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天空へ続くリード

人間のほうが犬に散歩させられている。今の私の状況を見た人は、絶対にそう思うだろう。いつもの早い時間帯。変わりない散歩コース。一体何に興奮したのか分からないが、柴犬のコマちゃんが急に走り出してしまったのだ。

「コマちゃん!ストップ!ストーップ!」

小さい身体に無限のパワーを秘めているコマちゃんに引きずられていく。ハーネスの紐を放すまいと必死になっていると、周囲がだんだん見慣れない景色になってきた。

やっと止まってくれた。息を切らしながら辺りを見回せば、川沿いに広い空き地が広がっていた。いつも人気ひとけがないので、なんとなく近寄りがたいエリアだ。

近くに龍神様を祀る神社があるせいか、空き地で騒ぐと龍神様に祟られるなんていう噂もある。そのせいで、遊び盛りの子どもたちも近寄らない。いや、子どもたちを遠ざけるために、そんな噂が流れたのかも。

「あっ!コマちゃん!」

また走り出したコマちゃんは、私を空き地へと引きずっていく。空き地で走り回りたいのかと思ったら、目当ては川沿いの草花だったらしい。

「わぁ、綺麗」

川べりには、野花や野草がたくさん生えていた。コマちゃんは嬉しそうに草花の匂いを嗅いで、うっとりしている。犬だって植物に癒されたい時もあるのだろう。ぼんやりと草花を眺めていると、宝石のように真っ青な実を見つけた。たくさん生っていたので、集めてみる。

「コマちゃん、なんだろうね、これ。あっ!食べちゃだめ!」

おやつ?おやつ?と目を輝かせながら、私の手に鼻を押し付けてくるコマちゃんを制していると、誰かが近づいてくる気配がした。

「おはようございます。今日はいいお天気ですねぇ。あらら、可愛い柴犬ちゃんだ」

振り向くと、穏やかそうなおじいさんがいた。渋い和服姿で、長いリードを持っている。そのリードの先を辿ってみると、どんどん空へと上って、ついには見えなくなった。

「お……おはようございます。あの、リード、めっちゃ長いですね」

「あはは、そうなんです。とても大きな子なので。毎朝、ここに来るんですよ。この子のおやつになる実が生っているので」

おじいさんはしゃがみ込み、私が集めていた青い実を手に取った。

「もしかして、この青い実ですか?」

「あ!それです。そのリュウノヒゲ、という野草の実が一番の好物のようで」

「なんとなく集めてただけなので、良かったらどうぞ」

「わぁ。助かります。この歳になると、小さい実を集めるのも大変で。てんちゃん、お姉さんがリュウノヒゲをくれますよ。降りてきなさいな」

おじいさんが上空に向かって話しかけるが、何も起きない。リードの先に目をこらすと、小さな点が大きくなってくる。何かが近づいてきている。

何かの顔だ。だんだんと顔の特徴がはっきり見えてくる。長い髭。大きな牙。立派な角。

「天ちゃん。お姉さんに挨拶は?」

目の前に降りてきた巨大な龍は、私に会釈した。なんとか、首だけで会釈を返した。焦って手に持っていた実をおじいさんに渡そうとするが、受け取ってもらえない。

「ははは、びっくりしますよね。でも大丈夫ですよ。この子は絶対に人を傷つけません。そのまま持っていて。ほら、天ちゃん」

震える私の手に、龍は鼻と口を近づける。あれ、コマちゃんと一緒だ。そう思ったら震えが止まった。小さな舌が伸びてきて、手の上の実をすべて絡めとっていった。

「ほら、大丈夫でしょ?天ちゃん、ありがとう、は?」

龍は満足そうに鼻息を漏らしながら、私に深々と頭を下げた。七色に光る鱗に埋もれている目元は、とても穏やか。

「……天ちゃん、可愛いですね!」

「うふふ、そうでしょう?卵の時からずっと、愛しくてたまりません」

卵から、という言葉に驚愕する。龍は卵から生まれるのか。というか、実在していたのか。卵はどこから貰ってきたのだろう?色々な疑問が浮かぶが、とりあえず今なすべきことは。

「あの、触ってもいいですか?」

「ええ、どうぞ。髭の付け根とか、顎の下とか触ると特に喜びますよ」

おじいさんの言う場所を、優しく両手で撫でてみる。天ちゃんは目を細めて、ピィ~と小さく鳴いた。なんとまぁ可愛い鳴き声。

「龍って控えめに鳴くんですね。もっとこう、グオォォとかガオォォって鳴くのかと」

「本気で怒れば、きっとそういう鳴き声になりますね。でも、天ちゃんは一度も怒ったことがないんです。何かに困ると、すぐ空に逃げてしまうほど臆病な子で」

コマちゃんが興奮した様子で天ちゃんに吠えている。威嚇ではなく、きっと遊びのお誘いだ。史上最速でしっぽを振っている。天ちゃんはコマちゃんをじっと見つめていた。

「天ちゃん、この子は柴犬のコマちゃんだよ。よろしくね」

コマちゃんと天ちゃんは、どんどん顔を近づける。ついに鼻と鼻がくっついて、また離れて。天ちゃんが長い髭を伸ばしてくると、コマちゃんは髭とダンスするようにはしゃぎ回る。興奮しすぎたのか、髭をぱくっと咥えた。

ピィィ~!

天ちゃんは叫びながら急に遠ざかり、雲の中へと引っ込んでしまった。

「ああっ!ごめんなさい!コマちゃん、嚙んだらメッ!」コマちゃんは耳もしっぽも垂らしている。

「龍は頑丈ですから大丈夫ですよ。少し驚いただけでしょう。やっとお友達ができて良かった。怖がられて、今までずっと友達ができなかったのです。コマちゃん、また遊んでくれるかい?」

ワンッ!という元気な返事に、おじいさんは微笑んだ。明日からは新しい散歩コースで、天ちゃんとおじいさんに会いに行こう。



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