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晩春は「玉鬘十帖」を読む季節

旧暦三月。私のまわりでは山吹が咲き始めました。

山吹といえば、『源氏物語』の玉鬘。
「玉鬘十帖」の第七巻「野分のわき」を見てみましょう。
野分は台風のことですね。
源氏(この時36歳)の豪邸・六条院が野分で荒らされ、15歳の息子・夕霧(母は最初の正妻・葵の上)がお見舞いに来ます。

「野分」の重要ポイント:夕霧の目線で語られる!

当時の貴族女性はふつう人前に出てきません。男性の方は、なんとか女性の姿を見たい。そこで紫式部はこの巻を書くことにしたのでしょう。強風が吹いた後なら何が露わになってもおかしくありませんから。

源氏は夕霧に継母の紫の上を会わせないようにしていました。息子といえど、いや、自分の息子だからこその警戒。なにしろ源氏は父・桐壺帝の後妻・藤壺と密通し、子どもまで作っているのです。

花散里はなちるさと(源氏の妻というより夕霧の養母といったほうがいい人)のもとでふだんは勉学に励んでいる夕霧。そして、戸が開いたり、屏風が畳まれたりしていた六条院。夕霧は初めて紫の上(この時28歳)を垣間かいま見て、美しさに心を射抜かれます。

さらに、玉鬘(この時22歳)が源氏といるところも覗き見してしまった夕霧。その時の思い……

八重山吹の咲き乱れたる盛りに、露かかれる夕ばえぞ、ふと思ひ出でらるる。

源氏物語 野分

意訳:咲き乱れている、今が盛りの八重山吹。露が降り、夕日がさして、艶やかに染まっている黄金こがね色の花が思い出される。

山吹のような玉鬘。
三月ときいて思い出す場面はこちらです。
昨日紹介した場面から14年遡った三月。
「玉鬘十帖」最終巻「真木柱」。ここの翌月の場面です。

源氏はまだ玉鬘に後ろ髪を引かれています。

三月になりて、六条殿の御前の、藤、山吹のおもしろき夕ばえを見たまふにつけても、まづ見るかひありてゐたまへりし御さまのみおぼし出でらるれば、春の御前をうち捨てて、こなたにわたりて御覧ず。呉竹のませに、わざとなう咲きかかりたるにほひ、いとおもしろし。「色にころもを」などのたまひて、
 「思はずに井出ゐで中道なかみち隔つとも
    言はでぞ恋ふる山吹の花
顔に見えつつ」などのたまふも、聞く人なし。

源氏物語 真木柱

意訳:三月になり、源氏は、六条院のお庭の、藤や山吹がきれいな夕映えを見なさっても、すぐに、見目麗しく座られていた玉鬘のお姿のみが思い出されてしかたない。紫の上の春のお庭の方には見向きもせず、玉鬘がいた夏の町の方に来られて、眺めなさっているのです(四季の町をそなえた六条院で紫の上がいるのは春、玉鬘がいたのは夏)。呉竹の籬(低くて目のあらい垣)に山吹がさりげなく咲いて架かっている美しさがなんとも心に沁みてくる。「色に衣を」などとおっしゃって、

「思いがけないことに山吹の名所である井出の里、私たちの仲は中を通る道のせいで隔てられてしまったが、私はたとえ口にはしなくても、山吹を……玉鬘を恋しく思っている。

ああ、顔が浮かぶ……」などとおっしゃっても、誰も聞いてくれる人はいない。

「色に衣を」は、

梔子くちなしの色に衣を染めしより言はで心にものをこそ思へ

古今六帖

を踏まえたもの。梔子は実を染料に用いますが、その色が山吹の花色に似ていることからの連想のようです。今なら、栗きんとんの色というイメージですが。

源氏が「言はで」つまり「言わないで」と和歌を詠んだのも「口無し」だからですよね。

こんなわけで、私は山吹の花を見ると、玉鬘十帖を読みたくなるのですが、山吹はマンゴーも連想させるんですよね。

ちょうど冷蔵庫にあったので、今からコーヒーブレイクにします。
「食い物への執心は、源氏の玉鬘への未練に負けていない」と思う自分です。

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