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心残り(前編)

「あんなろくでもない世の中に産み落としやがってお前は母親ヅラをするな!それとお前だ!てめぇみてぇな馬鹿が何が父親だ!ふざけるな!」
女の怒鳴り声で目が覚めた。
私は石積みの苦行に疲れ果てて賽の河原で横になって寝ていた。
そこに大きな罵り声がキンキン響き渡った。
「アタシはお前らにされたことを決してゆるさない。ゆるされると思うな。何もかもお前らのせいだ。」
見ると川のほとりに若い女がいた。
女の足元にぼろきれが2つ転がっている。
女はぼろきれに向かって怒鳴っている。
(何だ、なんだ)
私は野次馬根性を丸出しにして近づいて行った。
すると近くの石に奪衣婆も腰かけて煙管で
煙草を吸いながら若い女を見ていた。
(あれは何だ?)
私は婆に目で問いかけた。
「あれはな、」
婆は煙を吐き出して言った。
「生前、親に虐待されて育った娘が地獄で両親に出会っちまったのさ。怨みのあまり地獄で親を苦しめずにいられなかったんだろう。そしたらあの子は自分が鬼になっちまった。無惨だねぇ。」
私はまたその女とぼろきれの塊を見た。
よく見るとぼろきれだと思ったのは人間だった。
老人の男女が薄汚い布を身体に巻いて横たわっているのだ。
その人らは鎖でぐるぐる巻きにされていて逃げられないようになっている。
私はなんだか嫌なものを見ちゃったなぁと暗い気持ちになった。
「あんな事をしても復讐にはならないだろう?地獄が長引くだけなのに。怨みに囚われ、憎しみに絡め取られ、とうとうあの子自身が鬼になってしまったんだよ。あの子の人生であれしか残らなかったんだよ。かわいそうに。」
婆がしんみりした声で言った。
私はその女がぼろきれの両親を蹴っ飛ばし、更に罵るのを見ていたが、ふと自分の父親を思い出し、母親も思い出した。
またいや〜な気分になった…。
(私はもう親の事はどうでもいい。何とも思いようがないからな…。石をひとつ積んでは父の為、もうひとつ積んでは母の為…。)
私は泣きたくなった。
鼻がツーンとして目に涙が溜まった。
「あんた、泣いているのかい?あぁ、あんたにはあの光景は刺激が強すぎた。嫌なものを見せてしまった。さっあっちへ行こう。」
婆は私の肩を抱き、鬼になった女とぼろきれの親から顔を背けた。
私はボロボロ涙を流しながら婆に連れられ地獄の荒野をとぼとぼと歩いた。
どうして死んでまであんな思いにとらわれて鬼にならねばならぬのか。
業というにはあまりに酷い。
なぜあの子は生まれ出で、その親から虐待を受けねばならなかったのだ。
そしてこの世から離れてあの世に来てまで親への思いから離れられないのだ。
私は声を上げて泣きたかった。
どうにも苦しくやり切れない。
今ほど自分が声を出せない事が恨めしい事はなかった。苦しい。
あの人達はずっと地獄で暮らすのだろうか。
鬼になり、人ではなくなり、怨みと憎しみだけで。
私は黙ってボロボロ涙を流しつらかった。
婆は私を慰めるように私の手を握った。
「地獄で苦しみ抜いた者が行き着く場所がある。お前にそれを見せてやる。」
婆は私の手をひき、私のまだ知らぬ山道へと足を向けた。
細いけもの道を行く、灰色の枯れ木の山だがどこかで獣の唸り声がするので私は怯えた。
「大丈夫じゃ。わたしがいれば獣に襲われる心配はない。むごい地獄の行の中誰しも生まれ変わりたいと願う時が来る。しかし、人間世界に生まれ変わらず何百年も地獄で仏像を彫り続けている爺さんがいる。もとは人間だったが爺さんはもう仏に近いような存在になった。地獄にこそ救いは必要だ。爺さんは仏像を彫ることが存在のすべてだから転生する必要はないと自ら地獄を選び、地獄を彷徨いぬいて苦しむ魂を救っているのさ。」

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