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【古道を歩く】愛知県岡崎市の古道・道根往還② 起点・欠の三本(点)松


はじめに

以前より書いているが、私たちの先祖(内縁)に大賀弥四郎事件に加担した岡崎町奉行・松平新右衛門がいる。
新右衛門について調べていた際にネット検索で道根往還の起点「欠の三本(点)松ーー以降、当記事では”三本松”で統一」が出てきた。

多くは「弥四郎の家族が磔になった場所」「弥四郎の家族を気の毒に思った村の人が三本松の根元に亡骸を埋葬した」等とあった。

今回は数百年に渡り、この場所を守ってきた御一族のお話に沿って道根往還の起点とされた「欠の三本松」について書いていく。

道根往還
@ネコチャーン撮

「欠の三本松」の由来

今から400年以上前の事。1500年代半ば。

近江の国(現・滋賀県)から何らかの事情で三河まで来た侍とその従者・計3人。
時代は戦国の世だ。
敵兵との遭遇なのか、過酷な旅であったからだろうか。共に近江から三河まで来た仲間も道半ばで命を落とし、三河まで辿り着いたのは3人のみだったという。

その3人三河の地で共に過ごすことをせず、それぞれ別の生き方をする選択をした。その決意の現れ過去との決別新たな出発の地という意味であったのであろうか、道の途中で亡くなった仲間の遺品等を埋め、3本の松を植えた

これが「欠の三本松」の由緒だそうだ

「欠の三本松」の場所
東公園 南駐車場、旧本多忠次邸の向かいだ
画像出典元:Googleマップ

松は古来から厳しい寒さの中でも緑を称え、また、繁栄を象徴する木だ。これからの自分たちの未来に幸多いこと、子々孫々繁栄するよう、また、亡くなった仲間・先祖の御霊/思い出の居場所が末永く残るようにしたのではないだろうか。

これが現在、この場所を管理なさっている御一族からお聞きした話だ。

竜東メーンロード(北側)からの写真、画像左が道根往還方面
松が在りし日の1枚だ
昭和40年代前半の写真かーー
※所有者様のご厚意でお借りした写真です。無断転用はお控えください
同じ方角から撮った現在の写真
※但し、歩道から

3人のその後

仲間の遺品等を埋め、3本の松を植えた3人のその後に話は変わる。

1人は家康公の庇護が厚い寺院の住職となる。*1
1人は農民となる(場所は不明)。
残る1人が当時の欠村の住人となった。(この方の御子孫が三本松の管理者様)

*1 どの寺院かはお聞きしたが、貴重な歴史だ。岡崎市・寺院・所有者様が情報開示なさった方が良いのでは……と思い、ここでは伏せることとする

先ずは、現在の3本松の写真をお示しする。

奥に見える洋館風の建物は東公園・東入り口に在る旧本多忠次邸
@ネコチャーン撮

永く力強い生命力と緑を称えた松も病気には勝てない。
松くい虫の影響を大きく受け、平成初期に3本の松を伐採してしまったそうだ。
近くには小学校。しかも通学路横。横には片道3車線の道路が走る。

上記のような捨て置けない理由があるとはいえ、御先祖が植え、何代もの方々が守ってきた松を切ることは言葉では表現できないほどの苦悩があったと容易く想像がつく。
それでも「責任は私が負う」とお話を教えてくださった所有者様が400余年の想いを背負われたそうだ。
私はそのような判断はなかなかできない。

さて、御先祖様や共に旅をしたかつての仲間を弔うためだろうか。
3体のお地蔵様が安置され、南無阿弥陀仏の碑(誰が持ち込んだか不明とのこと)が在り、お地蔵様の台座だろうか……と思われるお地蔵様の台座?と思われるものが1体。計5体(5基)のお地蔵様と碑が現在も道行く人を見守っている。

静かに合掌
@ネコチャーン撮

余談だが、私が小学生の頃。3点松の横を登下校していた。その頃、30余年ほど前かーーコノハズクが松の上方でよくその羽を休めていた。

地蔵祭り

御先祖の思い出の地をお祀りするために、「地蔵祭り」を年に1回なさっているそうだ。
※ご親族のみ。近年は管理なさっているお家のみで、とのこと

その際は、百万遍念仏を行うそうだ。
私も祖父が亡くなった時に一度(もしくは幼少期に更に一度)百万遍念仏に加わったことがある。横たわる人を囲えるほど十分に長い数珠を大人数で回す。大きな数珠が回ってくる度に頭を下げる。
詳細はwikipediaを参照いただけると幸いだ。

大賀弥四郎殿の家族との関係は

多くのブログやサイトなどで「この場所は大賀弥四郎とーー」とある。

それについても所有者様に質問してきた。
「先祖からそのような話は伝え聞いていない。しかし、私たちが聞いていないだけかもしれないね」という回答だった。

ここからは私の憶測になる。

私が無学なのかもしれないが、サイト等の書き手の単なる誤解、若しくは憶測が長い時間を掛けひとり歩きしたのではあるまいかーー。

ここからその根拠を2つ列挙する。

①「欠の三本松」のある場所は根石原ではない
岡崎市史でも「大賀弥四郎の家族が磔にされたのは根石原」という旨の記述を見つけた。
”原”は平野、起伏の少ない平地を示す。
しかし、欠は「崖が多いことが転じて欠(掛)」という記載を岡崎市史で見つけた。

加えて、岡崎信康公が初陣祈願をした根石寺(若宮町)に在る観音堂にも「”根石原”観音堂」と碑にしっかりと刻まれている。

更に『三河東泉記』にも以下のような記述がある。

大岡弥四郎連尺町大辻ノ此所ニテ、七日ニ竹 ノコキリニテヒカレ、根石原父子五人斗ハリ 付ニアガリ(以下略 ネコチャーン)

9/127p

出典:『三河東泉記』 岡崎市立中央図書館古文書翻刻ボランティア会 編https://www.library.okazaki.aichi.jp/uploads/a66c9e44de010782216ccc51a3898bd9.pdf

次に、『三河東泉記』の著者が記した”根石原”を以下にお示しする。

5/127p
出典:『三河東泉記』 岡崎市立中央図書館古文書翻刻ボランティア会 編https://www.library.okazaki.aichi.jp/uploads/a66c9e44de010782216ccc51a3898bd9.pdf
 画像加工、ネコチャーンによる

若宮町にある根石原観音堂か現・若宮八幡宮周辺を過去に”根石原”と呼んだのではないだろうか。

加えて、「欠の三本松」近くに根石小学校があることも誤解を招く(?)一因だろう。しかし、元々、根石小学校は投町(現・若宮町)に在った。

②家康公の庇護が厚い寺院のご住職の存在

前述のとおり、家康公の庇護が厚い寺院のご住職となられた方がいらっしゃる。
そのご住職と所縁のある地に家康公に背いた弥四郎殿の家族を埋葬するだろうかーー。

当時・欠村の住民は私たちの先祖(内縁)松平新右衛門に対する他家臣の憤怒を見ているであろう。いくら罪ない家族とはいえ、ご遺体をこの地に埋葬するだろうか。些か疑問だ。

疑問だ、だが、断言もできない
画像出典元:写真AC

個人的な意見

仮にどこかの歴史書に「欠村のどこかに埋葬……」とあるのであれば、できればそのソースを示していただきたい。もしくは断言する文体ではなく、「~かもしれない」や「主観だが」という余白は作ってもらいたい。

苦言ではなく、別の長い歴史をもつ建物を過去に有していた一族の1人としての意見だ。
憶測で決めつけたことに尾ひれが付き、自分たちが知る/遺された先祖の歴史とは異なる別の歴史を創り出される。ネットではその拡散・影響力が大きい。

これは”特に”半官半民(だろうか)の”岡崎の歴史を語るーー”方がその類のサイトにてソース無しで明言されていたからだ。

ネットには誤情報が多く見られるが、情報の取捨選択をできる方ばかりではない。だからこそ、発信する際にはある程度の注意を払う必要があると私は思うのだ。

ただ、これも私の憶測に過ぎない。
そのような歴史があったのかもしれないし、また、別の場所なのかもしれない。それは今となっては明確な文書が出てこない限り判らないだろう。

まとめ

「欠の三本松」は長く道根往還(古道)の起点とされるため、公的機関や町が管理されていると思われがちな場所だが、ある御一族の私有地だ。

余白無しの憶測や推測で物事を明言するのではなく、先ずは所有し、管理なさっている御一族の意思や意見・歴史等が尊重されてほしいと切に思う。

ちなみに「欠の三本松」の所有者・U様に「歴史などで興味を持った人が立ち入っても良いか」とお伺いしてきた。

「参拝なら許可取りも要らないから良いよ」

そう快諾くださった。
それでも私有地のため、常日頃のお参りや年1回の地蔵祭りと様々なご負担がある。何より、歴史を守る重責はなかなか周囲には理解はしてもらえない。
節度を守った参拝をしていただけるよう願っている。

謝辞

この度、当記事を書くにあたり「欠の三本松」を所有なさるU様におかれましては、過分なご高配を賜り心より御礼申し上げます。

私の技術では松の緑まで復元できかねましたが、
貴ご一族の末永い繁栄を願っております。
ネコチャーン拝

最終改定: 年 月 日( 回目)
※後に読み返した際に変更があれば、改定日を修正いたします

【注意事項】
著作権の観点から、無断引用・転載はお控えください。
引用・転載の際は必ずお声がけください

【参照/参照文献】
『新編岡崎市史 近世2』
『新編岡崎市史 民俗12』

【出典元】
『三河東泉記』東泉坊著
       岡崎市立中央図書館古文書翻刻ボランティア会 編https://www.library.okazaki.aichi.jp/uploads/a66c9e44de010782216ccc51a3898bd9.pdf

Thanks,
写真AC
https://www.photo-ac.com/



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