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浮動金魚の赤

窓辺の棚に並べられた、小さな多肉植物たちを、霧吹きで目覚めさせていく。棘だらけの子。小さな子。花の蕾をつけている子。それぞれの姿形、色が愛おしい。

一番端にある子に、目が留まる。燃えるように赤い。昨日よりも、ずっと赤くなっていた。

「もう寒くなったもんね。本当に、紅葉みたい」

真っ赤な子の頭を撫でる。小さな多肉植物屋を開いた時から、ずっと扱っている品種だ。「火祭り」という名前の子。寒くなると、真っ赤に染まる。花のような形なので、バラのようにも見えるのだ。

プルルルルルル

バラのような紅葉のような火祭りを鑑賞していたら、店の電話が鳴った。霧吹きを置いて、急いで受話器を上げた。

「はい。多肉植物屋サキュレントです」

「お久しぶりー!私。あのさ、今日の昼休みに、そっち寄っていい?見てほしいものがあって」

「私、じゃ分からないでしょうが。というか、これお店の電話だからね夕子ゆうこ。私用ならスマホにかけてよ」

「ごめんごめん、焦ると色々忘れちゃうんだ。名乗るのも」

てへへ、と笑う夕子に脱力する。

「まぁ、いいけど。久しぶり。で?何かあったの?緊急事態?」

「うん。紅葉の瓶詰め、貰ってくれないかなぁと思いまして。とりあえず、今日行くねー。じゃ」

「あっ、ちょっと」

切れた。紅葉の瓶詰め。紅葉の?首を傾げながら、火祭りをちらりと見た。



店の奥で昼ご飯を食べていると、店のそばに車が停まる気配がした。夕子だろう。立ち上がり、ドアに向かっている途中で、ドアが開いた。

「お邪魔しまーす!」

よく響く大きな声に、びっくりする。多肉植物たちも驚いたろう。

「うわ、びっくりした。なんか気合入ってるね。それで、紅葉の瓶詰めって?それ?」

「そうそう。ほら、よく見て。これ、何だと思う?」

夕子が手に持っている瓶を注視する。ラムネ瓶くらいの大きさの瓶の中に、小さな紅葉が1枚入っている。紅葉にしか見えない。

「……紅葉?」

困惑する私を無視して、夕子は肩掛け鞄に瓶を入れて、代わりにファイルを取り出した。ずいっと私に突き出してきたので、思わず受け取る。ペラペラとめくると、衝撃的な写真を見つけ、固まった。

巨大な、マンボウと同じくらいの大きさの金魚が、空中に浮いている。その横で、笑っている夕子の写真。写真の下には、浮動金魚という文字と、研究開発者の名前が載っていた。夕子の名前だ。

「ふふふー。ずっと秘密にしててごめんね。極秘の研究でさ。やっと話せるようになったんだ。浮動金魚っていう、空中で生きる金魚を開発してたの」

金魚。ほっとした。夕子は幼い頃からずっと、怪しげな研究をしていた。昔から私にだけは、マニアックな研究について語ってくれていて。最近は私にも話してくれないので、危険な研究でもしているのかと、ちょっと心配だったのだ。

「やばい研究でもしてるのかと思ってたよ。金魚かぁ。これ、本当に生きてるの?風船とかじゃなくて?」

「む。失礼な。生きてるよ。普通の金魚と同じ。ちょっと大きくて、浮動する以外は。卵も産むんだよ。ああ、卵も普通の金魚とは違うんだった」

夕子は再び、紅葉の瓶詰めを取り出した。

「これが、浮動金魚の卵なんだ」

再び衝撃で、固まる。金魚の卵が、この紅葉?

「……からっからに乾いてるし、ぺらっぺらに薄いけど……。本当に?」

「うん。この瓶に水を入れておけば、3日後には稚魚になるよ。その後は、どんどん大きくなる。瓶から出せないサイズになる前に、出してあげて。そうすれば、すぐに空中で浮いてくれる」

夕子から瓶を受け取り、じっと瓶底の紅葉を見つめる。本当に、金魚になるのだろうか?まだ信じられない。

「展示したいっていう世界中の水族館に、送り出してたんだけどね。どうしても、この子だけが余っちゃったんだ。もうラボにも私の家にも、たくさんいるからさ、もう飼いきれなくて。だから、どうにか、お願いできないかなぁって」

夕子は両手を合わせて、頭を下げた。少し、考える。飼うとなると、この店に置くことになるだろう。マンボウみたいな金魚が浮いている、多肉植物屋……。

ちらりと、不安そうな夕子が私の顔を見上げてきた。

「……エサは、普通の金魚のやつでいいのね?」

夕子がガッツポーズをした。



瓶の中に水を入れてから3日目、本当に紅葉が金魚になっていた。真っ赤な、美しい金魚に。

「今、外に出してあげるからね。でも、まだ小さいな……大丈夫かな……」

ドキドキしながら、ゆっくり瓶を傾け、水を出す。すーっと金魚が流れる水に乗って、私の掌の上に出た。必死にピチピチと跳ねる金魚。焦って瓶に戻そうとした瞬間、ぽーんと飛んだ。

私の目線の高さで、止まった金魚。私の顔をじっと見た後、優雅に空中を泳ぎ始めた。

「はは、本当に、浮いた!」

生まれたばかりの浮動金魚は、ゆっくり、真っ赤な「火祭り」に近づいていく。

「ふふふ、君の色と似てるでしょう?火祭りっていうんだ。よろしくね。君の名前も、決めなくちゃね」

窓の外を見れば、紅葉が舞っていた。紅葉と漂う金魚と火祭りと。今、私は温かい赤色に満たされている。


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