見出し画像

美術展雑談『佐伯祐三 自画像としての風景』

才能のある人は大変やなー、と呑気に思ってしまってごめんなさい。
美術展『佐伯祐三 自画像としての風景』は、まさに非凡な主人公の宿命を描いたドラマのようでありました。

生涯のすべてを青春時代として過ごした人です。走りながら倒れた人です。もともと病弱であったとはいえ無理をせず長期的な展望で活動していれば、30歳の若さで亡くなることもなかったかも知れません。そうだったなら壮年期までには間違いなく巨匠となって、今回の展示も若手修業時代の作品群として「若い頃の生硬な筆致も魅力的」とかなんとか、別の評価を得ていたことでしょう。

佐伯祐三さんに才能を与えたのは美術の神様なのでしょうか、それとも悪魔なのでしょうか。たとえるならピーキー過ぎるV16エンジンを積んで崖道を攻めるような生き方を強いられたようなものです。その苦痛と恍惚が彼の作品からあまりに感じられてしまい、私ごとき一般大衆には鑑賞途中でシンドく思えてくるのも偽らざる本音です。
メインビジュアルの一つになっている『郵便配達夫』(中之島美術館開館記念のコレクション展でも目玉になった傑作です)に到ってようやく「にいちゃん、あんた、イケてるで!」と言いたくなるのですが、その後間もなくして生涯を閉じてしまうとは、なんという非情でしょう。見ているこっちが口惜しいです。
その短い生涯を崇高なものとして讃えることに異論はありません。しかしまだまだこんなものではない大器の片鱗を見せつけながら未完のまま彼が世を去ったことに、ひたすらにもったいないという思いのほうが強いです。神様か悪魔か知りませんが、なんて意地悪なのでしょう。

展示作品の中でも心に残った作品は、よく知られている、あの自画像です。パリに渡り、ヴラマンクにアカデミックだと罵倒され、打ちのめされた後の、顔を塗りつぶしたものです。所在なげに突っ立っている貧相な若造です。

学生時代に描いた、自信と野心に満ちた自画像とは真逆な印象です。まるで別人です。

それは単なる自信喪失や自己否定を描いたものとは思えません。もしそうなら、どこかにナルシシズムが感じられそうですが、そこには消え去ってしまいたいような情けなさしかありません。
その絵は別の作品の裏に描かれています。誰かに見せるものとして描かれたわけではないということです。おそらくは堪え難い無力感が自身の内側から溢れ出て絵になってしまったのでしょう。もしくはそうしなければ、彼の心が保てなかったのかも知れません。
しかしそんな作品ともいえない絵が、何より正直で偽りのない人間の姿として、評価以上の共感を得ることになりました。もちろん私も大好きです。にいちゃん、あんた、やっぱりイケてるで! と偉そうに思ってしまって、これまたごめんなさい。

展示のラストは、生涯の最後の年に描かれたという扉の絵でした。重厚な質感を、これしかないだろうと思わせる勢いのある筆致で表しています。

『黄色いレストラン』と『扉』が並べられていました。良いですね。

なにより扉というモチーフが、まるで彼自身の生き方を象徴しているようでもあります。閉ざされた扉は重く、暗く、覆い隠された謎を思わせます。正解のない世界に飛び込み、挑みつづけた青年を描くドラマの、印象的なラストシーンでした。
物質的な豊かさを得ることが成功なのだとしたら、彼はけっして成功者ではありません。もしかしたら彼のことを愚かだという人だっているかもしれません。いや、きっと愚かなのでしょう。そしてそんな愚かな青年の描いた絵が多くの人たちを魅了するのも、人の心の謎ですね。多くの人たちの中のひとりとして、そんなことを思いました。
彼の生まれ故郷である大阪中津あたりを歩くとき、これから私は、青年の大いなる助走に思いをはせることでしょう。祐三さん、あんた、ほんまにイケてるで。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?