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エウロパの海へ潜降

窓辺の猫は、窓の外を覗くようにプログラムされている。おお、ちょっと詩的ではないか、と頭に浮かんだ言葉ににやにやしていたら、窓辺の三毛猫が無遠慮に俺の腹部に飛び降りた。

「ぐふ……重い……ちょっと前まで痩せっぽちの野良猫だったのに……」

前足で俺の顔に触れようとする三毛猫を撫でる。1ヶ月前、港で保護された野良猫を預かった。最初は栄養状態が悪くて心配だったが、すっかり元気になってくれた。

ベッドから起き上がって着替える。今は海士のオフシーズンで時間に余裕がある。夏は海士として毎日素潜りで魚貝類を獲っていたが、冬の凍える海では何もできない。毎年、冬場は牡蠣の養殖場で短期アルバイトをするくらい。暇なので、と猫を預かった。

エサを準備していると三毛猫が足に絡みついてくる。ずっと飼うことはできない。暖かくなる頃にはお別れだ。情が移らないように名無しの猫にしていたが、もう完全に絆されている。

「ほら」「にゃお」

エサ皿を置くと、猫は一鳴きしてから食べ始めた。勢いよくエサを平らげていく三毛猫を見つめる。これからずっと、道行く猫を見かけてはこの光景を思い出すだろう。忘れがたい思い出は、ほんの少しの縁からも生まれるようだ。例えば今年の夏に出会った次元潜水士の3人。

海に潜っていた時たまたま十二次元に迷い込んでしまった俺を、次元潜水で助けてくれた3人組だ。異次元研究の博士でリーダーの西さん。助手でしっかり者の境井さかいさん。助手見習いで素直な加納さん。

深海には異次元に繋がる海底トンネルがあるかもしれない。西さんがそんな話をしてくれた。十二次元を泳ぎながら。あれは、なかなかすごい体験だったのではないか。帰ってきてからも時々考えてしまう。あの3人にまた会いたい、なんてことも。

ドアベルが鳴った。来訪者の合図に驚いた三毛猫は、素早くベッドの下に隠れた。急いでドアを開ける。今ちょうど思い描いていた三人の顔があった。

「やぁ、藤野君!お久しぶり!違う星の海に、ちょっと潜ってみない?」

西さんの奇天烈な言葉に目が点になる。


お茶を4人で飲み、一息吐いて。互いの近況報告も済んだ頃、境井さんが切り出してきた。

「それでは本題を。実は藤野さんにぜひ実験に参加していただきたいなぁと思いまして。生身で次元を超える才能をお持ちの藤野さんにしか、頼めないのです」

境井さんと加納さんは神妙な面持ちだ。西さんだけは満面の笑みで口を開いた。

「今のところ次元を超えていける粒子は重力子だけなんだ。重力の源になる粒子だね。僕らはこの重力子を操って、次元潜水をしているんだよ。重力子以外にも色々な粒子があってね。それらの粒子を閉じた紐、開けた紐で説明できる理論がある。それが超弦理論」

西さんはテーブルにあった輪ゴムを手に取って、ずいっと僕に差し出した。

「藤野君はこういう輪ゴムのような閉じた紐、重力子のようなもの。身一つで異次元を渡っていける。次元同士を隔てている分厚い膜を突破してね。僕たちは開けた紐。その他の粒子と同じように、次元の膜に阻まれてしまう。つまり藤野君はアインシュタインもびっくりな逸材ってことさ!超人だよ!」

「ち、近いです西さん。俺がすごいレアな仕組みの人間らしいことは分かりましたから……。それで実験というのは?」

「加納ちゃん!私が西君を抑えてるから説明お願い!」

「はい!違う星への次元ワープが西先輩の夢の1つでして。3人で調査や実験、計算を繰り返した結果、内部に水分がある星で藤野さんならば可能だろうという結論が出たんです。それで藤野さんにぜひ、木星の衛星エウロパの内部海に次元ワープする実験にご協力いただきたく……」

「俺が木星に?!」

「木星の衛星のエウロパ、だよ。おまけに四次元の。念入りに安全確認をしたし特製の次元潜水スーツも持ってきたし、僕らが付いてる!きっと成功するさ!」

想像力が追い付かないスケールの大きさに、不安で考え込んでしまう。しかし西さんの曇りのない笑顔に押しきられて、結局首を縦に振ってしまった。


漁船を借りて海に出た。久しぶりに潮風に吹かれて不安が軽くなる。珍妙なデザインの次元潜水スーツに着替え終わった時、西さんに呼ばれた。デッキに出てみると、極寒の海にカラフルなフラフープのようなものが浮かんでいた。まさかこれが説明された特製次元ワープドアだろうか。不安がぶり返す。

「さぁ藤野君!この特製次元ワープドアに飛び込んで、いざ四次元のエウロパの内部海へゴー!」

「あの、これ本当に大丈夫ですか?!」

船の後ろにいる加納さんと境井さんを見れば、両腕で大きな丸を作って頷いている。

「藤野君。まずいことになったら僕らが絶対に助ける」

西さんの真剣な眼差しで、自然と足が海へと動いた。意を決して飛び込む。


真っ暗な空間へと落ちていく身体。突然カラフルな光に包まれた。色彩が混ざりあって白い光になっていく。遠くで稲妻が落ちるような音がした。とりあえず、その音に向かって泳いでみる。

左右上下、真っ白だ。ここは本当に四次元のエウロパの内部にあるという海、なのだろうか。夢なのか現実なのか分からない。ぼんやりしながら腕に付いているボタンを押して、3人に到着の合図を送る。

泳いでいると牛の鳴き声のような音も聞こえてきた。近づいてくる。戸惑っていると、遠くから巨大な鯨の姿が見えてきた。霧を割り開くように悠々と泳いでくる。すれ違う瞬間、どこまでも黒い目がゆっくりと、こちらに向いて。気が遠くなった。

「藤野君!大丈夫かい?!」

3人が俺を心配そうに覗き込んでいる。夏にも同じ光景を見たような気がする。気絶したようだが、どうにか三次元の地球に戻ってこれたようだ。安心すると同時に、はははと笑い声が出た。

「四次元のエウロパの海にも、鯨がいましたよ」

少しの沈黙の後、3人は飛び上がって喜んだ。実験は大成功。



★このお話は「次元潜水士」シリーズの7作目となっております。3人と藤野君が出会うお話は「揺らぐ海と次元」です。
★続編ができました!→「四次元プリンター」


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