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5月の日のしたに

5月。風薫り青葉輝く季節だ。
しかし私の心はうつろだ。
私は川辺で野草摘みでもしようと握り飯を作った。
弁当持ちで野にでるのは楽しい。
それとは別に家には居られないので逃げようという気持ちもある。
家中が酒臭い。
酒臭いのと親父の体臭で甘ったるい腐った匂いがぷんぷんしている。
昨日の夜、いつもの事だが父が母に難癖をつけて飯茶碗や豚の角煮の鉢をぶん投げた。
あたりに散乱する飯粒や角煮の汁。
それを見て母は逆止して「この馬鹿野郎!誰が片付けるんだよ!」と立ち上がると拳で父の頭を殴った。鈍い音がした。父は酒を飲みすぎて足腰が立たないので「女のくせに何するんだや!てめぇ俺を殺す気か!」とでかい声で母を威嚇した。
父はよく食卓の飯茶碗やおかずを母への嫌がらせとしてぶちまけるが1度として自ら片付けたことがない。
私は割れた茶碗や角煮の残骸を踏まないように後ずさりしながら夫婦から遠ざかって逃げた。家の中にいたくなかった。
その日は私は物置き小屋でひとりで寝た。
昼近く目覚めて家に行ってみると母はいなかった。
父のいびきを聞きながら台所で大根の味噌漬けを刻み、それを具にして握り飯を作り、
そうっと家を出た。

川辺の草むらでボーッとしていると、向こうから麦わら帽子をかぶった逸治さんが歩いてきた。
「おおい、あやちゃんお父さんまた酔っ払ってんなあ。」
「おじさん。」
逸治さんは父の仕事仲間だ。

逸治さんは私のそばの石に腰を下ろすと胸ポケットから煙草を取り出した。
「お母さんはどうした?」
「どっか行った。」
「ふぅん。またか。」
逸治さんは煙草にライターで火をつけるとうまそうに煙を吐いた。
「あぁそうだ。ジュース飲むか。」
逸治さんは持っていたビニール袋から紙パックのジュースを私に見せた。
「好きなん飲みな。ほら。」
逸治さんはウーロン茶を取り出してからビニール袋を私に持たせた。
中をのぞくとオレンジジュースやりんごジュースと板チョコやポテトチップスが入っていた。ハーシーのキスチョコという外国のチョコにポッキーというおいしいお菓子まで。
「お菓子だ!おじさんありがとう。」
私は感激してビニール袋をガサガサいわせた。
「あーきのこの山もある!すごーい。」
私はお菓子に飢えていた。
逸治さんはウーロン茶を飲みながらにこにこ私を見ていた。
さっそく私もりんごジュースにストローをさして飲んだ。りんご100%のジュースは甘くておいしく一気に全部飲んでしまいそうだ。
そろそろ太陽が頭の真上に来ているので昼時になるだろうと思っていると昼のサイレンが鳴った。
「あー昼だね。おじさん。握り飯があるよ。一緒に食べよう。お菓子もらったお礼だよ。」
私はうきうきしてきた。
ひとりでうつむいて握り飯を食うより、連れがいたほうが断然楽しい。お菓子もあるし。
自分の親よりよその大人の方が優しくて好きだ。
母に言わせればよその人間はたまにしか会わないから子供に対して優しい顔ができるのだそうだ。毎日、自分の子供と一緒にいてみろ、うっとおしいと母は言う。
私はよく母に嫌味を言われるが、それは毎日顔を会わしている私の存在が母をうんざりさせているかららしい。
逸治さんはにこにこして、
「あやちゃんが作ったのならもらうかな。」と言ってくれたので、私はアルミホイルに包んだ握り飯をリュックから取り出した。
もしもの時の為に握り飯は4つ作ってきた。
「中身は味噌漬けだよ。」
逸治さんはアルミホイルをひらいて海苔で包んだ握り飯にかぶりついた。
「おっうまいなぁ。塩加減がいいなぁ。おじさんひさしぶりにうまい握り飯を食べたよ。」
「おいしい?本当?よかった〜。この前私がご飯作っても誰も食ってくれないから犬にやったよ。犬は喜んで食ったよ。」
「おじさんはよくコンビニで握り飯買うけどさ、味気ないよ。あやちゃんの握り飯はうまいよ。ありがとう。」
私達は握り飯を食い、お菓子も食べた。
「私、チョコなんてひさしぶりに食べた。甘い物なんて食べたくても家にないから。お母さんに甘い物食べたいって言うと砂糖でも舐めてろって言われておわり。」
「そうか。確かに砂糖は甘いもんなぁ。じゃお菓子大事に少しづつ食いなよ。」
「こんなにいっぱいお菓子あったらしばらく持つよ。おじさん本当にありがとう。」
逸治さんは食後の一服をして、目を細めうまそうに煙を吐いた。
「さて、そろそろ行くか。あやちゃんご馳走さま。」と帰って行った。
私は板チョコの甘さに頭の芯が酔ったようになり、ぼんやりしていると、突然何かが刺すように記憶に痛みのようなものがし込んだ。

…逸治さんは去年事故で死んだではないか…。
「逸治さんが死んだ」と父が嘆き、半月くらい酒浸りになって大変だったではないか。
母が怒り、「そんなに悲しいならてめぇも死ね!」と父を罵倒したではないか。

私は口の中のチョコの甘さが信じられなかった。チョコは確かにここにある。
正しくない方は私自身なのか?
陽を浴びながら私は自身の存在を疑った。

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