見出し画像

映画雑談『多十郎殉愛記』(中島貞夫監督追悼)

日本映画を牽引してきた名監督の一人である
中島貞夫監督が、先日ご逝去されました。つつしんでご冥福をお祈りします。

中島監督の遺作となった『多十郎殉愛記』が公開されたのは平成最後の年の春、間もなく令和を迎える頃でした。
公開して最初の日曜日、梅田ブルク7(現 T・ジョイ梅田)で
中島監督が舞台挨拶されると聞き、私もお姿を拝見しにゆきました。
中島監督はその時点で80歳を過ぎておられましたがお元気そうで、終始笑顔で楽しげに語ってらしたのが印象に残っています。20年振りの長編映画がチャンバラ物の時代劇というところが、これまた精力的な様子でうれしく思いました。

中島監督は登壇してまず最初に「映画を完成に近づけることができました」と、おっしゃいました。映画はお客さんが観ることによって、はじめて完成するものとのことです。たしかに、どんな創作物も受け手それぞれにそれぞれの解釈があって然るべきものです。最後の仕上げは観客に委ねられるものなのでしょう。
それはけして観客に理解や共感を強要しているわけではなく、どれだけ優れた作品であろうとも、観客の心に響かなければ意味がないというプロとしての自戒でもあるのだろうと思います。そもそも作り手が教え与える姿勢であっては傲慢なだけで、市井の観客の共感は得られそうにありません。
中島監督は『神の目線』ではなく常に地を這う人間の目線で映画を撮っています。任侠物も文芸作品も、ヒーローやヒロインの活躍というより、アウトローやドロップアウトした人の苦悩、たくましさ、そして滑稽さを描いてきました。
『多十郎殉愛記』もまた、勧善懲悪の活劇というよりはアンチヒーローの最後を描いているように思います。自堕落な乱痴気騒ぎ、華麗というより足掻くような殺陣、意外なくらいあっけない幕切れは、まるで日本映画全盛期を映しているかのようでもあります。消えゆく時代とそこに生きた主人公の姿は、
中島監督が愛した映画人そのものではなかったでしょうか。
よく知られたエピソードですが、
中島監督の自宅に、仕事にあぶれた大部屋俳優がしばしばたむろして飲み食いしていたそうです。のちに主役を食う意で『ピラニア軍団』と名乗った人たちです。
「次の映画、出るか?」「出る出る!」といった調子で、
中島監督の作品に出演していたとか。いつも愉快な宴会だったに違いありません。きっと当時の東映の岡田茂社長の(愛ある)悪口で大盛り上がりだったことでしょう。
中島監督の楽しそうな笑い顔が、目に浮かびます。

さて舞台挨拶の続きですが、令和に元号が改まることを機に、これからやってみたいことをフリップボードに書いて発表することになりました。しかし、
中島監督は何も書かず白紙のままです。 
「次があると思って仕事をしていない」ということだそうです。
ご高齢という理由もあったでしょうが、なにより一所懸命の覚悟は侍のそれです。
ちなみに、一緒に登壇していた主演の高良健吾くんは「アイロンがけ」と書いて笑いをとりにきました。いや、観客は誰もクスとも笑いませんでしたが。とはいえ棒切れ一本だけ持って大阪に乗り込んできたような度胸だけは、大したものだと思います。

中島監督作品で私が一番好きなのは、断然『狂った野獣』です。
主演の渡瀬恒彦さんはもちろん、ピラニア軍団の川谷拓三さん、志賀勝さん、室田日出男さん、みなさんイカしてます。
中島監督、本当にお疲れ様でした。私は『狂った野獣』のバスの乗客の一人になりたいと、これからもずっとずっと思っています。


この記事が参加している募集

おすすめ名作映画

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?