見出し画像

「論語」から、中国デジタルトランスフォーメーションを謎解きしてみよう。第96回

本シリーズのメインテーマは「論語」に現代的な解釈を与えること。そしてサブストーリーが、中国のDX(デジタルトランスフォーメーション)の分析です。中国の2010年代は、DXが革命的に進行しました。きっと後世、大きな研究対象となるでしょう。その先駆けを意識しています。また、この間、日本は何をしていたのか、についても考察したいと思います。
 
顔淵十二の二十二~二十三
 
顔淵十二の二十二
 
『燓遅問仁。子曰、愛人。問知、子曰、知人。燓遅未達。子曰、挙直錯諸在、能使枉者直。燓遅退、見子夏曰、郷也吾見於夫子而問知。子曰、挙直錯諸枉、能使枉者直。何謂也。子夏曰、富哉是言乎。舜有天下、選於衆挙阜陶、不仁者遠矣。湯有天下、選於衆挙伊尹、不仁者遠矣』
 
燓遅が仁について質問した。孔子曰く、「人を愛することだ。」知について質問した。孔子曰く。「人を知ることだ。」燓遅は理解できずにいる。孔子曰く、「まっすぐな人物を。曲がった人物の上に置けば、曲がった人物をまっすぐにさせることができる。」燓遅は退出して子夏に聞いた。「先生の言う意味は、どういうことか。」子夏曰く、「この言葉には、豊富な意味がある。舜が天下を治めたとき、阜陶を登用したので、仁なき者は遠ざかった。湯が天下を治めたとき、伊尹を登用したので、仁なき者は遠ざかった。」
 
(現代中国的解釈)
 
アリババ最大の発明品、双11(11月11日独身の日セール)が迫ってきた。今年は“3匹のおっさん”に注目が集まっている。李佳琦、羅永吉、兪敏洪の3人である。今年のライブコマースの主役たちだ。アリババの徳(得?に引かれて集まってきた。
 
(サブストーリー)
 
李佳琦は1992年生まれ、おっさんには少し遠い。ロレアル化粧品の美容部員から、一躍アリババのライブコマースプラットフォーム「淘宝直播」の看板スターにのし上がる。“口紅王子”の異名を取り、女王・微婭とともにライブコマース「一姉一兄」とも称された現在、微婭は脱税のカドで、パフォーマンス自粛を続けている。李佳琦も109日間、ライブを自粛して、復帰を果たしたばかりで、その復帰は、“王者帰来”と称された。女王・微婭双11復帰はなさそうで、その代わり2人のおっさんが期待されている。
 
羅永吉は1972年生まれ。ネット辞書には、企業家・演説家とある。学歴は高校中退だが、2000年、新東方学校の校長・兪敏洪に求職の手紙を書き、翌年、講師に採用される。ユーモラスで理想主義的な彼の講義は評判を呼び、海賊版がネット上に流布、“老羅語録”として文化現象にまでなる。2006年には新東方を退社、起業を始める。同年「牛博網」をリリース、2008年には、北京市海淀区至聖嘉徳培訓学校を設立。さらに2012年には錘子科技を創業。こうした活動により羅永吉は、すっかり有名人となった。その知名度を生かし、ライブコマースに乗り出した。バイトダンスの抖音(海外名TikTok)プラットフォームを利用、2020年4月1日午后8時、ライブコマースを開始すると、4800万人が視聴、1億1000万元を売った。その後4月~11月までの間、累計19億1600万元を売り上げた。有名人によるライブコマース、「直播滞貨」の象徴となる。
 
もう一人の兪敏洪は、前述の通り、羅永吉が世に出るきっかけを作った。1962年生まれ、2浪して北京大学スペイン語科に入学、卒業後、大学に教員としてとどまる。6年後の1991年、北京大学をやめ、社会訓練学校へ移る。その2年後。「北京新東方学校」を設立した。
順調に発展し2003年、新東方教育集団に改組、理事長兼総裁に就任。2006年には米国ナスダック市場へ上場、中国を代表する教育企業となる。2021年7月、中国政府は「双減政策」を打ち出し。宿題と学習塾負担の軽減を求め、教育企業には、大打撃となった。そこで新東方は時流に合わせ、ライブコマースプラットフォーム「東方甄選」を立上げた。これが爆発的な支持を受け、その勢いのまま、今度はライブコマース界の本丸、淘宝直播へ乗り込む。とりあえずアリババの徳は、有力者の招聘に成功した。結果が注目される。
 
顔淵十二の二十三
 
『子貢問友。子曰、忠告而善道之、不可則止。母自辱焉。』
 
子貢が友人について問うた。孔子曰く、「忠告して善導し合うのが友の道だ。しかし、それが受け入れられないなら、一旦休もう。無理をしてこちらまで、辱められてはいけない。
 
(現代中国的解釈)
 
友人と共同で会社を立ち上げる例は多い。例えばIT巨頭テンセントは、馬化騰を中心とする5人の仲間による共同創業業であった。そのテンセントに迫ろうとしているのが、抖音(TikTok)や、ニュースサイト「今日頭条」を運営する字節跳動(バイトダンス)である。同社では2021年5月、創業者・張一鳴が、まだ38歳の若さでCEOを退いたが、その座を引き継いだのは、共同創業者の梁汝波だった。張一鳴は実務を離れ、将来ビジョンに専念する。
 
(サブストーリー)
 
張一鳴は1983年、福建省・龍岩市生まれ。2005年天津南開大学ソフトウエア工程卒業。梁汝波は同じく2005年、南開大学マイクロエレクトロニクス卒業。周恩来が在籍したことで有名な南開大学は、改革開放以後、理科系総合大学を目指してきた。その風土をまとった“技術オタク”の2人は卒業と同時に起業しまくる。一緒に立ち上げた不動産検索サイト「九九房」はかなりの成功を治めた。そこを辞し、2011年、バイトダンスを起業したが、これは張一鳴にとって5度めの創業だった。
 
最初の事業は、ニュースサイト「今日頭条」だった。アルゴリズム重視の記事提供で、業界トップクラスへ上る。大飛躍のきっかけは2017年、リップシンクの15秒ミュージックビデオMusical,lyの買収だった。やがて自ら立ち上げていたTiktokと統合、世界のトップアプリとなる。米中摩擦の象徴となり、トランプ前米国大統領からさんざん攻撃されたとき、まだ設立8年、創業メンバーは36歳に過ぎなかった。
 
昨年11月、新体制になって半年、梁汝波は組織を、抖音、大力教育、飛書、火山引擎、ゲーム、TilTokの6大業務に分けた。国内版が抖音、海外版がTikTpkとされていたが、業務上は分離した。創業以来、最大の組織改革という。これによりバイトダンスは、これまでの多方面作戦の拡大路線から、深堀りと戦略的縮小に変わる、と指摘された。
 
しかし、関連ニュースは相変わらず活発だ。たとえばバイトダンスは2018年にフォト修正の「Faceu激萌を買収、今日頭条に趣味サークル「飛聊」を設置するなど、SNSの展開に執着してきた。2019年、期待を込めてSNS「多閃」をリリースしたが、うまく発展しなかった。2022年1月発表のメタバース向け「波対島」も知らぬ間に消滅。そして直近では「飛聊」も閉鎖する。何をやっても微博や微信の牙城は崩せない。しかし、積極的なスクラップ&ビルドを続け、企業活力は十分に見える。創業者の友の道は、強固なようである


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?