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〔ショートストーリー〕エマ

森の入り口にあるエマの家まで、夢中で自転車を漕いできた。この辺りは夜になるとずいぶん暗い。息も整わないままチャイムを鳴らすと、驚いた顔のエマが出てきた。私は黙ったまま、彼女に生花で作った花束を差し出す。
「えっ?私、アレルギーだって…」
少し後ずさりながら戸惑うエマ。私は無表情のままで言う。
「嘘だよね、それ。この間、森で見たから」
エマの顔から微笑みが消えた。まだ冷たさの残る夜風が吹き抜ける。


エマが転校して来たのは3カ月前。色白で儚げな彼女は、青々とした雑草の中に咲く鈴蘭のように注目を集めた。
「どこから来たの?」
「ここ、田舎でしょ。退屈しない?」
「体が弱いの?じゃあ、外遊びは無理か。普段は何してる?」
誰のどんな問いにも丁寧に答えるエマの好感度は、更に大きく上がった。男子も女子もエマと話したがり、仲良くなろうと躍起になるほどに。
その中で私と蒼太は、エマと家が近いこともあり、一番仲良くなっていった。エマと仲良くなれたのは、何だかクラスメイトを一歩リードしたようで嬉しかった。ただ、これまで蒼太と2人だった時間が3人の時間になって、少しだけ複雑な気持ちもあったかも知れない。


3人でいろいろと話をするうちに、段々とエマのことが分かってきた。彼女は酷いアレルギーで、都会の空気はもちろん、花粉や香料でも体調が悪くなるらしい。綺麗な空気を求めてここへ来たが、花畑や森の中で遊ぶのも難しいと、残念そうに言う。それがあまりに悲しそうで、私に出来ることは無いか、無意識に頭をフル回転させていた。あ、そうだ!これなら大丈夫かも。
「ね、私、ドライフラワーを作るのが趣味なんだ。それならアレルギー出ないかな?」
私の言葉に、エマの顔が輝く。
「うん!花粉がなければ大丈夫だと思う!」
「じゃあ今度、自信作をプレゼントするよ」
「うわあ、嬉しい!ありがとう!」
蒼太はそんな私たちを、ニコニコと笑って見ていた。


そして先週の土曜の夜。ドライフラワーに使える花が少なかったので、手っ取り早く手に入れようと森の近くまで自転車で来た。ここなら、花屋のような立派な花はなくても、自然に生えている花々が手に入る。最近は何故か花が少ない気がするが、それでも必要な分くらいは咲いているはず。満月に照らされた森の中へ、自転車を降りて歩きかけた時、見慣れた人影があることに気付いた。
「え?エマ…?」
アレルギーだと言っていた彼女は、素手で花を摘んでいる。躊躇いもなく、くしゃみも咳も出ないまま、淡々と花を摘み続けているが、何かおかしい。気付かれないようそっと近付いてみて、違和感の正体が分かった。彼女が摘んだ花は、彼女の手の中で見る間に干涸らびて行き、最後は粉々になって消えていた。まるでドライフラワーを握りつぶすように。そして、花が枯れていくのに従い、彼女の顔に赤みが差していくように見える。
もしかすると…彼女は花の生気を手から吸っているのでは。俄には信じられないが、目の前の光景からはそうとしか考えられない。私はヒッと言いそうになる口元を慌てて押さえると、気付かれないよう細心の注意を払いながら、震える足でその場を立ち去った。


月曜からも、彼女と蒼太と3人の時間は続いた。が、私は以前のように無邪気には振る舞えなかった。どうしても恐怖が甦り、エマと距離を置こうとしてしまう。2人はそんな私を訝しがり、何かあったのかと心配もしてくれたが、自分が何を見たかなんて言えるはずがない。何となくギクシャクしているうちに、事件は起きた。
エマが体調不良で学校を休んだ木曜日。先生からプリントを届けるように言われ、私がそれを渋っていると、
「あ、俺、行きますよ。ついでがあるんで」
と、蒼太が代わってくれた。最近の私の様子を知っているので、さり気なくフォローしてくれたのだろう。彼に申し訳ないとは思ったが、それよりもホッとしたのが正直なところだった。
だが。彼は彼女の家へ行った後、そのまま姿を消してしまった。彼の両親はもちろん、うちの両親も、先生方も、今必死で彼を探している。


私の頭に恐ろしい考えが浮かんだ。もしエマが、人間からも生気を吸い取れるとしたら…。そんなことあるはずが無いと思うのに、不安はどんどん大きくなっていく。とうとう私は、辺りの花を摘んで小さな花束を作り、エマの家まで自転車を漕いだ。そして見たことをハッキリと告げたのだ。
「…いつ、見たの」
「先週の土曜」
エマは薄く笑った。
「そっか。だから冷たくなったんだね、私に。化け物とでも思った?」
「そうじゃない。でも」
私はグッと体に力を入れて続ける。
「蒼太は、どこ」
エマがポカンとして私を見た。演技ではなさそうだが、果たしてそうなのだろうか。いや、簡単に信じることなどできるはずが無い。
「何のこと?蒼太くんが居なくなったって連絡は来たけど…」
「今日、プリントを持ってきたでしょ」
「うん。でも、これから寄るところがあるからって、すぐに帰って…」
エマはハッとしたように私を見た。
「まさか…私が何かしたとでも思ってるの」
私は何も答えず、ただエマをじっと見つめる。エマも何も言わず私を見ていたが、不意に私の手から花束を取り上げた。彼女の手の中で、花は見る見る枯れていき、最後は砂のように粉々になって消えた。


「確かに私は、植物からエネルギーを貰わないと生きられない。口から摂取した物だけでは、動くことすらできなくなってしまう。だから、あちこち転校しながら、自然の多いところを渡り歩いているの」
エマが自分の手を見ながら、静かに言う。
「これが病気なのか、それとも何かの呪いなのか、私にも分からない。ただ、気味悪く思われることは分かっているから、家族以外には知られないように生きてきたわ」
彼女は顔をあげると、今度はしっかりと私の目を見て続ける。
「でも、人間からも、それ以外の動物たちからも、エネルギーを貰ったことなんてない。これからも。そんなことをしてまで生きていたくない」
「じゃ、じゃあ蒼太は…」


その時、私の両親が叫びながら走ってきた。
「いた、居たよ!蒼太くん!」
こちらに向かって手を振りながら、息を切らして私たちの前まで来た。
「あんたの自転車がなかったから、多分ここだと思ったわ。2人で蒼太くんの行きそうなところ、考えてたんでしょう?」
母が屈託のない口調で言う。同じように明るい声で、父が続ける。
「蒼太くん、お前がエマちゃんにドライフラワーを作るって聞いて、珍しい花を探しに行ってたんだと。でも岩場で足を滑らせて、斜面を滑り落ちてしまって、足を挫いて動けなかったそうだ。病院で診てもらってるけど、打ち身だけで大丈夫そうだよ。良かったな、2人とも」
嬉しそうな両親を見て、息が苦しくなる。全ては私の邪推だったのだ。自分の顔が強張るのを感じた。が、すぐにエマがホッとしたように明るく言う。
「そうなんです!2人で考えても、どこに行ったか分からなくて。蒼太くんが無事でよかったです!ね?」
エマが私を見た。私も彼女に合わせてそれらしいことを言うと、両親はなんの疑いもなく信じたようだ。今夜は遅いから話はまた明日にしなさいと言われ、私はエマに軽く手を振って別れたが、彼女の目を見ることは出来なかった。


翌日。蒼太はあちこちに擦り傷を作った状態で、足首には包帯を巻いて登校してきた。だが思ったよりも元気そうで、みんなに「心配かけてゴメン」と謝り続けている。一方、エマはいつまで経っても来ない。
やがて担任が来て、残念そうに告げた。
「えー、エマさんは昨夜、急に体調が悪くなったので、都会の大きな病院に入院することになりました。みんなに最後のお別れが言えないことを、とても残念がっていたそうです。またいつか元気になったら、ここに戻りたいと言ってくれているので、彼女の病気が早く良くなるよう、みんなで祈りましょうね」
クラスメイトたちから悲鳴のような声が聞こえた。蒼太も、信じられないという顔で呆然としている。
そして私は。正直、彼女と会うのはとても気まずかったが、それでも会わなければならなかった。許して貰えないとしても、深く彼女を傷付けてしまったことを心から謝罪するために。だがこれで、彼女に謝る機会を永遠に失ってしまった。恐らく、秘密を知られた以上、ここに居続けることはできなかったのだろう。全ては浅はかに気持ちをぶつけた私のせいだ。


私は体調が悪いと言って早退すると、未完成のドライフラワーと一緒に、全てのドライフラワーを捨てた。生花の花束を渡したときの、エマの青白い顔が浮かぶ。あの時枯れてしまったのは、花だけではなかったのだ。
殺風景になった部屋の壁を見ながら、グッと奥歯を噛みしめる。泣くな、私。お前にそんな資格はないのだから。
「うわあ、嬉しい!ありがとう!」
エマの弾んだ声が、輝く笑顔が、何度も何度もよみがえる。
もう二度と、私がドライフラワーを作ることはない。
(完)





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