浮きつ沈みつ笹の船団
身体が重くなっていく。僕の身体に流れ込んでくる冷たい海水が、僕を海底に引きずり込もうとしていた。
賢明な乗組員と船長が、すぐに僕を諦める判断をしてくれた。今、沈んでいく僕の傍には、いくつもの避難用ボートが浮かんでいる。どのボートも人でいっぱいだ。
今さっき、やっと応答があった。気付いてくれた救助船が、もうすぐ来るだろう。ほっとした。しかし、ただ1人、船長だけが操舵室にいつまでも残っていて、僕はまだ完全に安心できない。
「ここまで、よく持ちこたえてくれた。とりあえず、全員船から退避させられた。頑張ったな。今まで、いくつもの船を操縦してきたが、お前は特別、気に入ってたんだ。これからも、お前は私にとって唯一の、特別な船になるだろう……」
操舵室に響く、船長の穏やかな声。もう、操舵室から出て行ってはくれないようだ。言葉を話せたら、人間の身体を持っていたら、僕は船長の腕を引っ張って、無理やり避難ボートに乗せるだろう。
凛々しい眼差しと綺麗な白髪が特徴的な船長は、過去に何回も僕を操縦してくれた。僕に無理をさせないように、常に気を配ってくれていた。ああ、船長としての責任なんか放棄して、避難してほしいのに。
ギガガガバリバリバリガガギギガガガガ……
凄まじい衝撃と轟音。
僕の身体は真ん中から折れたらしい。海面に対して垂直という、船としてあり得ない姿勢になった僕は、いっそう早いスピードで沈んでいく。
重力の方向もめちゃくちゃになった操舵室の中で、船長は強張った笑顔を浮かべていた。
暗い海底に落下している。鋼鉄製の身体が冷え切っていく。僕が今、軽い木製の船になれたら。船長と一緒に浮上できるだろうか。船長は、もう、穏やかに寝入っている。
微かに入ってくる日光と、ちらちらと小さい何かが動く気配で、完全に覚醒した。沈没した時の夢を見ていたから、なんだか、気分が重い。
「初めまして沈没船君。海水でかなり浸食されているけど、まだ意識があるようだね」
小さな声で話しかけられた気がするが、話す元気が出ない。押し黙っていることにした。15cmほどの長さの、小さい船の集団が僕の周りをぐるぐると回っている。
1艘の小船が僕の目の前で止まった。よく目を凝らすと、船体は何かの葉でできているようだった。
「…………なんだい?」
こんなに小さい、葉っぱの船なんて、見たことない。気になったので、応答してみた。
「おお、寝ているのかと思った。驚かせてごめんよ。やぁ。私たちは笹舟。とある船乗りに作られたんだ。世界各地の海底にある、沈没船を見舞っている。それだけでなく、沈没船の無念を浮上させて、悲しみを鎮める使命を負っている」
久々に聞いた、ヒトの声。低いけれど、柔らかい声。船長の声に似ている、気がする。分からない。まだ操舵室で眠っている船長の声は、どんな声だったか。もう思い出せない。
「……なるほど。船長を守ってるんだね。まだ意識のある沈没船はね、無意識に微弱な電気信号を放ってるんだ。悲しいって伝える信号さ。とても弱いから、私たち笹舟しかキャッチできない。その信号を頼りに、私たちは沈没船を探してる」
目の前の笹舟が、ゆっくりと連続宙返りを始めた。
「……きっと、僕じゃないよ。悲しいのは、無念なのはきっと、操舵室で寝ている船長だ。船長が信号を発してたんだ。僕は、悲しくも虚しくもない」
「……そうか。それじゃあ、船長の無念を浮上させよう。これからも君の操舵室で、ゆっくり休めるように。そうするかい?」
「うん。そうする」
「よしきた。それじゃ、集合ー!」
号令が響いた直後に、僕の周りで悠々と泳いでいた笹舟が、目の前に集まって整列した。かっこいい。よく統率のとれた船団だ。
「では、始めようか。君は何も心配しなくていい。無念の塊は私が小分けにして、この笹舟たちに乗せていく。リラックスしていて」
しばらくすると、笹舟たちは1艘ずつ上昇していった。それぞれ、煙のような、もやもやした何かを乗せている。笹舟たちはシューン、シューンと、船首で海水を切るように浮上していく。
ぼんやりと見送っていると、眠たくなってきた。
船長を乗せたまま、この笹舟たちのように浮上していく自分を想像する。海の上へ、軽やかな空気に満ちた世界へ。そして、若かりし頃に戻った船長が、また僕を操縦して港に帰るのだ。
最後の笹舟が、シューンと飛んで行った。何だかとても、心地好い。ここは海底なのに、暖かい。ああやっと僕も、船長と一緒に眠れそうだ。
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