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吾輩は○○の琴である

吾輩は琴である。名前はまだ無い。どこで生まれたかは……もうほとんど忘れてしまった。今は暗い和室の隅で、一日中眠っている。

月に一度、明るい蛍光灯の下に引っ張り出されて、あちこち叩かれるわ削られるわ、とにかく大変な目に遭う。メンテナンス、という行事らしい。

ああ、足音が近づいてきた。そろそろメンテナンスの時期だ。胸がざわめく。和室のふすまが開いた。

「さて、メンテナンスしようかな。今回こそは、良い音が出るといいけど」

いつも紺色のエプロンを付けている男が、吾輩に絶望の宣告をした。文字通り手も足も出ない吾輩は、軽々と担がれて持っていかれる。眩しい。久しぶりの光だ。



弦を張られ、久々に音を出した。今回もあちこち叩かれたり研磨されたりと散々だったが、奏でる瞬間は嬉しいものだ。やはり吾輩は琴である。弾かれてこその存在なのだ。

「……うーん、やっぱりイマイチだなぁ。素っ気ない見た目だけど、丁寧に作られてるし、上等な木材が使われてるから良い音色が出るはずなのに……。弦の相性が悪いのか?また別の弦を使ってみるか……」

男はぶつぶつと失敬なことを言う。憂鬱になってきた。吾輩の音色は、人間の顔を険しくしてしまう。笑顔になってもらいたくても、良い音が出せないのだ。

吾輩はずっと、人間の家をたらい回しにされてきた。今は、この紺色エプロンの男が営む和楽器店に置いてもらっている身だ。

そろそろこの男も、吾輩を放り出すだろう。もしかすれば、壊されて、捨てられるかもしれない。もういっそ、そのほうが私も気が楽になるだろう。

「ごめんください」

「あっ!はいっ!珍しい。朝からお客さんだ~」

お客の声に、男は嬉しそうに席を立った。後ろ姿を見るのが切なくて、聞き耳を立てるのに専念する。お客と男のやり取りを聞いているのは、悪くない。

「初めまして。私、古い和楽器専門の骨董品店の者です。こちら名刺です」

「ああ、どうもご丁寧に。へぇ~珍しいですね。和楽器だけを取り扱う骨董品店、ですか」

「そうなんです。特殊なので、販売も仕入もなかなか大変で。私は営業の仕入れ担当なので、全国を渡り歩いて古い和楽器を探してます。風の噂で、こちらに古いお琴があると聞きまして。少し拝見できないものかと思い、訪問させていただきました」

「確かに古い琴はありますが……かなり、問題がありまして。骨董品店で売れる代物かどうか……地味ですし……」

「ぜひ、一目だけでもお願いします!私、特に古い琴に目がなくて!噂を聞いてから、夢にみるほど気になっておりました」

「そんなに言うなら……ちょうどメンテナンスで外に出してたので、すぐ見れますよ。どうぞこちらへ」

「やは~!ありがとうございます!失礼します!」

嫌な予感がする。



大きな丸眼鏡の男が、じろじろと見てくる。店主が我輩を紹介しているが、ちゃんと聞いているのか疑わしい。

不躾な視線にうんざりしていると、電話がけたたましく鳴った。

「あっ、電話。ちょっとすみません。どうぞ、自由に見ててください。弾いてみてもいいですよ」

「おお!ありがとうございます!」

丸眼鏡の男と二人きり。じっと凝視される。何かを見透かされているようで、居心地が悪い。

「そなた、妖怪の『琴古主』ことふるぬしであろう?音色で人間を喜ばせることができない悲しみで、妖怪になってしまったのだな?実は私も妖怪なのだ。十二支すべての力を供えた妖怪、『寿』ことぶきだ。そなたを助けにきた」

声も雰囲気も様変わりした丸眼鏡の男に、戦慄した。昔、妖怪仲間から聞いたことがある。「寿」とは、妖怪を消して回っているという、恐ろしい妖怪の名だ。

「恐ろしい噂を聞いているだろうが、私は負の感情から妖怪化してしまった楽器を、天界に帰しているだけだ。人間に化けながら、日々、お主のような妖怪を探している」

丸眼鏡の奥の目は、思ったよりも優しかった。

「……天界とは、どんな場所なのだ?」

「妖怪たちの楽園だぞ。楽器の妖怪は演奏してもらえる。元人間の妖怪もたくさんいるからな。誰も、音色の良し悪しなんて気にしない。気の合う仲間たちも、すぐに見つかる」

「……天界から地上に戻ることはできないのか?」

「そうだ。だが、もう人間に失望されるのは嫌だろう?」

少し考える。行く、と返事をしようとした時、店主が戻ってきた。

「お待たせしました。どうです?やっぱり音色が、ちょっと気になるでしょう?」

「渋くて良い音色ですよ。こういう音色を求めているお客様もいるのです。売却は、ご検討されませんか?私の店ならば、かなりの額で買い取れます」

「うーん……すみません。やっぱり、売れません。手のかかる子ほど可愛い、というものですかね。弾く度、愛しくなるんです。酷い音色だなぁって毎回思うけど。何があっても一生、手放さないような気がしていて」

店主の言葉に驚いた。

「この琴と同じで、俺も不器用で。大きな失敗をして特に落ち込んでいた時に、この琴が店に来たんです。どうしたら音色が良くなるか、考えるのに夢中になっていたら、自己嫌悪から立ち直れました。今では、俺の琴、という呼び方が、しっくりくるんです」

「なるほど。運命の琴なのですね。ふふふ、よかったな琴古主ことふるぬし。そなたにはもう、生涯の伴侶がいるみたいだぞ」

我輩に向かって、寿ことぶきが言い放った。不思議そうに、店主が吾輩と寿を交互に見る。恥ずかしいような嬉しいような。弦が震えそうだ。



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