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あなたの好き嫌いはなんですか?第26回

泉は前橋駅を出てけやき並木を見上げながら歩いた。
緑が陽に透けてきれいだった。
泣き尽くして母の毒が少し抜けたような気がした。
母の存在は拭っても拭っても落ちない汚れのように泉の心に染みついていた。
今までは母の言葉が事あるごとに泉を支配していた。
でも、それももう終わり。
私は勝手に生きていく。
あのひとにはもう二度と関わるまい。
私は「いい子」なんかじゃない。
私は薄情でいいよ。
お母さんの都合のよい子供でなんかいられない。
さようなら。
お母さん。
赤信号で立ち止まる。
そばのインドカレー屋からたまらなく美味しそうなカレーの匂いが漂ってくる。
そうだ、アパートに帰る前にスーパーでお弁当でも買おうかな。
電車の中で駅弁食べてる外国の人の釜めしがすっごく美味しそうに見えたなあ。
やっぱり日本に来たら駅弁は食べてもらいたいよね。日本人は駅弁で旅情を満喫するんですよ。各地に名物の食材があってデパートで駅弁大会とかやるんですよ。
ああ、お腹空いた。
泉がぼんやり考えていると、
「泉さん?」と名前を呼ばれた。
隣に立っている人をみると捨吉だった。
「あっ。捨吉さん」
昨日知りあった捨吉だった。
「やっぱり泉さんか。別の人だったらどうしようかと思って見てたんだけどやっぱり泉だった」
それほど親しくないので気軽に声を掛けようかしばらく悩んだ。と捨吉は言った。
泉は昨日のことがはるか昔の出来事のような気がした。
「いなり寿司すっごくおいしかったです」
信号が青になった。
泉と捨吉は並んで歩き出した。
「俺、今日はおっさんの見舞いに行ってきたんだ。病院の飯がまずいから差し入れ持って来いってうるさくてさー」
「じゃ病院の帰りなんですね。私も高崎の病院行って来た帰り」
「あ、病院行ってきたの。どっか悪くて?高崎の病院て」
「いえ、母が入院して」
「そうなんだ」
捨吉が神妙な顔をしたので、
「あっ、でも深刻な病気じゃなかったんですよ。食中毒だって」
泉は言った。
「ああ、食中毒なあ」
「全然、大したことなくってすごく元気でした」
「じゃあ、よかったね」
「いえ、喧嘩しました」
「はあ、」
「私、お母さんに会うの13年ぶりだったんだけど、自分勝手なのは相変わらずでした」
「そっか。自分勝手な親は困るよな。俺の母親もすげー自分勝手だったわ」
捨吉がうなずいた。
「それで、お母さんなんか死んじゃえ!って叫んで逃げてきました」
泉が言うと捨吉はおかしそうに笑った。
その顔を見て泉は救われたような気がした。
捨吉は言う。
「俺の母親は俺を産んですぐいなくなっちゃったんだ。ある日親父が面会に行くと産院から消えてたんだって。産んではみたけど育てるのが嫌んなっちゃったらしい」
「それは、ひどい」
「ひどいんだよ。親父もやけくそになっちゃてさ。母親に捨てられた子供だから捨吉って俺に名付けたんだと。最悪だよ」
泉は言葉がなかった。
捨吉の両親はなんという親達なのだろう。
責任や愛情というものが欠落しているのだろうか。
捨吉を見て泉は切なくなった。

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