見出し画像

和紙とシューマンの共鳴

早朝、手指に白い息を吹きかけ、気合を入れる。真冬の紙すきの仕事は、身にこたえる。皺が目立ってきた両手をまじまじと見た。丈夫とは言えない自分の身体は、あと何枚の和紙を生みだせるだろうか。


舟、と呼ばれる木製の水槽に、和紙の原料となる三椏みつまた雁皮がんぴこうぞの繊維と、接着剤となるネリを入れる。よくかき混ぜて状態を確認し、ネリと繊維の配合を調整して、またかき混ぜる。

理想的なとろみが出てきた。すぐに簀桁すけたを舟に入れる。すだれと木枠が一体化したような道具で、紙すきには欠かせない。

まずは簀流すながし。すくった原料を、流し落とす。縦方向に繊維が残るように、手前から奥に向かって流すのがポイントだ。そして、いよいよ本番。深呼吸だ。息を吸う。

「長尾さん、おはようございまーす!あっ!もう和紙作ってる!撮っていいですか?!」

吸い込んだ息を、慌てて吐き出す。いつでもどこでも、セーターの上にアロハシャツという珍妙な服装の猫瀬ねこせさんだ。もうスマホを構えている。ちょっと緊張するが、そのまま作業を進めることにした。

原料を手前側からすくい、前後に揺らす。波の大きさを一定に保たないと、ムラができてしまう。すくっては、揺らして、流す。

よし、これでいい。最後にまた、原料を手前から奥に流して、終わり。いつの間にか猫瀬さんは私の真横に移動し、手元をじっと覗き込んでいた。

「……あれ?スマホはどうしたんです?」

「ああ、途中から、自分の目と耳で覚えておきたくなって。やっぱり紙すきって、綺麗ですね。音も、光景も」

いつもの騒がしい猫瀬さんらしくない、静かな声だ。

猫瀬さんは、三日前から近所の民宿に泊まっている観光客の男性だ。私の和紙工房の見学が目当てで来たという珍しい人。この工房に初日から入り浸っている。

シンガーソングライターだと言っていた。なぜ和紙作りに興味を持ったのか、謎だ。

「紙すきの音かぁ。あなたの音楽作りのお役に立てば、いいんですがねぇ」

笑いながら、すいた和紙を乾燥させる作業に移る。猫瀬さんは真剣な面持ちで、耳を澄ませていた。


休憩中、猫瀬さんを探して縁側を覗くと、紙飛行機だらけになっていた。ちんまりと座っている猫瀬さんが、廃棄用の和紙で紙飛行機を量産している。

「空港の駐機場みたいですね……」

「あっ!長尾さん、すみません!散らかしちゃった」

「いえいえ、いいんですよ」

私が横に座ると、猫瀬さんは作りかけの紙飛行機を床に置いた。やっぱり、元気がない。

「あなたには、ここは退屈じゃありませんか?町に行ってみては」

「そんなことないです。静かな音に満ちていて、刺激的です。俺、静かな音楽を極めるのが夢で。シューマン共鳴って、知ってます?地球が奏で続けている音です。聴覚を持つ生物が生まれる、ずっと前から。その音をベースにして、究極に静かな音楽を作りたいんです」

シューマン共鳴。初めて聞いた。シューマン、シューマイ……晩ご飯は焼売しゅうまいにしよう。

「……でも俺はこの通り、落ち着きのない人間です。静かな音を感じとる力が弱い。だから、俺とは対照的な長尾さんに、ここの和紙工房に、鍛えてもらいたくて。ここに来たんです」

「なるほど。静かな音楽か……。ん?極めたら、無音になっちゃいませんか?」

「そうなんですよ。最近、仕事仲間にも音が小さすぎるって苦情を言われてて。根本的な問題があるんです。やっぱり、無理な夢かな……」

猫瀬さんは項垂れて、大きなため息を吐いた。

「でもあなた、絶対に叶う夢じゃ、物足りないでしょう。だから、こうやって自分なりに足掻いてきたんでしょう。それなら大丈夫ですよ。最初に思い描いたゴールじゃないかもしれないですけど、きっと、素晴らしい場所に辿りつけます」

「……長尾さん……そうですよね!」

立ち上がった猫瀬さんは、並べていた紙飛行機を勢いよく庭に飛ばし始めた。よしよし、元気になったらしい。

「あなたは実際に行動できるのだから、すごいですね。私にも夢がありました。南国には、個性的な樹木が多いでしょう。その樹木で、和紙を作ってみたいなぁなんて、思ってたんです。でも、夢のままにしてしまった」

紙飛行機を飛ばすのを止めて、猫瀬さんは私を見つめた。

「飛んでみれば、きっといい場所に行き着く。さっき長尾さんが言ったじゃないですか」

「ははは。そうですね。すみません偉そうに言ってしまって。私はもう若くないし。こうなったらいいな、くらいの軽い夢でしたし。気づいたら、飛べなくなってしまいました」

少しの沈黙が流れてから突然、猫瀬さんがずんずんと近づいてきた。怒らせてしまったのかと思い、反射的に縮こまった次の瞬間、私は軽々と肩に担ぎあげられていた。

「うわあぁ!」

「ほら、飛べた!二人いれば、意外と簡単でしょう?俺も手伝いますよ!長尾さんの夢への離陸!」




現地の人々の前で、汗を拭いながら紙すきを実演する。原料から立ち上る、甘いココナッツの香り。傍らのラジオから流れる、猫瀬さんの楽曲が私の緊張を和らげてくれていた。

私の和紙を丸めたり広げたりする時の音を、幾重にも重ねて作った楽曲らしい。ゆったりとしたシューマン共鳴波のテンポで、和紙が小さく歌っている。



この記事が参加している募集

眠れない夜に

お気に入りいただけましたら、よろしくお願いいたします。作品で還元できるように精進いたします。