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「死にたい」と「生きたい」の反復横跳び


「死にたい」と「生きたい」の反復横跳び

昨日、発達障害のお母さんたちの勉強会がありました。
発達障害のお子さんを育てる皆さんは、毎日毎日毎日お子さんに寄り添って、社会への理解を求めたり、無理解に心が折れたり、本当に大変なご苦労をされていると思います。

こういう話を書くたびに、
「いやもっと大変な病気はある」
という気持ちが全くないわけではないのですが、
それは、なんていうか、どちらの子育ても経験した人しか言えないんじゃないかなと思います。

もしかしたら、人知れず、そういう人生に幕を閉じた方もいるのかも知れないとさえ思います。(最近、発達障害や不登校のご家庭の事件…よく聞きますよね)

幕を閉じてる、、、、なんてちょっと物騒で暗い、でも誰にでも起こりうるお話。

あの日の母の気持ち


子育てしていて、「心中してしまおうか」
「子どもに手をあげそうになった」「手をあげた」
「いっそ一緒に」みたいな気持ちが、全く起こらずにこれまで生きてきた方は、どうか読まないでほしい。
きっと1ミリも共感できない話が書かれています。

子どもっていうのは、本当理不尽で、我がままで本能のままに生きていて、
その有り余るエネルギーや好奇心は
かつての自分にもきっとあったのだろうけど、
どうやって育ってきたのか、その時の自分と周りの様子はあまり記憶にないものです。

私自身は、親に叱られること、泣かれること、叩かれること、その時代にしては少なかった方かと思います
(全くなかったというわけじゃない)

記憶にあるのは、一度だけ遠方から来てくれた祖母に悪態をついて、父に飲食店の中で思い切り叩かれたこと。
ものすごく泣いて、痛くて、きっと祖母もバツの悪い思いをしたのだろうと思うけど、
思い返すと、そうでもない顔をしていたな…(解せぬ)
母親(祖母)というのは、息子(父)と立場が逆転する時が来るものだと大人になってから知りました。
(だって子どもが人を叩けば叱るものでしょう、本来。それが我が子なら許される時代だった)
母もその時ばかりは私に味方してくれたけど、今自分の夫がそんなことをしたら…考えるだけで怒りが湧いてきます。


当然その日のことから、祖母も父も憎んで、ムカムカしながら思春期を過ごしていました。
そうやって、親を困らせながら育ってきたというのに、その時自分の親を取り巻いている環境には、当然気にもしていないものです。

あの時、父はどういう環境にいたのだろうか。もしかしたら、仕事が大変だったのではないだろうか。
母はどういう環境にいたのだろうか。兄に手を焼いていたのはなんとなく思い出せる。
誰か、助けてくれる人はいたのだろうか、夫婦に会話はあったのだろうか…


親が置かれている環境なんか、子どもは見ていないし
仮に見ていたとしたら、、、気を使う、萎縮する、それでも自由奔放に育つ…
こう育つ、こう育たない、という方程式はないように思うのです。


そういう中で、「うちの母親は、私を連れて死のうとしたことはあるのだろうか」
という疑問が湧きました。


思い切り叩かれた娘を見て、あるいは、ままならない子育てに…
苦しい、死にたい、でも勇気がない、子どもを置き去りにはできない…
一緒に死んでしまおうか。
母がそんなことを思ったことは…


「ある」と思います。
というのも、思い出せるだけで、2〜3度、私は夜の公園やら街の中を、母に手を引かれて歩いたことがある。
目的もなく1〜2時間だったと記憶しています。


あの時、母は、もしかしたら、死のうとしていたかも知れないし、
ただの夫婦喧嘩、親子ゲンカのもつれからの、散歩だったのかも知れない。


私はただならぬ空気だけを感じ、「どこ行くの?」という質問に答えない母を不思議がっていました。
母は答えるときもあれば、「散歩」とだけいうこともあった。
でも、私の方は全く見ませんでした。泣いていたのだと思います。

誰にでも起こりうる



自他共に認める「いいこちゃん」だった私ですら、
こんな母の心情一つで、「死にたい」と「生きたい」という間をいったりきたりしていた訳で。

きっとこの「死にたい」と「生きたい」の反復横跳びをしている人は、フツーーにいると思うし、その反復横跳びにゼェハァ言って、疲れている人もいると思う。


今、笑顔で目の前にいるお友達だって、昨日反復横跳びしてきたかも知れないし、今日するかも知れない。



「死にたい」と思うことはみんなあるし、心中するリスクだってみーんなあるんじゃない?
でも、それをパッと引き戻してくれるかどうかは「偶然」だったり、「タイミング」だったりほんの一瞬の出来事なのだと思います。

その人が、カウンセリングに行ってるだとか、相談機関につながっているかとかよりも、
もっと偶発的に起こる、「一瞬のきっかけ」がパッと「生」の方に引き戻してくれる。

カウンセリングに行っていても、こうして手を引いてくれる人がいなければもしかして…と思うのです。

呪文ひとつ。

自分自身もまだ、反復横跳び、絶賛筋トレ中!なので、特別なことはできないのですが…


みんなで、辛さとか、生きづらさを分け合って、少し置いていけるような場所であり続けたいなと思います。


最後は、まぁアトリエとしての気持ち、姿勢、みたいな話になっちゃったけど、
みんなで行ったり来たりしよ。それと、これだけは、呪文としてみんな覚えておいて。


「でも生き延びよう」

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