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岐阜で買って、知って、勧めて、売る

我が家のダイニングには、夜になると月のように丸い光が浮かぶ。イサムノグチの照明「AKARI」はこの家に合わせて購入したものだ。

AKARI 55A

一年前、わたしはマイホーム購入を機に東京から岐阜へUターンした。

友人や同僚はマイホームと聞いて祝ってくれたが、素直に喜べなかったのには理由がある。そもそもなぜ岐阜で家を建てたかと言えば、東京では家族が快適に暮らすのが難しそうだったとか、夫はリモートワークができないとか様々な事情があるからだ。もし独り身だったなら、わたしは間違いなく東京に残っただろう。

コロナとほぼ同時に東京へやってきて、収束とともに岐阜へ帰るタイミングの悪さを呪う。ああ、テレビや雑誌で描かれる東京をもっと満喫したかった! あと一年でもUターンを遅らせたらよかった! 


AKARIに出会ったのは、そうやって未練をズルズルと引きずりながら新居の準備を進めている頃だった。Instagramで見つけたその照明は和洋で言えば「和」なのだが、古臭くも重苦しくもない。時代や場所を感じさせない不思議な魅力があった。

月を想像させる美しい曲線。照明がOFFでも絵になる和紙の質感。ぼんやりと部屋を照らす光の柔らかさ。

すでに決まっていた壁紙や家具にもスルリと馴染み、AKARIが部屋の中心に来ると不思議と一階のイメージがまとまりはじめた。グレーやダークグリーンの壁紙がもたらす印象が、和紙の質感で「シック」から「落ち着き」に変わる。家族が集まるLDKにふさわしい明かりだった。

唯一の不安はインターネットで品切れ続出という点だったが、偶然にも岐阜市内の店で在庫が見つかった。しかしこれは、偶然とも言い難かったのが後から分かる。

AKARIはもともと岐阜提灯をベースに作られており、わたしたちが立ち寄った店はイサムノグチがその工場を見学した尾関次七商店(株式会社オゼキ)だったのだ。AKARIが生まれたきっかけの店で、わたしたち夫婦は「ラッキー!」と言いながらその照明を買ったわけである。


「岐阜に住むなら、やっぱり岐阜のものを取り入れたいなぁ」

AKARIを手にしたときの夫の一言は、どこかずっしりとした納得感でわたしの買い物の基準を変えた。

岐阜で作られたものを、岐阜の家に取り入れていく意味。それは「地産地消」の一言や、その土地にお金を落とす経済的なメリットだけでは表せない。

新居へ引っ越してすぐに、わたしはAKARIと和紙が岐阜の様々な場所で愛されていると気づいた。岐阜市役所の吹き抜けでは来訪者を複数のAKARIが迎え、市立中央図書館(ぎふメディアコスモス)の窓は岐阜提灯をイメージした不燃和紙のブラインドで包まれている。

岐阜の人に愛される物を、自宅に取り入れて大切にする。街に身体だけではなく心も寄せる。買い物はわたしにとって岐阜を「自分の街」にしていくための積極的な試みの一つとなった。

せっかくだから岐阜のものを選ぼう。そうして我が家にやってきたものはいくつもある。


<飛騨産業のCRESCENT アームチェア>
曲木で作られた背もたれは、手を添えるように身体を支えてくれる。木に寄りかかっているはずなのにゴツゴツした感触が不思議となく、リモートワークでも活躍中。

<安土草多さんのペンダントライト>
高山市に住む吹きガラス作家、安土草多さんのライト。同じく高山市にある「やわい屋」で購入。不均一な厚みのガラスが作るゆらゆらした光を楽しむために、あえて他の家具がないトイレへ設置している。


昨年の五月には東京の友人が泊まりに来てくれた。いつもの暮らしで楽しんでいる場所も見てもらいたくて、冷やしたぬきが最高においしい蕎麦屋「更科」や、建物の美しさも魅力的な市立図書館「ぎふメディアコスモス」へ連れていく。友人は一緒に訪れた岐阜関刃物会館で爪切りを買っていた。

内装が浮かび上がるように照らさせる夜がおすすめ

わたしはいつの間にか買い物をするだけでなく、自分が知った岐阜のいいところを勧める側にもなっていた。そして今年は岐阜駅で開かれるイベントに出店者として参加する。

買い物はわたしがこれからずっと暮らす街を、知って、勧めて、「自分の街」にしていく試みの一つだ。ついには岐阜で売る側になり、いよいよ自分が街の一部になり始めているとも感じる。

#買ったわけ

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