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ジャスパー・ジョーンズへのインタビュー記事 その1

ジャスパー・ジョーンズ(Jasper Johns)は1950年代にアメリカでアートのキャリアを始めた、ネオダダを代表するアーティストの一人です。その彼をイギリスの放送局であるBBCのデビッド・シルベスターがインタビューをし1965年10月10日に放送しました。その内容がとても興味深いので、日本語訳をしてみました。

DSはインタビュアーのDavid Sylvester、JJはJasper Johnsです。(※訳者注のカッコ内は私の勝手な解釈なので、参考程度に思って頂いた方が良いと思います。)

They seemed to me pre-formed, conventional, depersonalized, factual, exterior elements.
The most conventional thing, the most ordinary thing - it seems to me that those things can be dealt with without having to judge them; they seem to me to exist as clear facts

DS:なぜ初めに旗、標的、地図、数字、それに文字(アルファベット)を使ったのですか。

JJ:それらは、すでに形があり、従来的であり、個性がなく、事実に基づいており、外部的要素であるように見えます。

DS:それでは、個性のない要素への魅力はなんですか。

JJ:私は人間の個性よりも世界を提示するものに興味があります。人間の判断よりも、物質を提示する物質(※訳者注:例えば目の前にペンが1本あったとして、そのペンはペンである以上の意味を持たないという意味だと思います。)に興味を持ちます。従来的な物質、一般的な物質は人間の判断を要さず扱われます(※訳者注:余分な思い入れのないままに扱われる)。美的なヒエラルキーに巻き込まれることなく、明確な事実として存在するように私には思えます。しかし、人によっては物質はある種の質を持ちますし、その質は時によって変化します。例えばある人にすれば48個の星が描かれていた旗(星条旗)が、突然50個の星に変わることによって、もう興味を持つものではなくなってしまうのです。社会においてこれ以上に無いほど一般的で変化のしようもないように思われたコカ・コーラの瓶は、数年前に突然1クォート(約1140ミリリットル)の瓶が発売されました。小さな瓶が、異常に奇妙でありながら小さい時のままのものを流用できるように蓋のサイズだけは変えずにとても大きな瓶へと、拡大されたのです。懐中電灯においては私は私なりの懐中電灯への詳細な見解がありました-あるいは私は幼少のころから本当の意味において懐中電灯を扱っていなかったか-。私はその確かであるはずのその姿を持って懐中電灯を買いに出かけました。私は1週間探し続けました。私の思う一番一般的な、赤のプラスチックでできたシールドがあり両脇に突き出しのある懐中電灯を。そしてついに私の欲しかった懐中電灯を見つけました。私が非常にありふれたものだと思っていたものを見つける事がとても困難であったため、自分の考えを疑い始めました(※訳者注:自分がありふれた一般的なものと思い込んでいたことに対し、一般的・従来的とは何だという疑念を持ったという意味だと思います)。 そして、非常に標準的で不変であるはずの古いビール缶も、少し前にデザインを変更しました。

その2につづく...

-References-
-引用元-

Harrison, Charles. Wood, Paul.(2003). Jasper Johns (b. 1930) Interview with David Sylvester. Art in theory, 1900-2000:an anthology of changing ideas. 2nd ed. Blackwell Publishing, pp.737-738

Johns, Jasper.(1961).Target. The Art Institute of Chicago

Johns, Jasper.(1967–68).Flashlight, plate one from 1st Etchings. The Art Institute of Chicago