ネコチャーン

愛知県岡崎市生まれ。戦国武将・鈴木重辰/築山殿の首塚が在る神社を作り守ってきた一族の子…

ネコチャーン

愛知県岡崎市生まれ。戦国武将・鈴木重辰/築山殿の首塚が在る神社を作り守ってきた一族の子孫のひとり。 史跡遺跡・神社仏閣巡り/日本文化/寺部城の戦いの考察など 先祖に関わることは全て無償で開示いたします。 よろしくお願いいたします。 Sep. 15th, 2023~

マガジン

  • 家系について

    一族の始祖・岡崎市に在る八柱神社を建立した鈴木甚四郎重辰の先祖・子孫のまとめです。

  • 八柱神社について

    愛知県岡崎市に在る八柱神社について。建立年度(推定)・建立した人物や築山殿の首塚がある理由など、様々なことを根拠に基づいて執筆しているマガジンです。 情報を整理し、精査し……と時間が掛かるため頻度は不定期です。 まだ通説になっていない、先祖が遺した情報を基に子孫のひとりが書いております。

  • 史跡・遺跡、神社仏閣巡り

    先祖に関連する史跡・遺跡や神社仏閣を巡る記事をまとめたマガジンです。 更新頻度は1-2回/月程度。 主に愛知県の西三河が多くなります。 歴史や歴史的建造物がお好きな方に。

  • 東海道を歩く

    東海道を歩く記事をまとめています。 【更新頻度】 「岡崎二十七曲りを歩く」を書き切るまでは1回/4~5日のぺース。 その後は月1度もしくはそのエリアの歴史を学んでからまとめて書きます。 【想定する対象者様】 歴史・地方史や写真、散策がお好きな方へ。 また、岡崎二十七曲りを歩いてみたい方にも是非。 よろしくお願い申し上げます。

  • 先祖の鎧と刀、復活PJT@ネコチャーンの部屋

    明治時代の家事による家屋焼失と大東亜戦争の際に戦国武将の先祖の鎧と刀まで焼失した。 (ミニチュアで)唯一無二の鎧と刀を復活させるプロジェクト。 不定期投稿。 完全に趣味と混同した記事になる。 歴史とものづくりがお好きな方に届くと良いな、と思う。

最近の記事

  • 固定された記事

『自己紹介』と『noteを始めた理由』

自己紹介 管理人のネコチャーンと申します。 出生は愛知県岡崎市。姓は『鈴木』。 先祖は戦国武将。江戸時代(もしくは家康公の関東移封/兵農分離頃?)に帰農し、上記市内で庄屋をしていた家系の子孫のひとりです。加えて、築山殿の首塚が在る岡崎市の『八柱神社』を作り、明治時代まで守ってきた家系。 ネコチャーンとしたのはWikidedia編集で当該IDを使用しているためです。 私自身は ・名前 ・年齢 ・性別 についてはネット上で言及するつもりはございません。 「ある子孫が云うこ

    • 【自然散策】平原の滝(愛知県西尾市)

      はじめに次の話題に移って/触れていきたいと思いつつ、八柱神社(欠町)について現状分かっていることを書き切ったらバーンアウト(燃え尽き症候群)にも似た感覚があった。 それはそうだ。 過度な「理不尽」の煮凝りを半年以上も受け続ければメンタルも参る。 長くプレッシャーが多い仕事をしている私ですら、最後には(言葉を選ばずに書くと)感情を抑えきれずブチ切れた(苦笑)。 そういうわけで←、精神の浄化と気持ちの切り替えのために自然に触れてきた。実のところ、3月に愛知県内の古道を歩いて

      • 【欠町・八柱神社】まとめ(後編)~神仏との付き合い方と先祖が伝えたいこと~

        はじめに前回の記事で愛知県岡崎市欠町にある八柱神社の沿革について触れてきた。 但し、上記は今後”定説”や”通説”になる可能性が有る「仮)沿革」だ。 情報は公開した。あとは識者の方々の精査/調査がいつか入るだろう。 その結果がどうあれ、期待したい。 ※八柱神社@欠町を管理なさる宮司さん・氏子世話役の方々と当方は無関係です。当方は上記の神社を建立した人物の子孫のひとりです 先祖が伝えたいこと ①築山殿首塚のお参り神社の参拝作法は東京神社庁様が詳細に記述されている。 該当HP

        • 【欠町・八柱神社】まとめ(前編)

          はじめにこれまでも愛知県岡崎市に在る八柱神社@欠町について述べてきたが、ここで現在までに判っていること、また、「いつか書かなければ……」と思案していたことを前編と後編に分けて書いていこうと思う。 それで一旦、八柱神社@欠町に触れることは終了したいと思う。 古書等の読書中に見つけた文言等は、また、まとめて記載出来たらと思う。 ※八柱神社@欠町を管理なさる宮司さん・氏子世話役の方々と当方は無関係です。当方は上記の神社を建立した人物の子孫のひとりです 建立年度天正七(157

        • 固定された記事

        『自己紹介』と『noteを始めた理由』

        マガジン

        • 八柱神社について
          11本
        • 家系について
          11本
        • 史跡・遺跡、神社仏閣巡り
          18本
        • 東海道を歩く
          14本
        • 先祖の鎧と刀、復活PJT@ネコチャーンの部屋
          1本

        記事

          大岡弥四郎事件と八柱神社とーー岡崎町奉行・松平新右衛門とは(2)

          はじめに今回は「大賀弥四郎事件」が発覚した際の松平新右衛門の反応。 そして最期を迎えた岡崎・大樹寺に至るまでの流れを追っていく。大賀(大岡)弥四郎殿のその後についてはよく見かけるが、新右衛門のその後に至るまでの過程は私も知らないでいた。 私は古文も得意ではない。 私の意訳にはなるが、ご一読いただけると幸いだ。 ※注: 岡崎市立中央図書館古文書翻刻ボランティア会の有志の方々が書き起こしてくださった東泉坊著『三河東泉記』を参照する。 前回も記載したが、ボランティアの方々が書

          大岡弥四郎事件と八柱神社とーー岡崎町奉行・松平新右衛門とは(2)

          大岡弥四郎事件と八柱神社とーー岡崎町奉行・松平新右衛門とは(1)

          はじめに私の先祖の縁者に「大賀弥四郎事件」に加担した町奉行・松平新右衛門がいる(という記載が家系図にある)。 しかし残念ながら、松平家や新右衛門についての明確な記述のある文書は一切残っていない。 明治時代初期に当時)欠村で大きな火災があったからだろうか。岡崎市史にも明治時代以前の欠村に関する記述は極めて少ない。そのことから、明治時代の火災の影響が少なからずあるのかもしれない。 新右衛門に対しては、家康公に対する「謀反人」「裏切り」と思う方もいるかもしれない。 しかし、松平

          大岡弥四郎事件と八柱神社とーー岡崎町奉行・松平新右衛門とは(1)

          先祖の時代の八柱神社ーー欠町(1)

          はじめに期末ということもあり、先日に当方が受けた不用意な発言(気分を害した方、失礼いたしました。あれでも問題ない/炎上させない発言のみ抽出しましたが……)もあり。 時間的にも心理的にも余裕がなくなり、少し時間が空きました。 「書けません(noteに向かうことすら苦痛)」とすら書かずに失礼いたしました。 しかしながら、神社運営に対し批判をしなければ自分の好きなように書いて良いようなので「鈴木重辰の子孫のひとりがツラツラと書く」という当アカウントの当初からの趣旨に則り、先祖が

          先祖の時代の八柱神社ーー欠町(1)

          欠町・八柱神社の創建年度

          少し前から欠町の八柱神社の創建年度が判明していましたが、神社さん・氏子さん方と足並み揃えて該当内容を変更しようと思っていました。 しかしながら、結果としてとある御仁から 「分家如きが歴史を語るな(父の代から分家)」 「お前ら一族が手伝わないから」←聞いていない 「その歴史は捏造だろ」←流石に言い過ぎ 「何なら鈴木の氏神に戻せ。その時は全ての氏子と神主を撤収する。お前らで神社庁に登録なり何なりしろ」 「運営に口出しするな」など かなり厳しいお言葉の数々を頂戴しました。 そ

          欠町・八柱神社の創建年度

          【神社巡り】八柱神社(愛知県岡崎市洞町)

          はじめにどうしても書きたい複数の記事の基となる情報をまとめている最中だ。 それらの記事のうち、一つの情報収集とその土地の地主さんとのお話をさせていただいた中で「(岡崎市)洞町にも八柱神社があるよね」と教えていただいた。 確定申告もようやく終わり通常業務に戻れたこともあり、運動不足もあり……折角なので、八柱神社(洞町)に行ってきた。 場所についてまずは広範囲のマップで場所をお示しする。 洞町はその昔。本多家の方々が多く住んでいた土地だ。 本多肥後守忠真公のお屋敷も「欠古

          【神社巡り】八柱神社(愛知県岡崎市洞町)

          【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑭(完)八帖町~矢作町 寄り道~勝蓮寺、矢作神社

          はじめに2023年11月に歩き始め、12月中旬には完走していた「東海道・岡崎城下二十七曲り」。 今回の記事でようやく二十七曲りの記事もようやく完走できる。 昨年(2023年)中に完走予定だったが凡そ3か月遅れ。 それでもこれをもって完走できる。 もう一記事。東海道・岡崎城下二十七曲りの旅にお付き合いをいただければ幸いだ。 今回の旅の概要前回までの旅路は以下の記事を参照いただけると幸いだ。 今回の旅を以下のとおりにお示しする。 <旧東海道位置関係(仮)>※注:旧)矢作橋

          【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑭(完)八帖町~矢作町 寄り道~勝蓮寺、矢作神社

          【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑬板屋町~八帖町 寄り道~八丁諏訪神社

          はじめに長く続けてきた「東海道・岡崎城下二十七曲り」を歩く旅も残すところ2回(この記事を含む)。 今回の旅路にでてくる「松葉総門跡」。現在の位置で言及すると国道248号線付近だ。そこが古の岡崎城の外郭の総門にあたる。 ここを「岡崎城下二十七曲り」の終点(or始点)にするかーー、はたまた、今回の旅路の終点を二十七曲りの終点(or始点)にするかーー。 かなり迷った。 なにせ、南冠木門のような東海道二十七曲り(始点/終点)の碑がないからだ。 歩いた私自身もどこを終点とするか悩

          【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑬板屋町~八帖町 寄り道~八丁諏訪神社

          【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑫魚町~板屋町 寄り道~徳川家康公・氏神 新田白山神社

          はじめに今回・次回の東海道を辿る旅路では迷っている旅人を散見したため、史跡や長閑な風景だけでなく「ここの道を行ってください」という案内も多くする。 実際に私が東海道・岡崎二十七曲りを辿っていた際に何組かの道に迷った旅人に声掛けした経緯がある。 また、国道1号線を横断しなければならないため、旧東海道とは道が大幅にズレていると思われる。その点はご理解をいただけると幸いだ。 今回の旅の概要前回までの旅路と寄り道旅は以下の記事を参照いただけると幸いだ。 今回の旅を以下のとおり

          【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑫魚町~板屋町 寄り道~徳川家康公・氏神 新田白山神社

          【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑪~寄り道~松平清康公のお墓がある大林寺

          はじめに前回の「東海道・岡崎宿二十七曲り」の旅の終点から東海道を西に歩むのを止め、逆方向に少々足を延ばす。 少し歩みを進めると家康公・祖父である松平清康公のお墓がある大林寺(だいりんじ)に着く。 今回は私たちの先祖・重辰が仕えた清康公のお墓参りをすべく寄り道する。 今回の旅の概要家康公の祖父・清康公の略歴を非常に丁寧、且つ、きれいにまとめた記事があったため、そちらを参考いただきたい。 私も概要をまとめた後、詳細を追って調べたいと思う。 松平清康公について 前回までの

          【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑪~寄り道~松平清康公のお墓がある大林寺

          【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑩材木町~魚町 寄り道~松平広忠公と所縁ある白山神社

          はじめに岡崎城と近距離ということもあり、松平家と所縁のある神社仏閣が多いエリアを歩いている。今回も東海道沿いに家康公の父君・松平広忠公と所縁がある「白山神社」に寄った。 「あのあたりに神社がある」ということは何となく知ってはいたが、由緒までは全く知らず。私の歴史を辿る旅も情報発信の一助になれば幸いだ。 今回の旅の概要前回までの旅路は以下の記事を参照いただけると幸いだ。 今回の旅を以下のとおりにお示しする。 今回の旅の始点は「旅の目印”ぬ”」350m道なりに進むと「旅の

          【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑩材木町~魚町 寄り道~松平広忠公と所縁ある白山神社

          【ネコチャーンの部屋】私感ーー否定/誹謗中傷と批判について

          はじめに※今回の記事は私感です。ご了承ください 前回の記事で「次回(今回)ネコチャーンの部屋で”否定/誹謗中傷と批判”について書きたい」とした。 昨今のSNSで飛び交う双方向の極論の数々の増加と自分自身に降りかかった出来事から、”自分の考え”として『批判/誹謗中傷と否定』に区別を書きたいと思ったからだ。 また、その簡単な対策(可能性)も書いておくことにする。 それぞれの結論と対策様々な場所で議論されている内容だが、簡単に見分ける方法を書く。 否定 喩えになるがAさ

          【ネコチャーンの部屋】私感ーー否定/誹謗中傷と批判について

          【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑨~寄り道~松平広忠公御廟所がある松應寺

          はじめに「今月(1月)中に東海道・岡崎二十七曲りの記事を完走させます!(キリッ」と書き放ち、結局、完走していない。 考えがまとまればネコチャーンの部屋『否定/誹謗中傷と批判』という記事を書きたいと思う。というのも、私は体調不良ではなく否定や理不尽が重なり、少し心が折れている。 昨年末に「こんなもの(ネコチャーンのアカウント/記事)、誰も見ない」と近しい親族から言い放たれたが、悪気もなく放つ言葉で簡単に人が傷つき気力を失う。そういった危険性を今だからこそ書きたいのだ。 私は

          【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑨~寄り道~松平広忠公御廟所がある松應寺