雑記

はやくやりたい!芋煮会

アウトインアウト。
0.01秒を競うバイクや車のレースで使われるコーナーライン取りテクニックのこと。
通常速度を落とさざるを得ないコーナーにおいてできるだけ速く、少しでもスピードを保ったまま走行するという目的で編み出されました。
方法としては、コーナーの外側(アウト)から入り、内側(イン)を通り、外側(アウト)に抜けます。より直線的に走ることで速度を落とさず曲がれるということです。

アウトとイン。言葉の合致だけと言われればそれまでですが、思考におけるアウトとインもこのライン取りで速くなれるのでは?とふと思った次第です。

よく使われる『アウトプット』と『インプット』という言葉。
「インプットしたら、アウトプットしなくちゃね」とか「現実にしたいならアウトプットしろ!」とか。
なんとなく“やってる風”を装えるので、わたしもバカみたいに使っていた時期がありました。バカでした。大いに反省していますので許してください。

先ほどのアウトインアウトは確か、漫画『頭文字(イニシャル)D』から“インプット”したもので、今それをこうして“アウトプット”しているわけですね。
『頭文字(イニシャル)D』ではアウトインアウトの常識を覆す荒業『溝落とし』なる技も飛び出し度肝を抜かれた記憶があります。
それは、主人公の拓海が『赤城レッドサンズ』のエースドライバー啓介との対決中、アウトを啓介に取られ思いっきりインに寄ってコーナーに侵入してしまい、このままアウトに流される!というところで出した技です。なんとタイヤをいったん道路の溝に落とし、コーナーを曲がる間ジェットコースター状態、つまり遠心力で加速しそのままスピードに乗って溝を抜け出すというもの。
父親から借りている店の車でなかなかアレはできません。
しかも「はやくおうちに帰りたい」というだけの理由でやったのです。はやくおうちに帰りたかった理由は何だったか、ちょっと忘れましたが。
確か、豆腐の配達をしなければならなかったんじゃなかったかな…

えぇと…なんでしたっけ?
あ、そうそう!“アウトプット”と“インプット”でした。
ドライビングテクニックであるアウトインアウトと同じように、思考の“アウト”“イン”も直線のラインを描ければ最速でたどり着きたい答えに向かえるのではないかと思うのです。
それが通常速度が落ちてしまうようなコーナー、つまり少し難しいことを吸収し理解し活用するという局面でも、ということです。

そして順番もアウト→イン→アウトの順です。
え?まず、インプットじゃないの?と思うかもしれません。
確かに厳密には、インがありアウトができます。しかし、インプットしようとするとき必ずすでにインプットされたものがあるはずです。
そのインプットはいつ行われたかわからないけれどすでにあることはわかると思います。常識や固定観念がそれです。
例えば先ほどの「アウトインアウトは速い」というインプットがあり、それを持っていたらきっと『溝落とし』は生まれません。『溝落とし』という常識破りの方法で拓海が勝てたのは、一度「アウトインアウトは速い」というインプットをアウト(この場合手放すというニュアンスでしょうか)したからです。

このようにまず持っている常識や固定観念をアウト(自分の外に放出)しなければあたらしいインプットはできません。

じぶんとはなにか?
じぶんの価値とは?
じぶんの本当にやりたいこと、やるべきことはなにか?
というようなすぐにはかたちに現れてはこないことを探すとき、一番の近道が『アウトインアウト』なのではないかと思うのです。

そして、あたらしいところへ向かおうとするとき、極端にアウトが増えてきます。
それが今のわたしです。
これからあたらしいインプットをするために、今までインプットしてきたものをアウトプットしていくという作業が膨大に必要になってくるのです。
今のわたしが行う、本を読んだり、映画を観たり、気になる場所へ出かけたり、ひとに会ったりということ…これはインプットのようですが、少し違います。
アウトプットのためのインプット、とでもいうのでしょうか?
アウトプットの作業を助けるための情報が入ってきているだけです。この情報によってアウトする情報がまとめられていく感覚があります。
それでも、この情報がさらなるアウトプットを促すので、これがいつまで続くのかとなかば途方に暮れています。
魔女の宅急便的危機的状況です。

というわけで、アウトプットをしつつ、それを助けてくれる仲間を探すことにしました。

今の状況を例えるなら…
芋づる式という言葉がしっくりきます。
ひとつのアウトプットやアウトプットのためのインプット情報が芋のつるです。引っ張ると、どんどん次のつるにつながり、どんどん芋が出てきます。
豊作です。
そりゃもうひとりでは掘りきれないほどの芋が出てくるので、まず芋をいっしょに掘ってくれる仲間を探しています。
そしてこの芋というのがけっこう価値があるので捨て置くわけにはいきません。「豊作の芋を捨ててしまったらもったいないではないか」と思いますよね?
現に、まわりを見回してみると、「この芋が欲しいのだな」と見えるひとがたくさんいます。芋に飢えているレベルで欲しがっているひとも中にはいて、今すぐあげないと死んでしまうのでは…というひともいます。
けれど「見える」というのはわたしの主観であって、当の本人にはその芋が必要でじぶんが欲しがっているものとは気付きません。
そこが常識や固定観念を手放せないから起こっているというところでしょうか。

それに、「じぶんに芋が必要と思っていない」上に、いきなり芋を渡しても食べられないわけです。
そこで、芋煮会です。豊作の芋を、石原軍団の炊き出しのごとく豪勢にふるまおうではないか!ということなのです。

それにはまず、芋を掘り出し、洗って切って、味付けして…といろんな工程があって芋もたくさんなので大変なのですが、さらには、芋を煮る大きな鍋とか、そもそも芋煮会のやり方とか、「芋煮会がありますよ~」という告知の仕方とか準備に必要なもの・知識がないわけです。
全部をひとりでできるわけがないので、鍋を用意してくれるひと、芋煮会のやり方に詳しいひと、告知を有効的・効率的にしてくれるひとが必要だな、と思っています。

ひとつ、ひとつ、コツコツと。
ひとまずいっしょに芋を掘ってくれそうなひとに今度会ってきます。
芋の価値をきちんとわかってくれるひとだと信じて。

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