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ねじれの位置

 初めてその言葉を聞いたのは、中学1年生の数学の時間であった気がする。当時驚くほど眠気の強い少女であった私は、その日もところどころ意識を飛ばしながらその授業を聞いていた。「であるから、ねじれの位置が、」と先生が口に出した言葉がふと耳の突起に引っ掛かり、私は意識を取り戻した。数学の時間にはそぐわない、何だか異質で文学的な言葉が聞こえたように感じたのだ。ねじれの位置とは、並行でなく、どこまで伸ばしても決して交わらない2つの直線の位置関係のことであるらしい。どこまで伸ばしても、決して交わらない、と心の中で復唱する。



 当時の私は、眠気以外においては優等生で、勉強も部活も優秀、友人関係も良好、付き合っていた彼氏もいた。こう書いてしまうと気が引ける部分もあるが、頑張ることが楽しく、それなりに充実していたのだと思う。ただ、優等生であるが故にどこか周囲に一線を引かれてしまう感覚があり、それによって私自身も他人に対してどこか一線を引いてしまっていた。
 


 彼が転校してきたのは、たしか中学2年生であった。別のクラスに男の子の転校生が来たらしい、と友人が教えてくれ、どんな人か見に行こうと誘われたが、特に興味が無かったのでやんわりと断った。夏服に袖を通して少し経った頃であった。


 後日、たまたまそのクラスに行く用事があり、転校生を見かけた。その時の私が抱いた彼の印象は、仏頂面で、怖そう、というものだった。部活も吹奏楽部であった私に対し、彼は汗と涙の勲章的な運動部の所属だった。私は直感的に、「彼はねじれの位置にいる人だ。」と感じた。性別、クラス、部活、そして見たところ、性格も。当時私の持っていた人を区別する基準のほとんどにおいて、彼と私は異なっていたのだった。




 季節は流れ、中学3年生になり、クラス替えが行われた。驚くことに、彼と私はクラスが一緒になった。私は心の中で、ねじれの位置、ではなくなったか?と思った。初めは話すこともなかったが、人伝てでお互いミスタ―チルドレンが好きであることを知り、中学生にしては珍しい好みであったので、話してみたい!と思い立った。怖い印象を何とか振り切って、彼と話すようになると、彼は思ったよりも柔らかい人柄で、その中に見え隠れする周囲への無関心さが、当時どこかで周囲に一線を引いていた私と似ているように感じた。私たちはとても仲良くなった。



 彼は最終的に、大学生になっても付き合いのある唯一の男性となったのだが、最後まで恋愛には発展しなかった。中学校を卒業する時、私はねじれの位置の話を彼にした。彼が何と言っていたかもう良く覚えていないが、私はこの経験で、人間関係においてねじれの位置など無いのかもしれない、と思った。そりゃそうだ。あれは数学の話だ。誰もが誰かとどこかで交わる「可能性」がある。もう彼と連絡を取ることはほとんど無いが、今頃、仏頂面でミスターチルドレンを聴いているのだろうと思う。

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