これから 直感や勘
自己分析の話をすると繰り返し、過去分析もいいけどこれからをどうするか考えるように言われる。
今までぼんやりしていたけれど、最近やっと枠が見えてきたように思う。
それは、「自分なりに人生のプロ」になること。
理由はやはり前の記事で書いた、「私の強みは自分の人生に真剣なこと」がきっかけ。
人生のプロとは何でしょう…?
私は、経験した色々を適宜の場所で活かすことだと考える。
以下記事でバイオリニストの廣津留すみれさんは、自身のジュリアードの学びの中で、
ただ籠って練習するだけでなく本当に楽器が上手い人は色々な要素を音楽に取り入れていることに気づいたという。
それは散歩だったり美術館だったり、遊び心があるのだとか。
https://www.sanwa-shurui.co.jp/kojinote/with-people/interview/vol05/
過去のこの経験活かせるな!とかそうした気づきを常に持つことなのでは、と思っている。
私が感じた、これが社会なんだなとかの感覚、観た映画でも読んだ本でも良いと思うし、小学生の経験でもいいし、そういう粒々のこと。
そして改めて大事にしたいことは、
やはり第六感的な直感、居心地良さや違和感を大切にすること。
私が就職活動をしている時に、とある業界の方が、そうは思わないかもしれないけれど、実は勘を働かせる時が一番脳の大部分を使っているんだよと言っていた。
つまり1番脳のあれこれを活かし切っている状態が勘ということ。
だから勘の信用性はそこそこなのでは、が私の考え。
言葉選び1つ取っても人柄が出るし、居心地に繋がると思う派。
正解がない話なので、何だかんだ細かい点が肝であり神が宿るのでは、は自己分析の記事にも書いた。
例えば、
連絡取れない
連絡取らない
“れ”と”ら”の一語違いだが、ニュアンスは大きく違う。
この選び方1つで受け手の印象がかなり変わるのは誰でも気づくはず。
もう1つ例を挙げたい。
私が中学の時オケ部にいたとき、春(秋の2回定期演奏会がある)の演奏会のパンフレットから私の名前が抜けているというハプニングがあった。
パンフレット作成者の当時のマネージャーが私を把握しておらず、こうなってしまったということ。
部長が謝罪してくれて、わざわざ親にまで電話もしてくれた。
部長が作ったわけではないので、そこまでしなくていいのに、が私の感想だった一方で気になることが1点あった。
当時まだメールの時代で、
謝罪メール(部長から)の本文に
これ意図的ではないからね?笑と書いてあった。
“笑”って何だろう?とこの点が猛烈に引っかかっていた。
親に電話とかしなくていいから言葉気をつけて、が私の正直な感想。
多分道ゆく100人にこの対応について聞いたら、9割方何の問題もない(部長の対応としては真っ当なもの)と回答するんだと思う。
対応に関していえば、勿論そうだけど、私には違和感というかもやつきが残った。
正解はないので、どちらが良い悪いというよりも、感覚的な違和感や居心地良さの話。
要は、こうした感覚を大切にしていこう、という話。
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