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第3回 古代日本の章②─武蔵一宮と日本武尊の東征─

 こんにちは、皆さんいかがお過ごしでしょうか? 私は何事もなく元気に過ごしています。

 今年3回目の探検記は、埼玉県の県都にある武蔵一宮氷川神社について。ここは大昔からある神社で、日本武尊命の父景行天皇にもゆかりがあります。

 今回は古の昔からある社と景行天皇の皇子日本武尊命の冒険についてお話しましょう。


1,大宮氷川神社について

大宮氷川神社 本殿

 大宮氷川神社は埼玉県さいたま市大宮区にある神社。

 祭神は八岐大蛇を退治した須佐之男命、八岐大蛇に生贄にされかけたクシナダヒメ、そして大国主命の3柱。いずれも出雲系の神様たちです。

 神社ができたのはだ第5代孝昭天皇の御代。12代景行天皇の御代には、東夷征討の祈祷がなされました。

 聖武天皇の御代には武蔵一宮に定められ、醍醐天皇の御代には延喜式神名帳に「明神大社」の一つとして記されます。


2,日本武尊の東征

①出立

 クマソタケルとイズモタケルの征伐から帰ってきた日本武尊命は、父景行天皇からすぐに東日本の従わぬ人の征伐を命じられます。

 景行天皇から与えられたのは、矛と供のみ。

 伊勢神宮に祈願しに行ったとき、巫女をやっている叔母倭比売(ヤマトヒメ)にこのことを泣く泣く話しました。

 可哀想な甥っ子の愚痴を聞いた倭比売は、一振りの剣を持ってきて、

「もしものことがあったら、この剣を抜きなさい」

 日本武尊命に授けました。

 この剣は「天叢雲剣」といって、遥か昔、須佐之男命が出雲にいた八岐大蛇という八つの首を持った蛇を倒したときに尻尾から出てきた剣のこと。その後天照大神に献上され、その子孫邇邇芸命(ニニギノミコト)が日本列島に降り立ったときに、八尺瓊勾玉、八咫鏡と一緒に持っていった皇室の宝です。


②焼津

 日本武尊命は東海道を経由して、尾張へと向かいました。

 そこでミヤズヒメと一緒に過ごし、一時は結婚しようと考えます。

 ですが、今は父上の命令である、「荒ぶる神々と従わぬ人の討伐」が先、と考えたのでしょう。東海道を東上して相模国(実は駿河国)に到達しました。

 そこで相模国造から、

「あの野原に沼があって、そこにいる神様がとてつもなく強いのです。どうか倒して頂けませんでしょうか?」

 というお願いをします。

 日本武尊命はそれを引き受け、荒ぶる沼の神討伐へ向かいます。

 ですが、一向に沼が見てきません。

 おかしいな、と思った日本武尊命は、周りを見渡してみます。

 すると、四方から野焼きの煙のようなものが見えているではありませんか。

「畜生、謀ったな!」

 相模国造は、荒ぶる沼の神を口実に日本武尊命をこの草原へ誘い込み、焼き殺そうとしたのです。

「でも、どうやって出る?」

 野焼きの日はほぼ目の前まで迫っていて、逃げ場はどこにもありません。

「あ、そうだ!」

 日本武尊は倭比売からもらった剣のことを思い出しました。

 さっそく袋を開けてみると、入っていたのは天叢雲剣と火打石。

(なぜ火打石?)

 日本武尊は首を傾げました。

 悩んでいるうちに、火の手はどんどんこちらへと近づいてきます。考えている暇などありません。

「わかったぞ」

 何かを閃いた日本武尊は、まだ燃えていない草を剣で刈り取った後、火打石と剣をぶつけ、刈り取った草に火を起こしました。

 するとどうでしょうか、ぶつかった火が消え、無事生還。

 このことから、天叢雲剣には「草薙剣」という別名がつきます。

 生還した日本武尊は、騙し討ちにした相模国造の一族を皆殺しにし、屋敷を焼き払いました。以来この土地は「焼津(現在の静岡県焼津市)」と呼ばれるようになりました。


③弟橘比売の入水

 日本武尊命は相模国を南下し、三浦半島に至りました。

 そこには房総半島を望める海峡があるのですが、ここを渡って、総の国へと渡ろうと日本武尊は考えます。

 ですが、潮の流れが速いことから、その海峡は「走水」と呼ばれていました。おまけに日本武尊命が走水へやってきた日は、海が荒れていました。

(この東征だけはどうしても成功させなければならない。だが、今船を出せば、波に飲み込まれてサメの餌食になってしまう)

 そう考えていたときに、東征に付き添ってきた妻弟橘比売(オトタチバナヒメ)は、

「この嵐を止ませるために、私が荒ぶる海神に捧げる生贄となります。ですから、貴方は生きて、東征を成功させてください」

 と自ら進んで生贄に立候補したのです。

「なんということだ・・・・・・」

 日本武尊命は最初、弟橘比売が生贄になるのが受け入れられませんでした。ですが、今は東征を何とか成功させなければいけません。それに、神の怒りを鎮めるには、生贄が必要です。

 そう考えた日本武尊命は、弟橘比売の願い出を受け入れました。

 海上に菅や獣皮、絹の敷物を8枚づつ浮かべ、その上に弟橘比売は飛び降りました。

 弟橘比売が海神の生贄として捧げられたことで、走水の海は穏やかになり、日本武尊命は無事総の国へと渡って東征を成功させることができました。


3,ギャラリー

大宮氷川神社 門

大宮氷川神社④


【参考文献】

武蔵一宮氷川神社『氷川神社について』(http://musashiichinomiya-hikawa.or.jp/about/index.html)

由良弥生『眠れないほど面白い『古事記』』(2013)三笠書房


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