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酔恋詞

 あの夜悪魔が、毒を塗布した矢で私の心臓を射抜いた。「きっと好きになる」悪い予感は的中し、すっかり君の沼の肥やしになった。11歳以来の恋慕の情は、行く宛てもなく私自身に跳ね返ってくる。傷口はまだ傷口のままで、瘡蓋は中々私を覆ってくれない。悪いアモルよ、あなたの気まぐれな遊戯に私は狂わされている。あなたにとっては口笛を吹くぐらいの出来事なのかもしれないが、私は矛盾まみれのぐしゃぐしゃな感情を抱き続けている。魔法のかけ方を知っているならば、魔法の解き方も知っていておくれよ。解けぬ魔法に翻弄され続けている。今日も私は君に雁字搦め、禄でもない人だと言い聞かせ嫌いになる努力も虚しく、脳裏に棲む碌でもない君を想いながら眠りにつく。

 「スピッツの季節がやってきたね」君がそう言ったから、少し肌寒い夜を歩く度に草野マサムネの詞を、そして君のことを思い出す。あの夜君に会えたが、私は夏蜘蛛になることを拒否した。私の手を引く君を振り解いてしまった。怖かった。夜の闇に吸い込まれ、君の肌の香りを知ってしまえば、この想いが確信に変わる気がして怖かった。あなたは私の心にじんわりと沁みて、どろんと消えてしまった。もう新しいあなたが更新されることはなく、あなたに会うためにはあの夜を遡るしかない。宵っぱりのあなたは今頃きっと、月でも見ながら濃いお酒を嗜んでいるのだろう。電気ブラン、太宰治が愛飲していたお酒だ。君は不味だと言ったけれど、あのアルコールくささは嫌いじゃない。記憶のあなたに脚色されているだけなのかもしれないが、甘い、酸っぱい、いや、どんな味だったのかも思い出せない。クスノキの影から見える月を、君も見ているだろうか。月が綺麗なんて回りくどいことを言っても、きっと華麗に流される。剥き出しの好意で君を殴れば、君は煙になってしまうのだろうか。

 ぬるい缶チューハイを片手に、君と歩いた道でゆっくりと夜風に当たる。7%のアルコールが心地いい。世界は私をほろ酔いにする。別れ際に「おやすみなさい」という上品な君が好きだった。今でも好きだ。私の過去にしかいない君を、今も想い続ける。早く覚めたい、醒めたい、冷めたい。君への陶酔に水をかけて欲しい。これだけ君を想った日の朝は、きっと二日酔いだ。時には優しい夢を、そして優しい君を見たい。君が狂ってしまうほど溺れる人はどんな人なのだろう。全部寝言ということにしてしまえば、もう少し戯言を綴ってもいいか。もう少し、夢に身を委ねてもいいか。君に赦すされずとも、愛していたい。まだ夢現の私を看過してほしい。死にたい6月を過ごしながらも、そして暑さに茹だる8月も、幻影は私を羽交い締めにしたままだ。
あなたは成仏せぬ私のゆうれい。いつかあなたから醒めることを祈りながら、今日も小声でおやすみなさいと唱える。君は一体いつまで私の心に居座るつもりなんだい。

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ほろ酔い文学

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