通勤訓練日誌その4

金曜日まで連続してくることができた。

正直初日を除けば割とスムーズだったので、環境変化には非常に敏感だが対応力は高いということだろうか。


昨日で読んでいた本を読み切ってしまったので、今日はどうしようかと思案しながらきたのだけど、例えばリオタールについて読むとか、キャリア論におけるカオス理論について読むとか、ナラティブtherapyの実践書を読むとか選択肢はあったのだけど、なんとなく虚しく感じて持ってこなかった。

何が虚しいって、ここでどれだけ知識を蓄えても、4月から相対すであろう人たちに響くことはとても少ないという感覚がある。


周りの人からみれば、私がやっているのは「勉強」らしい。よく勉強してるねーとしか言われない。でも、私にとっては勉強ではない。説明するのが難しいので、サッカーファンがサッカー雑誌を読むようなものと例えているけれど、それよりもう少し真剣だ。

サッカーの試合を、ただボールが転がるのを追うのと選手全体の配置を見ながら戦略や得意分野を知りつつ見るのとではたぶん、奥深さや面白さが違う。いい悪いではなくて、「面白さ」の種類が違う。どちらに惹かれるかは人によると思うのだけど、私にとっては後者の面白さが重要で、前者は脊椎反射的な感情の上下動が巻き起こる一瞬を除いては退屈な時間でしかない。

全部の分野についてそうではないけれども、少なくともキャリアの分野については即時性のある顧客志向(要するに感情移入と根性論でサポートすること)よりももう少し引いた視点でみるのが好きだ。

昨日まで読んでいたキャリア構築主義は間違いなく21世紀という混沌を生きる上で大切な思想だと思う。

今日日いたるところで指摘されているスマホやなんやの恩恵で、集団(国や企業)が終世個人の人生・キャリアの面倒をみるのが限りなく不可能になっている(未だ影響は非常に大きいが)。

問題なのは、今が過渡期だということだ。

欧米は知らないが、日本においてはその過渡期が始まったばかりだと感じる。

一部のインフルエンサー界隈で、本能的にそういったことを感じ取り、切り開こうとしている人がいるのは事実だと思う。

ただ、外から眺めていると、それも個人で切り開いていくというよりは、誰かが釣ったドジョウを狙って殺到しているようにも見える。こうやれば成功したから、こうやっておけば安心。

いままで「大手企業に入っておけば安心」という文脈があったが、その大企業が方法論(マーケティング論)にすり替えられただけだ。

そして、実際転職相談の現場にいて感じたのは、みんな答えが欲しいのだ。「ここに行けば安泰ですよ」という言葉が欲しい。わたしは関西にいるので特にそうなのかもしれないが、体感で6割以上のクライアントが、「次は一生働ける会社がいい」という。クライアントの年齢はいいとこ30代半ばだ。仮に今後も定年が65だとすると、あと30年。帝国データバンクによると、企業の平均寿命は30年だという。これは、大きなカケだ。20代などもっとリスクが高いだろう。

私に限らず、そういったクライアントがきた場合は第三次産業がこれから伸びていくよとか手垢のついた話をして、そちらを勧めるが、(これも体感値だが)そういったクライアントほど、第二次産業(要はメーカーだ)に行きたがる。メーカー=安定の構図が関西では未だ根強い。

東京でビジネスをやっている友人に話をすると、笑って信じてもらえないが、事実である(どうやら事実らしいと察すると、彼も何も言えなくなっていた)。



そういった彼らに、キャリアは自分で切り開くもの、だから企業にこだわらず自分のストーリーをしっかり作りなさいといっても響かない。

「やりたいこと」をやるのは一部の若者か恵まれた才能のあるひとのみの特権だと思っている節もあるが、とにかく彼らは怖いのだ。

考えることへの恐怖があるのだ。考えないことは、楽だし他人のせいにできる。でも、考えて行動した責任は誰も取れない。自分だけだ。考えると、自分のなかで見ないようにしていた、何か恐ろしいものが湧き上がってくるのでは無いか、そんな直感的な恐怖が彼らの思考回路を麻痺させる。

たった90分で、キャリアの方向性や求人提案まで行わなければならないカウンセリングで、そのディスコースを変えることは不可能に近い。熟達したカウンセラーでも、成功率は半分もないだろう。何より感情労働としてものすごく疲れる。


だから、私が好む世界の話は、現実ととても乖離している。現実にそのまま持ち込むことは、不可能に近い。伝家の宝刀、大上段に振りかぶって理論の正しさ(研究の蓄積という点での確からしさ)を押し付けても、逃げられるだけだと思うのだ。


このあたりのさじ加減がとても難しい。

そして、私は定期的にこういった話を人としていないと死んでしまう生き物だと思っている。

職場にそれをもとめるのは、もはや不可能に近いことも、前回の経験から認識した。


理論の世界を現実世界に接着することはかくも難しい。


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