか。

 いや、違いますよね。おそらく勉強が本来持っていた意味は、自分が興味のあることを学ぶこと、自分の目標を実現するために学ぶべきこと、ってものだと思うんです。妄想だったらすみません。

 なので、もちろん職場でしかできない経験もあるし、勉強もあるでしょうし。職場での収入をあげようと思ったら業務の勉強をするか、人間関係を円滑にして上を目指すか、なんてことが考えられると思います。

 でも、一生職場でしか収入、やりがいを得られない人になりたくはないな、と思います。会社のネームバリューに頼って仕事するのは、さながらブランドもので着飾って自分の価値が上がっている自称お洒落さんと通じるところがあるとすら考えてしまいます。

 どんなラフなTシャツにジーパンでも、自分似合っていると、あの人なんかセンスいいね、いい仕事するね、なんて言われるんじゃないでしょうか。

自分の強みを探す、伸ばす


 人は持ち点が100点あるとしたら、その100点を割り振るか、割り振られているかだと思うんです。例えば、私だったら身長低いし運動できないから、そこの配点は元々低く設定されているはずです。

 反対に、書くのが好き、音楽が好き、片付けが好きってのは自分が100点のうち多くを配分したいなと考えている部分です。やっぱり、自分の強みってのは、自分の好きからくるものが多いんじゃないかな。あと、好きなら続けやすいですしね。

いつか遠くへ

 飲み会で、日々の不満を語り合う時間の過ごし方から、自分の好きなことをして過ごせるようになりました。コロナ禍の副産物ですね。

だからこそ、今だからこそ、できることがあるはずです。

 どうせ必死になって向き合うなら自分が納得できる形で働きたい。そのために、今、すべきことは山ほどあるんでしょうね。

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