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家を出られない 〜母と祖母と介護〜

結婚したくない

父と母を見ていると、結婚という選択が決して幸福に包まれたものではないことを実感する。
父は母に、家事サービスの提供を、一方で母は父に、金銭の提供を期待している。
両者の期待は互いに合致し、経済的に共依存の関係を構築している。
離婚してしまえば、父は金はあるが生活力のない人間で、母は家事スキルをもっているが経済力がない人間となる。
そうなったとき、父は稼いだ金で家政サービスを受ければ良いし、母は何らかの公的な支援を受けて一人で生活するという選択肢もそれぞれある。
とはいえ、35年も連れ添ったから、もう今更相手を見放すのも可哀想、という情があるのかもしれない。
互いに互いの多々ある欠点に目をつぶり合いながら、ギスギスと共同生活を営むことの幸福度はいかほどか。

先にも述べたように、相手を支配したり支配されたりするような婚姻関係は結びたくない。
小さいころから婚姻制度の非人道性にうっすら気づいており、「将来の夢はお嫁さん」と言う友人の気持ちが一つもわからなかった。
(小さいころは、大人になれば男に分化していく身と信じていたので、自分が嫁さんの側にまわるとは考えていなかったというのもある。)
嫁になることを望むなんて、あの友人たちは何とつまらぬ女であったことか。
苗字を奪って家に入らせ、実質無賃で家事労働を課すような非人間的な行いは、決して許されない。

さて、ここまでお読みになって、不思議に思われたでしょう。
「あなたはなぜ、その家を出ないのか?」
理由は、大きく分けて3つ。
 母の家事への甘え
 ②
祖母の介護をする母
 ③自分の健康不安

家を出られない理由① 母の家事への甘え

母は、結婚と同時に専業主婦になったので、今やひととおりのことは目見当でこなせる家事のプロである。
仕事のある日は朝夕の食事をおおよそ準備してくれるし、恥ずかしながら昼の弁当も作ってくれる。
家族分まとめて洗濯して干してくれるし、部屋に掃除機をかけてくれることもある。
客観的にみれば過保護な部分が大きいが、母自身がやらないと気が済まない部分もあるようだ。
食生活が乱れて体調を崩せばさらに面倒な看護をしなければならない、とか、服や部屋の汚れを放置し家全体が不衛生となるのを避けたい、とか、母なりの合理主義ゆえの行動らしい。
家のことを何から何までやってもらえることにすっかり甘えてしまい、おかげで仕事にも集中することができている。
事務をやり残して自己都合でやるような、みっともない残業はこれまでほぼゼロだ。
しかし、あの父が家に敷いた封建的家父長制の恩恵に浸っていることは事実で、大変恥ずかしく情けないことである。

家を出られない理由② 祖母の介護をする母

私たちの家では、92歳の祖母も同居している。
半二世帯住宅のようなかたちで、玄関と風呂トイレは共同だが、居室とキッチンを別にして暮らすというスタイル。
10年近く前からアルツハイマー型認知症を患っている。
認知症初期の不眠症状に対し、消化器内科でデパスを長期間処方されたことによる過眠が、進行の引き金になったのではと思われる。
祖母も長らく自炊をしてきたが、発症の初め、食事の準備や食材の管理がおかしくなった。
2分茹でれば済むそうめんを何十分も煮込むようになり、何も入っていない魚焼きグリルのスイッチを入れ発煙させたり、何日も保温されていることを忘れて炊飯器の中のご飯を食べてお腹を下したり。
タクシーを呼んで市街地のデパートに出かけたかと思いきや、行き先や言動が怪しいと思った運転手がどこにも寄らずにそっと自宅に返してくれたこともあった。
幸い、元々出不精なところがあり、気づかぬうちに徘徊したり、出かけた先でおかしなことをすることは少なかった。
仰天するような祖母のエピソードは山ほどあるが、この困った病気のおばあちゃんを主に介護しているのはその実の末娘、つまり私の母である。

母には2人の兄がおり、私にとっては叔父であるが、どちらも少し離れた土地で独立している。
年少の女であるという理由で、厄介な祖母の介護を一方的に押し付けられたようだ。
祖母は月の半分ほどの日は、デイサービスあるいはショートステイで近所の施設へ通っている。
少しでも手を空けたい、祖母のことを考える時間を減らしたい、という母自身の要望と、祖母にとって少しでも社会性をもてる場を残したい、という考えによりこうした生活パターンとなった。
施設にいる間の祖母は大変優等生で、スタッフさんとも仲良くやっているようだ。
大変なのは家にいるときで、祖母が着替えを誤ったり排泄トラブルを起こすと、母の怒鳴り声が家中に響く。

「どうしてそんなこともできないの」「バカか」「“立っていろ”と言っただろ」「早く」「もういいかげんにしてよ」「何回言ってもわからないの」「また同じこと」「どうして私ばかり苦しめるの」

実の子が実の親に向けた暴言であり、祖母も売り言葉に買い言葉で毎度反論している。
一方的な虐待ではなく親子げんかだと言い張れば警察の目は誤魔化せそうだが、家の中で母の怒鳴り声と金切り声を毎日聞かされるのは、かなり精神的に堪える。
私は自室にいるときにはイヤホンが外せなくなってしまったし、声が聞こえ始めるたびに冷や汗が浮かび胃がきゅっと縮み上がる感じがした。
現在まで5年間ほどほぼ毎日それを聞かされているのだが、私の子宮筋腫を育ててしまったストレスの一因である可能性は極めて高い。

祖母の食事作り、粗相の始末、洗濯、施設との連絡調整など、全て母が行っているが、もちろんこの介護にも父は一切関わらない。
扶養まではしていないけれど、とりあえず一緒に住んでいる家の長なのだから、義母の面倒をみる立場にあるはずなのだが。
母の怒鳴り声を聞いても大きなため息をひとつついて、ステレオの音量を上げる。
母もそんな父に苛立ってはいるが、元から人手として期待していないので、下手に手出しされて余計に手戻りが増えるのが嫌なのだそうだ。

子育てがひと段落したと思えば、自らが大病を患い、治ってからも夫と子と祖母の食事の用意をし、諸々ハウスキーピングをし、食品や日用品の買い出しをし…。
常に誰かの世話に追われながら人生を終えるかもしれない母に、少しでもゆとりをもってもらいたい。
そう考えて、本人に言いはしないけれども、母の精神的健康を保つため、私は母に気分転換と娯楽と多少の金品を提供する。
“ご機嫌取り”、“お追従”と言われて滑稽に見えるかもしれない。
それも承知の上で、母には長く健康でいてもらいたい。
家の中の雰囲気は、母の機嫌が司っているといっても過言ではない。
少しでも良好な環境をつくるためにも、私のピエロ的振る舞いは必要なのではないか。
自分が享受する家事サービスへの打算もある。
しかし、今は元気だが、彼女は元はがんサバイバー。
それまでの苦労の分をねぎらいたい思いが強い。

つまり私は、母が重くてたまらないことをまだ自覚していない“墓守娘”

家を出られない理由③ 自分の健康不安

これまでの記事で記してきたように、私は子宮筋腫とそれに伴う諸症状に苦しんできた。
症状への不安と薬の影響で精神的にもやや不安定。
そのくせ、仕事上は“かっこいいやつ”を装いたい。
一人暮らしをして家事に向けるエネルギーがもうなかった。
働きながら何かしらの闘病をしている人にとっては、非常に甘ったれた考えに思われるだろう。
それほど、健康に関する不安が心を占め、他のことに向ける余裕をすっかり失ってしまった。
まして、また再手術することになれば、術後の身体がうまく動かないときに一人で暮らす不如意に耐えられるか。

怠惰と甘えと不安

以上のように、私が家を出られない理由は3つ。
要約すれば、怠惰と甘えと不安。
あれ?私ってつまり、アダルト・チルドレンだな?

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