見出し画像

様々な価値観の狭間で・・

今の時代は、本当に"複雑になっている”世の中だと感じることが多々あります。
というか、私たちが”複雑にしてしまっている”ように思います。

ある気になる親子の話を先日聞きました。
どうして気になるかというと、お母さんが二つの価値観の狭間にいて、お子さんはその狭間の影響で振り回されているように見えるからです。

その二つの価値観というのは、「子どもの個性を伸ばすことが子どもにとって最善だ」というものと、「子どもがより良く育つために大人が道筋を立てることが必要だ」というものです。
幼児教育では「子ども主体の保育」に国の指針が変わり、徐々に移行しているところです。それが、前者の「個性を伸ばす」という価値観と同じです。
ところが、保護者にはそのことはまだ伝わっておらず、まだまだ後者の価値観を良しとしている親御さんや祖父母が多いようです。

先程の気になる親子も、お母さん自身は「きっとこの子はのびのびしていたい子だろう」ということを知っているにも関わらず、家族や親戚、ママ友は、後者の価値観を持っており、そのお母さんはなんとなく違和感を感じながらも、習い事などに時間を使っているとのことです。こんな風に「本当はこう思ってるけど・・」と、自分の考えに蓋をして毎日を過ごしていると、やはり子ども姿に歪みが出てくるものです。
子どもが落ち着かなくなったり、トラブルが起きたり・・その度にお母さんは自分を責め始めるのです。
「私がしっかりしていないからだ・・」
「子どもをしっかり育てなければならない・・」と。

”子どもには子どもの人生があり、親には親の人生がある”
先日、ある講演会で、このような話をしました。その会には、不登校のお子さんの親御さんも参加しており、中には思い詰めた表情をして参加している人もいました。
先述したお母さんのように、自分を責め立てているのかもしれません。
「学校に行けなくなったのは私のせいなの?」
「学校に行くようにしなければならない」と。

誰のための人生なのでしょうか。
子どもにも親にも苦しい選択は、不毛に思えてしまいます。
とはいえ、簡単に「学校に行かなくてもいいんだよ」というのも違う気がします。
「がんばれ、がんばれ」というのも、違うでしょう。

子どもは自分で選んだことは最後までやり抜こうとします。自然の中での子どもの姿を見ていると、それは明白です。これは何歳になっても同じなのではないかと思います。

自分で選んだり、自ら動くということは、「自分の人生を歩んでいる」と言えるでしょう。
子どもたちは、小さな頃から「これが好き」「これは嫌」「あれがしたい」「ここに行きたい」と意思があり、主張があります。
その小さな意思や主張を尊重することで、自分の人生を歩んでいく“意志”の芽が育まれるのではないでしょうか。

子どもの人生は子どものものです。親が代わりに生きてあげることはできません。
子どもと自分(親)をべったり同一視しがちな日本の社会。
誰が何を望んでいるのか。自分が”本当は”何を望んでいるのか。
わからなくなるくらい、自分がなくなってしまっているように感じます。

誰かが言っている人生ではなく、自分自身の人生を歩むことが、いのちの目的なのではないでしょうか。
「学校に行くべき」とか「お受験しなければならない」というのは、”誰の声”なのでしょう。
子どもの声が届く社会になってほしいと願わずにはいられません。


<お知らせ>
new education LittleTreeでは、一緒に新しい保育・教育を探究し、共に学んでいく人を募集しています。
その一環として、10月8〜9日に「馬から学ぶリーダーシップ研修会」を行いますので、興味のある方はぜひご参加ください。

画像1

画像2

画像3

画像4

画像5


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?