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〈大人〉の言葉

書評:佐藤優『君たちが忘れてはいけないこと  未来のエリートたちとの対話』(新潮社)

「大人の知恵」を感じさせる、とても素晴らしい本である。

佐藤優というと、その博識と豊富な経験から、その「知識」を学ぼうとする読者が多いのではないかと思う。しかし、「知識(情報)」というのは、語り方によっていかようにもなるものであり、話者の立場への正しい理解なくして、知識だけを情報として得ようとするのは間違いだ。

それでなくても佐藤は、沖縄出身であり、プロテスタント信者であり、元外交官であり、「北方領土支援にからむ偽計業務妨害」で罪に問われて刑務所に収監されたこともあるという、数奇なと言ってもよいほどの人生を歩んできた人であり、当然、その「語りの意図」も一筋縄ではいかないと、そう考えるべきなのだ。

したがって私は、佐藤が表明する立場を基本的には支持しながらも、完全には信用しない、という慎重な立場を採りつつ、ながらくその著作に接してきた。
だが、当「未来のエリートたちとの対話」シリーズの1冊目となる『君たちが知っておくべきこと』と、2冊目に当たる本書を読んで、やっと佐藤優を心から信じてもよいと思えるようになった。
そう思わせる、佐藤の(「飾らない」ではなく)作らない「本音」が語られている点、佐藤の現在の人生観がストレートに表現されている点において、私は当シリーズの2冊を、高く評価するのである。

なお、『君たちが知っておくべきこと』(や『「池田大作 大学講演」を読み解く  世界宗教の条件』)のレビューを書いた段階では、まだ佐藤にたいする懐疑が残っていたのだが、私がなぜそこまで懐疑的であったのかについて、そちらでは比較的丁寧に説明しているので、ご参照いただければ、本書への高い評価の重さがご理解いただけると思う。

さて、当シリーズの魅力が奈辺から発せられるものかと言えば、それは佐藤が「未来のエリートたち」に対して、期待を込めて率直に語り、持てるものを惜しみなく提供している点にあろう。
私が佐藤優にたいして懐疑的だったのは、こうした「率直さ」がそれまでの作品では、基本的に見られなかったからである。これはたぶん、それまでの著作が「大人」を相手にして「いま(現状)」に働きかけようとする「政治性」を強く帯びていたからであろう。つまり、前著で語られた「リエゾン」的な立場で、佐藤は発言していたからである。

『 情報(※ インテリジェンス)の世界においては、リエゾンという連絡要員がいます。例えば東京にはアメリカのCIA、ロシアの対外諜報庁(SVR)、イギリスのSIS(いわゆるMI6)など各国の秘密情報部の人間がいる。普段は外交官、だいたい参事官か一等書記官を装って活動しているけど、秘密情報部の人間だということは互いに明らかにしていて、関係者だけは知っているわけ。
 その人たちは、国家間にどんな対立があるときでも、その後ろでニコニコ笑って会って調整する。そこでは絶対に嘘をついてはいけないという約束がある。もちろん本当のことを全部言わなくてもいいんだけどね。そういう特別な訓練をされた人たちを業界用語でリエゾンと呼びます。』
(『君たちが知っておくべきこと』文庫版・P54〜55)

つまり、嘘は言わないけれども、裸の真実や本音を語っているわけでもない、という老獪な「駆け引き」的スタンスであり、本書で言えば、

『 右の言説は、右でしか崩せない。左の言説は、左でしか崩せない。』(P254)

という「変幻自在な演技的(外交官的)語り」である。
そのため、読者である私も、佐藤に体よくコントロールされまい(崩されまい)として、字面をそのまま鵜呑みにすることはしなかったのである。

しかし、佐藤のこうした「大人向け」の技巧的な言説とはちがい、「未来のエリートたち」に対する言葉は、かなり率直で正直なものだ。もちろん、未来を託す優秀な子供たちを「教化」しようという気持ちは相応にあれど、佐藤は彼らの「直観的知性」を信じており、口先だけで誘導・洗脳するような態度は、かえって逆効果だと正しく理解して、率直な言葉で子供たちの心に、真っすぐに切り込んでいった。

「未来のエリートたちとの対話」のなかで、佐藤は何度となく「君たちは、エリートとして、ノブレス・オブリージュ(エリートとしての特別な社会的責任と義務)を持つべきだ」と語っているが、それは彼ら有能な若者たちを「日本の未来のために使役したい」というだけではなく、彼ら自身が「真に誇り高く生きるための指針」を与えるためでもある。だからこそ、佐藤は本書でも「金儲けだけで幸せになれるか?」と問うてもいるのである。

そして、灘校生たちが、十分な知性を持ち、そして「ノブレス・オブリージュ」を引き受けようとする姿勢を見せているのを確認した上で、さらに「しかし、頭の良さだけではどうにもならないものがある」とし、それは「自分たちとは異質な他者」の存在である、と指摘する。
それは「経験」をしないと知り得ないものであり、しかしその一方、彼らエリートがそれを「直面」的に知ることは、時間的・境遇的に困難だと承知しているからこそ、「本を読みなさい。そして想像力を働かせなさい」と助言する。

『(※ 弱者救済のために)ベーシックインカムを導入して、そのお金で飲んじまったとか、パチンコに使っちまったとしたら、その後どうする? ベーシックインカムを唱える人たちは野党に多いんだけれども、やっぱり中途半端な偏差値エリートなんだな。自分の周辺に本当の生活弱者がいないんだろう。だから貧困層の人たちと実際に接したときの空気が皮膚感覚で分からないわけなんだよね。
(中略)
 生活保護のお金が入ってもすぐに使っちゃう人に対して「なんで計画性を持たないんだ」と言う構図をよく見るけど、それは逆で、きちんと計画性を持てるんだったら生活保護を受けるような状態にはならないんだよ。ベーシックインカムはそこが分かっていない議論だと思う。
(中略)
 客観的に見て、君たちは経済的に恵まれている家庭の出身だということを、頭の片隅で認識しておいたほうがいい。そうじゃないと同質的な人のことは分かるけれど、経済的に恵まれない家庭から這い上がってきた人たちのメンタリティが理解できなくなってしまう。
(中略)
 そして、懸命に這い上がってくる人たちの気持ちを理解するには、ぜひ小説を読んで下さい。苦労してきた人たちは、自分の経験を言わないし、言えないからです。』(本書・P247〜250)

「学力的に頭が良いだけの人」と「本当に頭の良い人」との違いは、まさにこの「想像力(的知性)」の有無にあると言えよう。
「学力的に頭が良いだけの人」は、自分の知っていることがすべてであり、自分の価値観がすべてだとなりがちだ。それに反するものは、単に「不完全」であり「劣っており」いっそ「悪しきもの」だと思ってしまいがちである。
しかし、「本当に頭の良い人」というのは「自分の知性の限界」を知っているという意味で、他者に対してだけではなく、自分自身に対しても「批判的知性」を向けることが出来る。
つまり、「自分とは、質的に違った人たち(他者)がいる」というのを、肯定したり否定したりする以前の「事実」として、受け入れることが出来るのだ。

「世の中の現実」をいろいろと見て、体験してきた「大人」として、佐藤はここで、「未来のエリートたち」に、いちばん重要でいちばん難しいかも知れないことを、教えている。
それは「真のエリート」にしか持ち得ない「健全な想像力と健全な批判的知性の必要性」だ。この両者が揃ってこそ、人は「他者を正しく理解し、そして、自己を正しく理解することが出来る」のである。

ここには、若者たちを煽動して利用しようとする「すれた大人」とは大違いの、稀有な大人の「叡智の言葉」が、未来に向かって、たしかに響いている。

初出:2019年9月3日「Amazonレビュー」
   (同年10月15日、管理者により削除)

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【補記】(2021.06.16)

上のレビューのような、佐藤優についての肯定的評価を、現在の私は採りません。

佐藤優が変節したのか、私が甘くて騙されただけなのか、その両方だったのかはわかりませんが、「創価学会ちょうちん本」で金儲けをしている佐藤優が、本気で沖縄のことを心配しているとは思えません。言うまでもなく、創価学会・公明党は、辺野古埋め立てを推進する、政権与党です。

やはり、外交で鍛えた「コウモリ戦術」は侮れなかったと、今は反省することしきりですが、反省を込めた記録として、過去のレビューをそのまま転載しておきます。

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