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【エッセイ】武蔵(東京)⑦─皇居外苑─(『佐竹健のYouTube奮闘記(38)』)

 江戸城の本丸を出た私は、皇居外苑へと向かった。

 皇居外苑について語る前に、江戸城の構造について少し話さねばなるまい。

 江戸城はかなり大きく分けると、堀を隔てて内郭と外郭に分かれている。内郭は先ほど巡った三の丸や二の丸、本丸の三つや、天皇陛下のお住まいのある西の丸、御三卿の屋敷があった北の丸があったエリアが該当する。対して外郭は、東京駅や国会、靖国神社のあった辺りなどがそこに入る。全て合わせた広さについては、大体千代田区がそのまま入るくらいの認識でいい。今いる皇居外苑は、馬出しにあたる。

(さて、巡りますか)

 私は堀の脇にある道を歩いた。

 たくさんの水をたたえた堀には、白い漆喰が塗られた櫓の像が写っている。そして堀に沿ってある歩道の脇に植えられている柳の木は、青葉の生えた長い枝を初夏の風に揺らしている。


 堀の方を見ていたら、白鳥を見つけた。

(なんでこんなところに白鳥が!?)

 私は驚いた。東北とか新潟みたいな寒冷地にいるなら、まだ話はわかる。だが、ここは東京。それも、大企業や官庁のビルが集う都心の一等地だ。

 もしかしたら、この白鳥は誰かに飼われているものなのだろうか? それとも、そもそも白鳥ではない別の鳥なのだろうか?

 江戸城に残された謎が、また一つ増えた。


 広場へと出た。

 車がひっきりなしに通る大路を挟んだ向こう側にも広場が広がっていて、そちらにはたくさんの松の木が植えられている。

「とりあえず、目指すは桜田門」

 ひとまず私は、桜田門を目指した。

 門を目指して歩いているときに、堀側の方に立派な門があるのを見かけた。門の向こう側には西洋の宮殿にも似た建物がある。

(何なんだろう? あの宮殿みたいな建物)

 門の向こう側にある西洋風の建物に、私は興味を持った。位置的なところから察するに、皇室や宮内庁関係の建物だろうか。あと、見た感じ、お正月に天皇皇后両陛下が新年のご挨拶をする場所ではないことはわかる。

(まあいいや。あとで調べてみよ)

 門の向こう側にある建物について、私は帰った後に調べてみることにした。

 あとで調べた結果、門の向こう側にあった西洋風の建物は、宮内庁の建物であることがわかった。また、目の前にあった門は、坂下門と呼ばれている。坂下門は、幕末に公武合体を推進するため、徳川家茂の正室として和宮を降嫁させた老中安藤信正が、尊攘派の浪士に襲われた場所としても知られている。


 さらに南へと足を進めると、アーチが特徴的な洋風の石橋が見えた。

 石橋は水の張った堀から向こう側にある立派な皇居の正門へと続いている。橋の向こう側には青葉を茂らせた木々、その向こうには白亜の伏見櫓が顔を覗かせている。

「きれい……」

 これしか言葉が出なかった。

 自然と人工という相反するものがある中でも、極度に主張しすぎずにしっかり景観の中に溶け込んでいる。また、門や伏見櫓などは究極の日本的な要素を持っているものの中にあるにも関わらず、あたかも大昔からここに掛かっていたかのように周りの風景と同化している。橋ができたばかりの明治のころは違和感たっぷりだったのだろうが。

 異なるもののでも違和感なくしっかり溶け込ませている。まさに日本の文化の象徴とでも言うべきであろうか。

 

「皇居外苑といえば……」

(そう言えば、皇居外苑といったら、楠木正成の銅像があったな)

 桜田門の方角を目指していた私は、ふとそんなことを思い出した。

 楠木正成とは、鎌倉末期から南北朝時代にかけて、後醍醐天皇に仕えた武将。奇策で鎌倉幕府の軍勢や足利尊氏率いる軍勢を翻弄した。だが、湊川の戦いで、九州の武士を味方につけて勢力を盛り返した尊氏の軍勢の前に敗れた。赤坂千早城で自身の軍勢の倍以上の人数がいる鎌倉幕府軍を翻弄した話や、湊川の戦いの前に自身の息子に別れを告げる話は有名である。

「さて、どこにあるのかな?」

 私はスマホでGoogleマップを開き、楠木正成の銅像がどこにあるのかを調べた。

 調べた結果、楠木正成の銅像は東京駅方面にあった。それも、かなり近い。

(さて、行きますか)

 私は目の前に通る国道を渡り、楠木正成の銅像を目指した。

 花崗岩でできた台座の上に、大鎧を着、馬に乗った騎馬武者の像が、広場の真ん中にあった。これが、楠木正成の銅像だ。

 皇居外苑には楠木正成の銅像がある。このことは昔から知っていたし、一度は見てみたいなと思っていた。けれども、どこにあるのかまではよく知らなかった。

「かっこいいな」

 Xで何度も写真は見てきたけれど、やっぱり実物はかっこいい。梅雨の曇り空を背景にして馬にまたがっている様子は、英雄の迫力そのものである。

(「武蔵(東京編)⑧─皇居一周達成─」『佐竹健のYouTube奮闘記(39)』へ続く)


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