見出し画像

個性捨てたら死んでるのと一緒だよ

はろーこんにちわ。
takiです。

個性ってなんでしょうか。

あ、これはファッションの話です。
でもある意味軸がファッションなだけで違うかもしれません。
ファッションを軸にした哲学のお話かもしれません。

個性ってなんでしょうか。
ファッションにおける個性ってなんでしょうか。
今日は真剣に考察、述べていきたいと思います。


1.個性とは?

1.
他の人とちがった、その人特有の性質・性格。個人の特性。
2.
個体に特有の性質。

Google日本語辞書

一般的には個性とは上記のような意味を持ちます。
まぁ今回は1番を軸に述べることになるでしょうか。

日本語はその単語一つ一つに多くの意味があり、多くの捉え方をすることができる。難しくて、でも繊細で面白い言語です。
たくさんの言語がある中で唯一無二の存在だと思います。
その中でも『個性』という言葉は特に様々な捉え方や感じ方があるのではないでしょうか。

人によっては普段「個性あるね」「個性強いね」「個性的だね」という言葉を多く聞く機会があるが、正直その言葉にしっくりこない。かと言って言われたら嬉しくないわけではないが。という人も中にはいるのかもしれません。
私はどちらかと言えばそっち派です。
しっくりはしない。けど、悪くはない。

個性とは私なりの解釈では「その人の本質」だと思います。
要するに「自分らしさ」です。

だから、モノ珍しいものではないし、ある特定の人が強いものではないと考える。

流行に左右されない自分だけのスタイルを持っていたり、一方で他人にはあまり興味を示さなかったり、客観的に物事を見つめ、観察している人、一線を引いた関係を築きたい人もいます。
みんなそれぞれが独自の意見を持っていて個性となり得るわけです。
全員がある意味で個性的な人と言えます。

そのような個性は今まで体験してきたことや感じてきたことなどで変化していくと考えています。
旅行に行って多くの人と出会って知らない人と関わったり、家でゲームしたり、友達と飲みに行ったり、
身の回りの環境や、自分から踏み出して得た体験などが元になってその人の「個性」が創られると。

普段、初見の状態から「この人個性的だな」と感じるまでに何秒あるいは何日かかりますか?

外見…ファッションや髪型などで目立つ要素があれば、あるいは何かオーラを感じたということがあれば一瞬でしょうが、内面的なところの個性を感じるまでにはその人と接しなければいけないはずです。
そしてベットとかソファとかでゴロゴロしててふっと気づいたらあいつ個性的だよな…となるでしょう。

結局みんな個性的なのです。

では、ここからが本題です。
ファッションにおける個性とはなんでしょうか?



2.ファッションにおける個性とは?

まず、”無個性なファッションをしている人”は見出し1での内容を踏まえると例えGUやユニクロを着ていようが、バレンシアガやコムデギャルソンを着ていようが、その着ている人の個性を感じることが出来ていないから量産型、無個性だと感じる。という結論に辿り着きます。

外見的な個性、ぱっと見で分かりやすい個性でないと無個性な人、あるいはその辺にいくらでもいるような量産型ファッションだと感じるかもしれません。

ですが、そもそもパッと見で分かりやすい個性でないといけないのでしょうか?

先ほど、個性とはその人の本質。その人らしさ。自分らしさ。と定義しました。

無理矢理好きでもないド派手なファッションして気取ってもそれは個性的でカッコイイものと言えるのでしょうか?
むしろそれは「自分らしさ」つまり個性を捨てた、ただ背伸びしているだけの人ではないでしょうか。
いや、その背伸びですら見せかけで、むしろ無個性なのかもしれません。

その無個性さは自分自身に嘘をついた自分の首を苦しめるものになり得ます。
そんなの楽しくないですよ。

では個性的であるファッションをするにはどうしたらいいのでしょうか。

これは服好きにとっては窮極の問題の1つです。
誰もが個性的でいたいと思うと思います(少なくとも服好きは)。

人と違う服を着る。
誰も持っていない服を着る。
自分自身で生み出してしまう。

色々な意見があると思います。
正解は様々です。

ですが、もうどの正解にも共通する答えは出ています。


3.個性を捨てたら死んでるのと一緒だよ

「自分らしさ」を考え究極なまでに追求し、好きな服を好きなスタイリングで、カッコイイとかカワイイとか自らが目指す方向性に向かって考え込む。

つまり、「自分らしく好きなものを着る」。
これが根本的に必要な部分です。

これを追求する行為こそが個性的なファッションを得る行動であり、自由に生きている証でもあります。

例えシンプルでも配色やシルエット、素材などに何かこだわりを持って自分自身の好きなように着ていれば個性的なファッションになるのです。

その行動を積み重ねることによって、にじみ出る人間性、オーラのようなものにも出てくることがあります。

実際、私自身好きでもないのにモテそうだからといってユニクロのグレーのトレンチコートにユニクロの黒パーカー、淡いブラウン(ベージュではないと思う)のコーデュロイワイドパンツ、ドクターマーチンというスタイリングをしていました。

ブラウン好きじゃないんですよね笑
もっと言えば、当時はクリスチャンダダにハマってスキニーに目覚めた時期なのでワイドパンツ履きたくなかったんですよね。
クリスチャンダダについてはコチラ↓

全く好きじゃないし、カッコよくなかったです笑
しかもモテませんでした。今もだろ。

楽しくないですよ。そんなの。
無駄に3.5万ぐらいお金使いました。

あの時が自分らしさを捨てた、死んでいた瞬間だったと思います。

他人軸に行動し、自分のやりたいことを放棄して他人に合わせるだけなんて個性を捨ててるだけです。
これはファッションだけの話には留まりません。

個性を捨てたら死んでるのと一緒だよ。


4.最後に


『個性』とは多くの解釈の仕方があるからこそ、考えれば考えるほど深みにはまっていき、難しい方面に行きがちです。

しかし、様々な捉え方が出来るほど柔軟であるため、この『個性』という言葉は言葉の中でも可能性に溢れているのです。
「自分らしさ」や「独自性」という言い方もすることができるこの『個性』という言葉は、なかなかに自由で開放的ささえ感じてしまいます。

なぜ自由を感じるか。

それは一つの物事にしか使えないのではなく、その人の考え方によって様々な解釈をすることができ、「その人の性格・容姿・服装・価値観・性」など多数のことに関連し、総じて個性ということができるから。様々なことに対して言えるからこそ何事にも捉われないようなところに自由を感じることができるのです。

自由だからこそ難しく感じてしまうこの言葉を服の話を交えて述べてきました。

いかがでしょうか。

最後に補足で少し違う話ですが、他人が存在することで個性も存在意義を得ます。

もし、世界でウサインボルト1人だけしか存在しなければウサインボルトは足が速いかどうかすら分からないように、自分らしさとは、自分だけが持っているものとはという考えは他人が存在することで生まれるのです。

色々な人が世の中にはいますが他人を批判して自分の自己承認欲求を満たして個性を確立させようとする行為はやめましょう。

以上です。
ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?