ねこがお股で寝ている間にnote書こ
父親、親子、家族。
今は旦那さんが子育て頑張ってる家も多いと思うけど
アラフィフである私の、父や、家族のありようなんて昭和なので
関わりがほとんど無かったのです。
あの時代の普通より無かったかもしれない。
平日は仕事のため7時半には家を出て、ほぼ毎日飲んで午前様か徹マン。
休日は釣り、ちょっと時間があればパチンコ、映画。
珍しく家にいると思ったら、人がテレビ見てても何も言わずチャンネル変えて、自分が見たい野球とか金曜ロードショーなどで洋画を見る。
父はアンチ巨人だったから、巨人が勝つと機嫌が悪い。
(ちなみに母と私は巨人ファンだったのでどっちが勝っても面白くない)
子どもの頃の私にとってみれば、父は、たまに会う、会ったときは家庭内の空気を重くしちゃう
よく知らない、いない方がリラックスできていいんだけど…
という存在。(ごめん、正直すぎて)
怒るとすっごく怖かったし、緊張してたなぁ。
その上(私が年長さんの頃家を建てたので)遠くに転勤になれば単身赴任だったし。
仲良し家族感は無かったなぁ。
そんな家族に、私と弟が思春期の頃、事件が起こった。
両親が言い合い(っていうかほぼ父が1人で怒ってた)になって
父が
「子どもたちを呼んで来い!」
と私たちを座らせ
「離婚したらお父さんとお母さん、どっちと暮らすか決めろ」と…
そう言い残して、1人になりたかったのか、その場に居づらかったのか分からないけど
家を出ていきました。
母は「離婚」と言われたことにショックを受けながらも
もしそうなれば当然子ども2人は連れて行くし、子どもたちも「お父さんについて行く」なんて言うわけないじゃない
と思ってたようです。
もちろんほぼ知らないおじさん状態の父について行きたいという気持ちはない。
お母さんがいいに決まってる。
でも、
「どっちについて行くか」を聞いた父が、誰にも「一緒にいる」ことを選択されなかったとき
恥ずかしかったり、寂しかったり、悲しかったりしないかな…
子どもと関わったことがほとんどない父にとっては
思春期の女の子と暮らすより、1人の方が断然よくて
1人が悲しいことではないのかもしれない、寧ろ楽なくらいだろう。
私が「父について行く」と言ったとしても、「姉弟離れ離れも可愛そうだから、2人ともお母さんと行け」って言うかもしれない。
それでも、1人になることが
選ばれずになったのか、選んでなったのかでは「気持ち」が違うと思った。
私はそう考えてしまうので、「父を選ぶ」つもりだった。
その後、両親が話し合いをするときに私は同席していた。
様子を見ていて、
思ったことを発言した。
「お父さん、本当に離婚していいの?
本当はそんなこと思ってないんじゃない?
このままだとそうなっちゃうよ?」と。
父は黙ってた。
「何言ってんだ!離婚だよ!」
と返ってくると思っていた母は
「え?そうなの?」とビックリして、ちょっと怒ってもいた。
繊細さんでよかった瞬間だった。
何かにイライラしていて、言いたいことはきっと別のことで
でも自分も悪いから言えなかったり、伝えるのが下手だったり
それで「離婚」という言葉を発してしまったけど
嫌だと言ってくれると思った
お父さんは必要な人なんだと感じたかった
そんなことより世間体もあって離婚は避けたかったのかもしれない
何にしても、離婚は本意ではない。
思ってもいない方向に進まなくてよかった。
数年後
私が短大を卒業するタイミングで父の東京への転勤&単身赴任が決まったので
東京に住めるチャンス!しかも家賃いらないじゃん!と
父と東京で2人暮らしをすることにした。
1年しかいなかったけど、その間、3カ月も口を聞かない時期もあった。
地元に帰って22、3才で家を出て、24才で結婚したので
父との思い出はすごく少ない。
同じ県内に住んでいたけど、年に数回孫を連れて遊びに行く程度の交流。
そんな数年を過ごし
父は、私が30歳のとき、病気で亡くなった。62才で。
私が住み始めたばかりの東京で買い物をするのについて来てくれた。
女子の買い物なんであちこち行くし、またはじめの店に戻ったりするのに全部、何時間も。
亡くなった後、そんな話を母にしたとき
「ひやぁ〜。信じられん。
一緒に行っても「俺はここにおるから見てきて」って言われてほとんど1人で買い物しよるようなもんだったよ、私のときは。
あんたのには全部ついて行ったのね」
と、ちょっと嫉妬混じり(?)に言われた。
父なりの愛情を、もう会えなくなってから知れたの嬉しいけど
やっぱりもっと知りたかったよ、お父さん。
分かりたいのは私だけだったかもしれんけど
お父さんのこと、もっと知っていければよかったな。
なぜか急にお父さんのこと思い出したから書いたよ。
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